我慢の限界
曹昂が陽安県に到着し十数日が経ったある日。
城の見張から、曹の字を掲げた一団が城に向かって来るという報告が曹昂の元に届けられた。
「援軍が来たか。旗には他に何が立てられていた?」
「はっ、報告によりますと蔡の字と関の字の旗が掲げられていたとの事です」
「ふむ。関は分かるが、蔡か。誰だろうか?」
曹昂は誰か居たかと思い出していると、側にいる劉巴が教えてくれた。
「恐らく、蔡陽将軍だと思われます」
「ああ、成程」
誰なのか教えてもらい納得する曹昂。
(関羽だけでも良かったのだけど、一応援軍としての体を成す為に蔡陽も付けたのかな? まぁ会ってみれば分かるか)
曹昂は直ぐに人を遣り、その一団の元に向かわせた。
数刻後。
城の大広間の上座には曹昂が座っていた。
李通が左側に立ち、右側には劉巴が立っていた。
他の者達も列を作っていた。
曹昂の前には関羽と蔡陽が膝をついて一礼していた。
関羽は蔡陽の後ろに居るので、どうやら蔡陽が軍の将で関羽は副将として付いて来たのだと察する曹昂。
「遠路からよく来られた。蔡将軍」
「はっ。丞相の命により、兵五千を引き連れて参りました。如何様にお使い下さい」
蔡陽が頭を下げると、関羽も倣うように頭を下げた。
そう言うのを聞いた曹昂はその言葉に従う事にした。
「では、将軍。命を出す。副将の関羽と三千の兵を貸して貰おうか」
「関羽をですか? ……承知しました」
蔡陽は関羽を使うと聞いて、嫌そうな顔をしたが、主筋の命令なので従う事にした。
「関羽、貴殿にも命じる。高順、趙雲と二千の兵を与えるので、その軍勢で劉辟の軍勢を打ち破って参れ」
曹昂がそう命じると、その場がざわつきだした。
「恐れながら、陳留侯。それは些か無理だと思います」
そう言葉が聞こえると、室内にいる者達はその声が聞こえた方を見た。
視線の先にいたのは李通の家臣である趙儼であった。
曹昂は何も言わず、趙儼を見ていた。
「今の劉辟の軍勢は一万以上と聞いております。流石に関羽と言えど、それだけの軍勢を蹴散らすなど無理があると思います。ですので、此処は全軍を持って劉辟の軍勢を蹴散らすのが良いと思います」
「……お主の名は?」
「はっ。私は趙儼。字を伯然と申します」
「そうか」
名乗った趙儼の名前を聞いた曹昂は表情にこそ出さなかったが、内心では。
(おおおっ、趙儼と言えば、凄まじく調整力がある武将じゃないか。そうか李通の元に居たのか)
結構な大物と会う事が出来て曹昂は喜んでいた。
「成程。趙儼殿の言う事も一理ある。しかし」
曹昂は関羽を見た。
「関羽殿であればそれだけでも十分でしょう。どう思われる?」
曹昂が関羽に訊ねると、関羽は顔を上げた。
「はっ。それだけの兵と将を指揮出来るのであれば、この関羽。例え数万と言えど打ち破ってご覧にいれます」
「宜しい。では、直ぐに準備を。ああ、そうだ。我等はここら辺の地理については不透明であったな。李通殿。誰か案内できる者が欲しいな」
曹昂が李通に訊ねると、李通が答える前に一人の男が前に出た。
「貴殿は?」
「失礼しました。わたしは陳到。字を叔至と申します」
一言謝った後、一礼する陳到。
その名前を聞いて、曹昂は顎を撫でた。
(おおっ、忠節勇武な武将として称えられた男じゃないか。李通に仕えていたのか。こいつは良いなっ)
後で李通に配下にくれないかと声を掛けてみようと思う曹昂。
「自ら名乗り出て来たのだ。では、貴殿にお任せしよう。では、関羽よ。任せたぞ」
「はっ」
関羽は一礼するとその場を離れ、名を言われた高順と趙雲も一礼し離れて行った。
三人を見送る曹昂に劉巴が訊ねて来た。
「あの趙儼という者の意見ではありませんが、もう少し兵を与えても問題無いのでは?」
劉巴がそう訊ねて来るのは、曹昂と劉辟が裏で通じているという事を知らなかったからだ。
その事を知っているのは曹昂以外では、三毒の者達と荀彧しか居なかった。
「・・・・・・大丈夫だ。関羽程の武勇があれば十分だ」
曹昂は問題無いだろうと言うと劉巴は少しだけ心配そうな顔をしていた。
二日後。
関羽は高順と趙雲と道案内として陳到を連れて五千の兵と共に城を出立した。
城を出立して暫くすると、ある平原で劉辟率いる軍勢一万と接敵した。
