友の死
建安五年五月。
袁紹軍と曹操軍の戦いが始まり一月が経ったある日。
豫州沛国譙県。
県内にある屋敷の一室に多くの人達が集まっていた。
その部屋には寝台が置かれており、その寝台には四十代後半の男性が横になっていた。
頭には病鉢巻が捲かれており、顔色も青色を通り越して土気色であった。
その男性は苦しそうな顔で呼吸していた。
寝台で横になっている男性は曹操の竹馬の友である丁沖であった。
「父上。お気を確かに」
そう丁沖に声を掛けるのは二十代の男であった。
髭は生やしていなかったが、整った顔立ちをしていた。
良く見ると、片目が小さいようであった。
男の名は丁儀。字を正礼と言い、丁沖の長男であった。
丁儀の後ろには弟の丁廙とまだ正式に式は挙げていないが丁儀の妻になる事が決まっている曹清が居た。
曹清の隣には丁沖の妹で曹清の母でもある丁薔の姿もあった。
「先生。兄の容体は?」
丁薔は寝台の近くにいる男に声を掛けた。
男こと張機は当代では名医と謳われている男であった。
その張機が首を振った。
「元々、身体が強くないところに過度な飲酒をした事で、全身に酒毒が回っており、私の力でもどうする事も出来ません」
手の施しようがないと言われた丁薔は愕然とした。
そして、直ぐに怒りが沸き、怒声をぶつけようと口を開こうとしたが。
「そうか、もう長くないか・・・・・・」
横になっている丁沖は弱弱しい声を上げた。
「父上‼」
「父上⁉」
「義父様っ」
「兄上!」
丁沖の声を聞いて、張機以外の者達は寝台に近付いた。
「・・・・・・吉利と子脩は・・・・・・?」
丁沖は周りを見るなり、そう訊ねた。
「旦那様は袁紹との戦いでこちらに来る事は出来ません。子脩には来ない様に私が厳命しました」
丁儀からの手紙で、もう長くないかもしれないという文が届いた時、曹昂も丁沖の元に行こうとしたのだが、丁薔が止めた。
『旦那様から言いつけられた役目を放って行ってはなりません!』
とビシッと言うと、曹昂も行くのを取りやめた。
「そうか、そうか・・・・・・それで良い。初めてお前を褒めたくなったぞ。妹よ・・・・・・」
「兄上。それは流石に酷いですよ」
丁沖の言葉を聞いた丁薔は呆れていた。
「良い。飲んだくれの親族の最期を看取るために、お勤めを蔑ろにするなど元も子もないからな」
己を卑下しつつ笑う丁沖。
「・・・・・・丁廙」
丁沖は一息吐いた後、次男の丁廙を呼んだ。
「はい。父上」
「兄と共に吉利に仕えよ」
「はい・・・」
「それから、丁儀」
話が終わると次は長男の丁儀を呼ぶ。
「何でしょうか。父上」
「お前に言う事も一つだ。妻を大事にしろ。蔑ろにすれば、お前だけではなく一族の者達も害が及ぶと知れ。だが、妻を大事にすれば、我が一族は長く栄華を極める事が出来る。そう心得よ」
「はい」
「よし。後、お前に渡した文はちゃんと届けるのだぞ」
「承知しております」
頭を深く下げる丁儀。
「曹清・・・・」
「はい。義父様」
丁儀との話を終えると丁沖は曹清に近付くように手招きする。
「至らぬ所が多々ある息子だが、どうか支えて欲しい」
「勿論、分かっております」
「そうか・・・・・・妹よ」
丁沖は実の妹の丁薔を呼んだ。
「はい、兄上」
「吉利と仲良くするのだぞ」
「・・・・・・はい」
丁薔は深く言葉を噛み締めた。
もう話す事は終えた様で丁沖は天井を見た。
「・・・・・・それなりに長く生きたが、あと数年生きたかった。その頃には吉利が天下を治めている姿が見れたかも知れなかったからな・・・・・・・・・・・・」
そう呟いた後、丁沖は目を閉じて息を吐いた。
その後微動だにしないので、張機は丁沖の鼻元に手を当てて、胸を見た。
鼻も胸も動いておらず、軽く揺すっても反応は無かった。
張機は無言で首を振った。
すると、丁儀達の目から涙が零れだした。
数日後。丁沖の葬儀が行われた。
喪主は丁儀が務め葬儀は静々と行われた。
丁沖の死を知らせる為に、曹操と曹昂の元へと駆けて行った。
官渡城内で曹操は自分が寝起きしている部屋で、その知らせを受け取った。
「ご苦労。少し休んでから帰ると良い」
伝えに来た者を労い下がらせた曹操。
そして、直ぐに酒を用意する様に命じた。
盃と酒が入った容器が置かれると、曹操は使用人達を下がらせた。
部屋には曹操一人だけとなった。
曹操は手酌で盃に酒を注いだ。
「馬鹿者が。あれほど、酒を飲むのは控えろと言ったというのに・・・・・・」
数年前に会う機会があった時、顔色が悪いので酒を控えろと言ったのだが、聞き入れられなかった事に曹操は溜め息を吐いた。
そして、曹操は盃を掲げた。
「天から見ているが良い。私が天下を手中に治める光景を」
曹操は盃の中に入った酒を飲むと、お代わりをして容器に入った酒が無くなるまで飲み続けた。
曹操が知らせを受けた同じ頃。
曹操が知るよりも早く伯父である丁沖の死を知った曹昂は涙を流した。
葬儀には母である丁薔と妹の曹清が代理として出ているので、曹昂は一頻り泣いた後、職務に励む事にした。
そして、部下と話をしていた。
「例の計画の進行状況は?」
「何時でも開始できます」
「よし、では開始せよ」
「はっ」
曹昂の命に従い、部下の一人が下がると、別の部下が部屋に入って来た。
何やら慌てた様子であった。
「急報です。揚州に居る者達から急ぎの通達です」
「何かあったか?」
「はっ。揚州一帯を支配下に抑えていた孫策が数日前に亡くなったとの事です!」