悲劇の種は巻かれていた
感想欄に書かれているご指摘を受けまして、少し話を修正します
時は遡り、建安五年四月。
揚州呉郡曲阿県。
県内にある城の大広間にて、上座に座る孫策が家臣達の列の間に居る者を睨みつけていた。
その者は孫策の部下で呉郡太守である許貢であった。
許貢は顔に焦りを浮かべながら跪いていた。
「お召しにより参りました」
「よく来た。許貢」
一礼する許貢に孫策は睨みつけたまま、許貢に挨拶を交わした。
「……本日はどの様な件でお呼びに?」
何の用で呼んだのか訊ねる許貢。
周りの家臣達は無言だが、何か言いたそうな顔をしていた。
「うむ。実はだな・・・」
孫策は話しながら、書几の上に置かれている一枚の紙を掲げた。
その紙を許貢は不思議そうに見ていたが、直ぐに何なのか分かったのか目を見開いた。
「この紙はある者が朝廷に送った物だ。これが運ばれる途中、私の部下がこれを持っている者を捕らえた。その者が言うにはこれを送るように命じたのは、許貢。お前だそうだが?」
孫策はそう問い掛けるが、言葉には確信があるように聞こえた。
「……私はその様な命令を下した覚えがありません」
許貢は白を切った。
それを聞くなり孫策は顔を忌々しそうに歪めた。
「ほぅ、そうか」
孫策はそう言った後、紙を広げた。
「では、此処に書かれているお主の名前はどういう事だ?」
孫策は広げた紙の端に指を突き付けた。其処にはしっかりと許貢と書かれていた。
「だ、誰かが、私の名を騙ったのではないでしょうか?」
自分でも苦しい言い訳だと思うものの、そう述べる許貢。
「ほぅ、では此処に書かれている『孫策の勢いは項羽と似る。此処は恩寵を与え、都に召還すべき。もし召還せず地方に放ったままにしておくと、必ず禍いを招きます』と書かれているが。知らんのだな?」
「全く身に覚えがありませんな」
「以前、お前が私を傑出した勇武の持主であり、西楚の覇王項羽と似たところがあると零していたそうだが、この文にも偶然にも同じ事が書かれているな?」
孫策はもう誰が書いたのか分かっていると言わんばかりの言い方であった。
「……私はその様な文など知りませんっ」
許貢も、もう自分が書いたという事が知られたなと思いつつも、決して文を書いたとは認めなかった。
「貴様⁉ 飽くまでも認めぬと言うのだなっ。もう良いっ。誰か、此奴を外に連れ出して縊り殺せ! 此奴の家にも兵を送り、一族の者達を一人残さず殺せ!」
孫策の命令を聞いても、許貢は悔しそうな顔を浮かべたものの、弁明も命乞いもせずに兵士に連れていかれた。
許貢が連れていかれるのを見て、家臣の列に居る程普が前に出た。
「殿。もう少し詰問してから刑を執行しても良いのでは?」
「黙れっ。程普、許貢はこの文を朝廷に送ろうとしたのだぞ。今の朝廷は曹操が支配している。即ち、曹操と内通しているのと同じ事だ。裏切り者には死刑を。その一族の者達にも同様の目に遭わせるのは当然の事だ!」
孫策は怒号を程普にぶつけた。
「しかし」
「もう決めた事だ。聞く耳は持たん!」
孫策は話す事は無いとばかりに上座から立ち上がり、部屋を後にした。
家臣達も部屋を出ていく中、程普は部屋に留まり、溜め息を吐いていた
「浮かない顔を浮かべているな。程普」
「まぁ、気持ちは分かるがな」
程普に声を掛けるのは朱治と黄蓋の二人であった。
二人は程普と共に先代の孫堅の代から孫家に仕えて気心が知れている者達であった。
「どうも、殿はやる事が過激すぎる」
「何かにつけて粛清するからな。家中でも、殿に対して戦々恐々しているわ」
「主君が恐れられる事は悪い事ではない。だが、殿のやり方はあまりに血を流し過ぎている」
程普は嘆きながら首を振る。
「揚州呉郡の四姓の一つである陸氏一族に惨い事をした事で、他の顧氏、張氏、朱氏は協力はしてくれぬぞ」
「はぁ、あれには困ったものだ」
「お蔭で家中には三氏の者達は一人も居ないからな」
程普達は酷く嘆いていた。
揚州の呉郡には、呉の四姓と言われる有力な名家が居た。
その影響力は呉郡だけでは無く江南一帯に及んでいた。
五年前の建安元年。孫策は揚州に来たばかりの頃。
呉郡の四姓の一つである陸氏一族を率いていた陸康は当時はまだ強大な勢力を持っていた袁術に居城である舒県を包囲攻撃されていた。
前年から城が包囲された為、舒県は陥落寸前であった。
陸康は何とか生き延びる方法を探しているところ、孫策が劉繇を倒し曲阿県を手に入れたという報告を訊いた。
その報告を訊いた陸康は孫策に一族の者達の保護を願い出た。
願い出た理由は、一時期ある理由で孫策達一家を舒県に住まわせて世話をした事があったので、その縁で助けてくれると思ったからだ。
だが、孫策はその願いを断った。
これには訳があった。
中平四年の黄巾の乱が勃発した頃、今は亡き孫策の父である孫堅は陸康の従子を黄巾賊から救った事があった。
その縁で孫策達は一時期、陸康の居城である舒県に住んでいた。
孫堅から、陸康に会って顔を覚えて貰えば何か良い縁があるだろうと言われたので、孫策は陸康に謁見を申し出た。
だが、陸康からしたら従子を救ってくれた事には感謝して世話はするが、氏素性が定かではない孫堅の息子に会っても何の得にもならないと判断して、自分は会わず別の者に応対させていた。
後になって、孫策はその事を知り陸康に恨みを持つ様になった。
その陸康が頼み込んできたので、孫策はその願いを突っぱねた。
それが影響したのか、舒県は陥落。
陸康とその一族の者達は城から逃げる事が出来たが、一月後には陸康は病死し、一族の者達も大半は故郷に辿り着く前に飢えにより餓死した。
孫策はその報告を訊いてもいい気味だと笑ったが、他の四姓の顧氏と張氏と朱氏は違った。
三つの氏族は孫策の統治の協力を断った。
孫策は激怒したものの、相手が相手だけに滅ぼす事が出来ず、取り敢えず何もしない事にした。
ちなみにこの場に居る朱治はその一族の出ではない。
「お蔭で何処を制圧するにしても、血が流れる」
「これで周瑜の家と全柔の家が協力してくれねば、もっと血が流れていたのかも知れぬな」
黄蓋がそう述べると、他の二人も頷いた。
周瑜の家は廬江郡の周氏一族で、一族の者から三公の大尉を出した事もある名家であった。
全柔の家である全氏一族は呉郡でも有名な名家であった。名声は四姓には劣るものの、揚州内では強い影響力を持っていた。
「殿は人を安易に殺し過ぎてはいないか?」
「確かにな」
「此度の許貢の件とて、もっと調べて曹操と内通している証拠を見つけてから処罰しても良いと思うが」
「大殿もそうであったが、殿も気が短い性格であるからな。其処まで調べるのが面倒だと思ったのであろう」
「このまま、何も無ければよいが」
三人はそう願った。
だが、その願いが叶う事は無かった。