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別れは出合いの始まり

 中平三年(西暦186年)三月。


 春を迎えたとは言え、まだ寒く山にも雪が残っているという時期に曹家には弔問の客が訪れていた。

 皆、白い布と上衣を羽織り祭壇に向かって拝礼をしていた。

 その後、喪主の曹嵩に一言二言挨拶して用意された席に座り酒を飲んでいた。

 出された酒は前年、曹操と曹昂が作った酒だ。九醞春酒法きゅううんしゅんしゅほうで生み出した酒だ。

 まだ、酒の名前は付けていなかったが、取り敢えず九醞春酒と名付けた。

 最初、出された九醞春酒を見て客達は色が付いた水なのかと思ったが、匂いを嗅ぐと酒であったので飲んでみるとその強い酒精と美味な事に驚いていた。

 そして、弔問客は今回の故人の事で話していた。

「享年七十七か。長生きされたものだ」

「宦官ではあったが、十常侍共と違って清廉であったな」

「うむ。それでいて恩着せがましい事はしなかったな」

「あそこにいるのは霊帝陛下の使者だそうだぞ」

「宦官の葬儀に霊帝陛下の使者が来るなど聞いた事ないぞ」

「それだけ陛下にとって信任が厚かったという事だろう」

 弔問客は祭壇にあげられている位板を見る。

 其処には曹騰と書かれていた。

 弔問客の中には曹家の親戚が来ている。

 曹騰の兄である曹伯興。曹仲興。曹叔興。

 弟の曹鼎とその子供の曹洪。

 曹操の従兄弟の夏候惇、夏侯淵に曹操の弟の曹徳、曹彬、曹玉も居た。曹徳には息子が一人おり曹昂と同い年の曹浩という者がおり、その者も居た。

 丁薔の兄である丁沖も参加していた。

 親戚達が座る席の中で曹昂も丁薔の傍で位板を見ていた。

(……曾祖父様)

