一進一退
戦が始まり数日が経った。
袁紹と曹操は緒戦以降、お互い動かず相手の動きを注視していた。
このまま長期戦になるかと思われたところで、郭図が策を進言してきた。
「・・・・・・そうだな。このまま睨み合っていても勝つ事は出来んからな。直ぐに行動せよ」
「はっ」
郭図の策を聞いた袁紹は許可して行動を開始させた。
曹操軍が布陣してる官渡城。その名の由来である城の前には官渡水が流れていた。
その官渡水を濠の様に扱いつつ、城の周りには自軍の陣地を布く曹操軍。
陣地を作っている最中、袁紹軍が出陣し岸を隔てた所まで来た。
袁紹軍襲来の報告を訊いた曹操は直ぐに兵達に迎撃できる様に命じた。
河を渡り、攻め込んで来る袁紹軍に備え曹操軍の兵達は慌てて、槍衾を作りその後ろに矢を番えさせた。
されど、袁紹軍が河を渡って来る様子を見せなかった。
袁紹軍の兵達の手には袋が握られていた。
その袋の口を緩め大地に流れて出て来たのは土であった。
袁紹軍の兵達が次々に土を出していくのを、曹操軍の兵達は唖然としながら見ていた。
やがて、持って来た袋の土を全て出し終えると、今度は鍬を使って形を整えて行った。
時折、河から水を掬い掛けていき成形していった。
岸に来た袁紹軍の半分はそのよく分からない作業をし、残りの半分は曹操軍が攻め込んで来るのに備えて防備を固めていた。
弩を持った兵が多く、迂闊に河を渡れば弩の餌食になるのは目に見えていた。
曹操もそれが分かっている為か、河を渡れと命じる事は無かった。
やがて、土は成形されていき丘へとなった。
それで終わりかと思われたが、今度はその丘の上に木材を立てていき、今度は櫓を築き始めた。
櫓の方はその日の内に完成した。
そして、その完成した櫓に袁紹軍の弩弓を持った兵達が上がり矢を構え放たれた。
河近くの陣地には雨あられの様に矢が放たれた。
陣地に居た兵達は矢から逃げるか当たり倒れるかのどちらかであった。
それを見て曹操は出来るだけ河から離れろと命じた。
河から離れて行く曹操軍。
櫓を作る指揮を取っていた袁紹軍の将の孟岱が渡河を命じた。
袁紹軍の兵達は妨害を受ける事無く河を渡り、曹操軍の陣地を攻撃した。
「防げ‼ 敵は数だけ多い雑兵よ! 我等の敵ではない‼」
陣地を防衛してたのは鮑信であった。
馬に乗り、持っている得物を振るい懸命に指揮する鮑信。
其処に流れ矢が飛んできて、鮑信の肩に突き刺さった。
「ぐううっ」
痛みで顔を顰め、手で傷口を抑える鮑信。
「殿! 此処はお下がりを。後は私にお任せを」
「于禁か。済まぬが、頼むぞ」
鮑信はそう言って護衛の兵と共に治療の為に後方に下がって行った。
「此処は何としても落とさせるな! 者共っ‼」
主である鮑信を見送った于禁は味方を鼓舞するために槍を振るい袁紹軍の兵達を斬り伏せていった。
「于将軍に遅れるな!」
「将軍に続け!」
配下の兵達も于禁の奮戦に応える様に続いた。
その勢いに飲まれたのか、袁紹軍の兵達は後退を始めた。
「敵が引いたぞ! 追い打ちを掛けろ!」
于禁は追撃を命じたが、河の近くまで来ると対岸の櫓から矢が放たれて追撃が思うように出来なかった。
その夜。
城外の陣地に多くの被害が出たという報告を訊いた曹操は閉口していた。
「丞相。まずはあの櫓をどうにかしなければなりません」
夏候惇が他の皆を代表するかのように曹操に告げた。
「分かっている。だが、河を渡ろうとすれば、矢の餌食になろう」
曹操の意見に室内にいる者達もどうしたものかと頭を捻った。
其処に幕僚として従軍して来た劉曄が口を開いた。
「丞相。少しお時間を頂けるというのであれば、あの櫓を壊す事が出来ます」
劉曄がそう言うのを聞いて、曹操を含めた皆は劉曄の方を一斉に見た。
強い視線に晒されていても劉曄は少しも動じる様子を見せなかった。
「何か策があると言うのか? 劉曄」
「はっ。櫓を壊そうと近付けば攻撃されます。ですので、敵の弓矢が届かない所で攻撃するのです」
劉曄がそう述べるのを訊いて、その場に居た者達は失笑していた。