正面から睨み合う両軍であったが、関羽が。
「攻撃せよっ」
関羽は取り敢えず攻撃してみて、敵はどの程度の練度を持っているのか調べてみた。
その命令に従い右翼の趙雲。左翼の高順が攻撃した。
中央の先鋒は陳到が務めて、その命令に従い攻撃を仕掛けた。
「私に続け!」
その号令と共に駆ける陳到。
向かって来る陳到に敵兵達は怯えつつも槍を構えた。
だが、陳到が手に持っている得物を横薙ぎ一閃すると、敵兵達は吹き飛ばされるか身体を切り裂かれるかのどちらかであった。
「陳到様に遅れるなっ」
「陳到様に続け!」
先鋒の兵達は陳到の武勇を見て、気合を入れながら突撃した。
陳到はそのまま突き進み続け、中軍にまで達すると。
「ひいいいいっ、これは敵わんっ、逃げろ‼」
陳到の勢いに恐れた劉辟は馬に跨るなり、その場から逃げ出していった。
残された兵達は将が居なくなった事で混乱しだした。
「ぬぅ、これは一体、どういう事だ?」
攻撃を命じた関羽は敵軍が混乱しているのを見て、不思議な顔をしていた。
攻撃を命じたのは敵の練度がどの程度か見る為であった。
練度が高ければ、一度退いて援軍を乞う予定であった。
その予想に反して、劉辟軍は一戦するなり混乱するのを見て、関羽の方も混乱してきたのであった。
「右翼から伝令。敵は混乱状態。総攻撃を仕掛けるべきとの事ですっ」
「・・・・・・そうだな。良し、総攻撃を仕掛けよ。鉦を鳴らせっ」
伝令の話を聞いた関羽は気を取り直して、総攻撃の命令を下した。
関羽も馬に跨り攻撃に加わった。
数刻後には、敵味方問わず多くの兵の屍が大地に横たわり血で染めていた。
関羽は捕虜と戦利品と共に陽安県へと帰還した。
それから、数日後。
陽武の地に布陣している袁紹の元に衝撃的な報告が齎された。
「何だとっ、汝南郡で暴れていた劉辟が敗れただとっ」
汝南郡で劉辟という者が、曹操に反乱を起こしているという情報を入手した袁紹はすぐさま汝南郡で暮らしている知人友人に文を送り、反乱の手助けをして欲しいと頼んだ。
その知人達は袁紹の頼みを聞き入れて劉辟の反乱に手を貸した。
汝南郡の東半分を支配下に治める事が出来たという報告に喜ぶ袁紹。
これで、曹操も背後に気を掛けねばならないだろうと思っていた矢先に、この報告であった。
「だ、誰が、劉辟を破ったのだ?」
「はっ。報告によりますと、劉辟を破った軍を率いていたのは関羽との事ですっ」
「なにっ、また関羽だと⁉」
関羽の名前を聞いて袁紹は驚きと怒りが同時に沸いた。
「敗れた劉辟は行方不明。劉辟に手を貸していた者達は次々に捕まり、財産を奪われ一族の者達と共に追放されるか処刑されるかの、どちらかだそうです」
兵は報告を続けたが、袁紹は無言で手を振る。
それは出て行けと言う意味だと察した兵は一礼し離れて行った。
「また、関羽か。おのれっ、劉備の義弟だと言うのに、劉備の世話をしている私に、何処まで面倒を掛けるつもりだっ」
袁紹は天幕の中にある物に当たり散らしながら怒鳴り続けた。
暫くすると、袁紹の怒りは収まったが、荒い息をついていた。
「・・・・・・もう、我慢ならんっ。もはや、劉備など何の役に立たん愚か者だっ。誰か居るかっ⁉」
袁紹は天幕の外に居る警備の兵に声を掛けた。
「殿。お呼びで?」
袁紹が天幕の中で暴れている事に気付いていた兵は天幕の中の惨状を見ても、何も言わず袁紹の前で膝をついた。
その兵に袁紹は立て掛けている剣を鞘ごと掴み、兵に放り投げた。
「この宝剣を審配に届けよっ。そして、この剣で劉備の首を斬り、私の元に届けろと伝えろ!」
「承知しました」
剣を受け取った兵は一礼し天幕から出て行った。
そう命じた袁紹はようやく怒りが解けたようで、天幕の外に出て、兵に天幕の中の掃除を命じた後、そのまま郭図の天幕に向かう。
郭図に会い、酒を交えながら談笑していた。
その話の最中で、審配に劉備を殺すように命じた事とそう命じた理由を一緒に告げた。
「おお、それは良いかと。何時、敵に寝返るか分からない者です。この際、殺しておくのが良いかと」
郭図が反対する事もない反応を取るので、袁紹も自分の判断が間違っていないのだと思い気持ち良く酒を呷った。