 亡くなる一か月前から体調を崩していた。

 その事を曹嵩に手紙で伝えると、その曹嵩の口から洩れたのか霊帝が当代で名医と名高い張機。字を仲景を遣わせた。

 張機が診察したところ、余命幾許も無いという結果が出た。

 それを訊いた曹操は慌てて洛陽にいる曹嵩を譙県へ呼び寄せた。

 曹嵩が譙県に帰って来て数日が経った頃。曹騰が自室に曹嵩達を呼んだ。

 その時には曹騰は床から身体を起こす事も出来ない程に弱っていた。

 顏は青白く、身体も頬もげっそりとしていた。

 朝廷に居た官吏が見たら、これがあの曹騰季興かと思った事だろう。

『儂はもう長くない』

 皆が集まるなり曹騰が前置きも無く言い出した。

『義父上。何を弱気な』

『自分の身体の事は自分でよく分かっている。故に、皆に今から言い遺す言葉を遺言として心に留めるが良い』

 曹騰は遺言と言うので、曹嵩は何も言わず傾聴する体勢を取った。

 それを見て他の者達も同じような体勢を取る。

『儂の財産は嵩と阿瞞の二人で分けるが良い。後は好きにするがいい』

『他には?』

『後は各々に言いたい事がある。まずは嵩』

『はい。義父上』

『お主はさっさと隠居して余生を楽しめ』

『は、はぁ。分かりました』

『次に阿瞞』

『はい。祖父様』

『お前は好きに生きろ』

『はい』

『次は丁殿』

『はい』

『不肖の孫が色々と迷惑を掛けるだろうが。出来る限りで良いから夫婦円満でいてくれ』

『分かりました』

『次は卞殿』

『はい』

『お主は阿瞞の助けになってくれ』

『はい』

『最後に昂』

『はい。曾祖父様』

『我が曾孫よ。この先、どんな事があるか分からぬが思うがままに生きるが良い』

『……はい。曾祖父様』

『ふぅ、これで終わりじゃ。少し疲れた。下がって良いぞ』

 曹騰は皆に下がる様に命じたので、皆部屋から出て行った。

 曹昂が生きている曹騰に会ったのはこれが最後であった。

 この数日後。曹騰は眠る様に息を引き取った。

 亡くなった当初は涙で目を濡らした曹昂。

 大好きで信頼できる曾祖父が亡くなったという悲しみが心を支配した。

 その慟哭を聞いてか、その日は一日中雨が降った。

 まるで、空が曹騰の死を惜しんでいるかの様であった。

 酒を飲めない曹昂は心の中で、今までありがとうと思いながら水を飲んだ。


 数刻後。


 弔問客も帰り、夜になっていた。

 使用人達も休んでいる時間なので静かになった屋敷の庭で曹昂はぼーっとしていた。

 葬式でバタバタしていたので、少し休憩を取っていた。

 自室ではなく庭なのはこちらの方が安らぐからだ。

 そうしてぼーっとしていると。

 何処からか話し声が聞こえて来た。

 もう弔問客も帰り使用人も寝ているというのに誰が話しているんだと思い、曹昂は声が聞こえる方に歩き出した。

 そうして歩いていると、曹昂は明かりがついている部屋を見つけた。

 其処から話し声が聞こえて来た。曹昂は聞き耳を立てた。

『天下の乱れは正さねばならないっ』

『そうだ。だから、我らは霊帝陛下を退位させて、新しき皇帝を立てるべきだ』

『既に誰を新しい皇帝に立てるかは決まっている。孟徳殿。お主も賛同してくれまいか?』

 その話を聞いて衝撃を受ける曹昂。

 まさか、自分の家で霊帝を退位させるという言葉が出て来るとは思わなかったからだ。

 話している者達の声は聞き覚えの無い声なので、恐らく曹操がまだ曹昂に紹介していない知人か何かだろうと思う曹昂。

『……』

『孟徳殿。返事を聞かせてもらおうか?』

『貴殿らは伊尹、霍光、呉楚七国の乱の事をどう思う?』

 曹操が答える前にそう訊ねて来た。

 伊尹は古代中国の王朝の殷の名臣であった。

 夏王朝を滅ぼす際に活躍したが自分の主君を追放するという事をした事で有名だ。

 霍光は前漢の政治家でこちらも同じく自分の主君を追放して、自分の都合の良い主君を立てた。

 余談だが、霍光が最初に仕えた昭帝は皇帝になった時は八歳であったので流石に幼過ぎるという事で、即位当初に霍光に政権を委ねる旨の詔を発したが、その際に用いられた文言「関あずかり白もうす」が後に日本の関白の由来となっている。

 呉楚七国の乱は前漢の時代に起こった宗室である劉氏同士の内乱だ。

 乱が起こった原因は諸侯の権力を徐々に奪っていった事で内乱が起こったとされているが、晁錯という臣下が宮廷を掌握した事で皇帝や実権者の個性に大きく振り回される政治が行われた事で起こったとも言われている。

 ちなみに、晁錯が文帝に出した奏上文の中に『朝令而暮改』という一句がある。後にこれが『朝令暮改』という熟語になった。

 曹操が何を言いたいのかと言うと、臣下の分を越えた行動を取らない方がいいと言いたいのだ。

『……ふん。つまりは我らに賛同しないと?』

『まぁ、そうなるな』

『そうか。では、失礼する』

 曹操に話をしていた人達が立ち上がる気配がしたので、曹昂は慌てて物陰に隠れた。

 部屋の戸が開くと、話をしていた者達が曹操に対して文句を言っていた。

「ふん。折角、誘ったと言うのに」

「乱世の奸雄の名が聞いて呆れるわっ」

 そう言いながら離れて行った。

 話し声が聞こえなくなると、曹昂は物陰から顔を出した。

「やれやれ、弔問に来て、そんな話をするなんて、あの人達は常識が無いのかな?」

 曹昂は呆れていた。

 そして、明かりがついている部屋を見た。

『…………弔問に来たのかと思えば、あのような馬鹿げたことを言うとは。呆れてモノが言えんな』

 そう呟いた後で溜め息を吐いた。

『……私を阿瞞と呼ぶ人が一人いなくなったな……』

 そう呟いた後、部屋から声を押し殺した泣き声が聞こえて来た。

 曹操も曹騰の死を悲しんでいるという事が良く分かった。

 曹昂はそっとその場を離れた。


 数か月後。


 卞蓮が妊娠した事が分かった。

 それを訊いた曹操は思わず「祖父様の生まれ変わりかもな」と呟いた。

 その呟きを聞いた皆は笑い出した。

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