「そんな物がある訳なかろう‼ 投石機では遠すぎる。床弩でも無理であろう!」
従軍している将の一人である蔡陽が唾を撒き散らしながら怒鳴る。
だが、蔡陽の指摘も間違いではなかった。
この時代の投石機は固定式で移動する事が出来なかった。また、仮に作ったとしても袁紹軍の兵が黙って作らせる筈も無かった。
また、床弩もそこまで射程は長くはなかった。また、櫓を壊す事は出来ても、土台である人工の丘を壊す事は無理であった。
丘があればまた作られる可能性もあった。
それらの事から考えて蔡陽は無理だと言うが、劉曄は問題無いと言わんばかりに首を振る。
「であれば、移動する事が出来るようにすればよいのです」
「何だと?」
劉曄はそう述べた後、袖の中に手を入れて一枚の紙を取り出した。
既に図に描いてあった様で、その紙には投石機が描かれていた。
普通のと違うのは、車輪が付いており移動する事が出来る事であった。
「城内で作り、そして移動させて相手の矢が届かない所で、若君が作られた焙烙玉を乗せて放つのです。さすれば、櫓を破壊する事が出来ます」
「・・・・・・よし。劉曄、直ぐに制作に掛かれ」
「はっ」
曹操は劉曄に作る事を命じた。
三日後。
曹操軍の対岸に居る袁紹軍が築いた櫓には、弩弓を持った兵達が籠もっていた。
「敵は出てこないな・・・」
「城の中で怯えているんじゃないのか?」
「違いない」
自分達が居る櫓が築かれて以降、城外にあった陣地は放棄されて、兵達は城の中に籠もった。
このままいけば、敵は兵糧が尽きるか、もしくは味方が総攻撃して戦が終わるのでは?と思う兵達。
だが、その希望を壊すかの様に何かが移動する音が聞こえてきた。
「何だ?」
「さぁ?」
兵達は音が何処から聞こえるのか分からず、辺りを警戒していた。
すると、曹操軍が籠もる城の方から砂埃を上げながら、何かが近付いて来るのが見えた。
馬に引っ張られる物は投石機に似ていた。その数十数機。
だが、兵達が知る投石機は移動する事が出来なかった。
なので、有り得ないと思いながら見ていた。
そして、投石機達が十分に近付いた所で、棒の部分に付いている椀状に整形された容器に岩が乗せられた。
「放て!」
投石機と運んで来た兵を率いてきた者がそう大声で命じた。
すると、同時に棒の部分が動き岩が放たれた。
放たれた岩は放物線を描きながら、櫓へと近付いて行ったが、櫓に当たる事なく丘に落ちた。
落ちると、轟音と衝撃が櫓を震わせた。
「な、何だよ。あれは・・・・・・」
櫓に籠もっている兵は顔を引き攣らせながら言う。
「でもよ。外れたんだし、大丈夫だろう?」
「そ、そうだよな・・・・・・」
乾いた笑いを浮かべる袁紹軍の兵達。
先程の大岩を見て、どのくらいの距離が良いのか分かったのか将は前進を命じた。
少し前進した後、今度は容器に土器を乗せた。
その土器には紐が付けられており、その紐に兵は火を付けた。
「点火しました!」
「放て!」
兵の報告を訊いた将は命じると、棒の部分が動き土器が放たれた。
放たれた土器は放物線を描きながら、櫓に当たり轟音を立てて爆発し櫓を破壊した。
「ぎゃああああっっっ」
「うぎゃあああっ」
兵達はその爆発により焼かれるか爆発の衝撃で死んでいった。
次々に放たれる土器は、櫓だけではなく丘すらも破壊していった。
巻き上がる粉塵と共に袁紹軍の兵達の死体の一部も舞い上がった。
粉塵と血と肉の雨が袁紹軍の兵達に降り注いでいく。
数刻後。
櫓と丘は完全に破壊されていた。
それを見た曹操は感嘆の声を挙げた。
「見事だ。劉曄」
「はっ。有り難きお言葉です」
曹操が称えると、劉曄は嬉しそうに笑った。
「それで、その兵器の名は何と言うのだ?」
「は? そうですな。・・・・・・発石車で良いと思います」
曹操に訊ねられた劉曄は流石に名称まで考えてはいなかった様で、投石機に車輪があるので発石車と名付けた。
「そのままではないか。そうよな。……霹靂の様な轟音を立てる故に、霹靂車と名付けよう」
暫し考えた曹操は霹靂車と名付けた。
「良き名かと」
劉曄がそう言うので、曹操も嬉しそうに笑った。