策に嵌る袁紹
部屋を出た袁紹は護衛の兵を連れて、ある人物が寝起きしている館へと足を向けた。
先触れを出さずに来たので、館の使用人は袁紹の姿を見るなり、慌てて館へと駆けて行った。
暫くすると、その館で暮らしている人物が衣服を整えずに走って来て、袁紹の前まで来ると頭を下げた。
「本初殿に置かれましては御機嫌麗しく」
「そう畏まらないで結構だ。玄徳殿」
袁紹は頭を下げている玄徳こと劉備に、にこやかな笑顔で手を振った。
「今日は突然のお越しですが。何かありましたか?」
「ああ、うむ。お主に話したい事があってな。館に入ろうか」
「これは大変失礼いたしました。どうぞ」
劉備が袁紹に先に館に入るように促すと、袁紹は頷いた後館へと入って行った。
館にある客間に通されると、当然とばかりに上座に座る袁紹。
劉備は隣の席に座ると、使用人達が茶を持って来てくれた。
まだ、昼なので酒を飲む事を控えた袁紹達は、茶を一口啜った。
「玄徳殿。どうだ? この冀州は悪くない所であろう?」
「ええ、誠に豊かな土地と言えるでしょう。これほど肥沃な大地を見事に治める事が出来るのは、流石は名門袁家の御当主であられる本初殿だからこそ出来る事ですな」
あからさまなおべっかであったが、袁紹は悪くないと思ったのか、ただ笑うだけであった。
袁紹は茶を置いた後、身を正して劉備を見た。
「劉備殿。今日お主の元に来たのは、お主の意見を聞きたいと思い来たのだ」
「私の意見ですか?」
劉備がオウム返しの様に袁紹に訊ねると、袁紹は頷いた。
「そうだ。お主は食客の身分。私の配下の者達では出来ない広い目で物事を見る事が出来るであろう」
「はぁ、確かにその通りではありますが、私の様な者の意見など、とても」
劉備は断りを入れるが、袁紹は更に言葉を続けた。
「いやいや、お主は一時とは言え、曹操の下に居た事があるのだ。故に、曹操にとってはされては困るという事も知っているであろう」
袁紹はそう言うが、劉備は曹操の下に居たと言っても、其処まで親しくはしていなかった。
時折、宴に参加する様に命じられて話し相手になるが、其処まで重要な情報など手に入る事は無かった。
内心困っている劉備。
そんな劉備の気持ちなど知らず、袁紹は話を続けた。
「今、我が陣営は非常に困難な状況に陥っている。并州、幽州、冀州には反乱が起こり、青州には曹操の部下が攻め込んで来ておる。配下の者達は『曹操を討てば、反乱も収まり兵も退くだろう』と言う者も居れば、『今は守りを固め、反乱を鎮圧し内政に励み戦を避けるべき』と言う者も居る。玄徳殿はどちらの意見を取るべきだと思う?」
袁紹はジッと劉備を見ながら、そう訊ねて来た。
劉備も自分の考えを言っても良いのかどうか考えた。
(意見を尋ねられているのだから、自分の意見を言っても問題無いか)
そう思った劉備は口を開いた。
「意見を聞きたいと申されましたので、私見を申し上げさせて頂きます」
「うむ」
「まずは今は守りを固め、反乱を鎮圧し内政に励み戦を避けるべきと、どなたが述べたのか分かりませんが、その意見は一見安全な策かも知れませんが、私から見れば愚策です」
「ほぅ」
劉備がハッキリと断言するのを聞いた袁紹は感嘆の声を挙げた。
「如何に守りを固め、内政に励もうとも、曹操の事です。あの手この手を使い、本初殿の治められている四州に反乱を起こすでしょう。ですので、守りを固めた所で無駄でしょう」
劉備の意見を聞きながら、袁紹も一理あると思ったのか頷いた。
「それに如何に守りを固めても、反乱鎮圧の為に兵を分散させますので、どうしても戦力が分散してしまいます。抜け目ない曹操の事です、その隙を突いて北上してきます。流石の本初殿も防ぐのは至難だと思います」
「むぅ、確かにそうかも知れんな」
「ですので、此処は一度曹操を攻撃し完膚なきまで叩きのめすのです。さすれば、今反乱を起こしている者達も二度と反乱などしないでしょうっ」
劉備はそう強く断言した。
「そうか。お主はそう思うか。・・・・・・良しっ」
劉備の意見を聞いた袁紹は腹を決めたとばかりに立ち上がる。
「曹操と戦おうぞっ。玄徳殿も戦に参加し、私の勝利した姿をとくと見るのだぞ!」
「はっ」
袁紹は話は終わったのか、そのまま劉備に一言言ってその場を後にした。
城に戻った袁紹は直ぐに家臣達を集める様に命じた。
少しすると、朝議を行う部屋に袁紹の家臣達が集められた。
家臣が全員集まったのを見て、袁紹はその場で曹操と戦う事に決めたので、戦の準備をせよと命じた。
家臣達はその命令に従い声を上げたが、一人田豊だけ逆らった。
「お待ち下さい。今は足元が疎かになっている状態で戦をするなど以ての外です。此処は足場をしっかりと固めて、時勢を見極めるべきです!」
田豊はあくまでも戦は避けるべきだと言う。
田豊が此処まで戦を避けるべきだと言う理由は、内政に励みを国力を増すという事もあるが、同盟を結んだ劉表は領内で反乱が起きているが、その反乱が収まれば援軍を送る余裕は出来る。
そうなれば、曹操を挟み撃ちにする事が出来ると思い、田豊はそれまで戦を避けるべきだと思い進言したのだ。
「くどいぞ。田豊っ。もう決めた事だっ」
「ですが、殿。もう少し時勢を見極めてからでも」
「五月蠅いわ! 士気を下げる事ばかり言いおってっ。牢の中で頭を冷やすが良いっ。誰ぞ、田豊を牢に叩き込め‼」
「「はっ」」
「と、殿っ」
袁紹に命じられ、田豊は兵士に引きずられながら部屋を出て行った。
「ふん。曹操めを倒し凱旋した後で、処罰を下してやるっ」
袁紹は鼻息を荒くしながら、部屋を後にした。
家臣達は戦と言う事で意気込む中で、一人沮授だけはこの戦は負けると確信に満ちた思いが胸を支配していた。
自分の屋敷に戻ったら戦の準備と共に一族の者達に形見分けをしなければならないなと思いながら、屋敷への帰路に着いた。
屋敷に帰ると、使用人が出迎えに来た。
「ご主人様。文が届きました」
「文? まさか・・・・・・」
沮授は使用人の手の中にある文を受け取り、その場で封を開いた。
「やはりか・・・」
沮授はそう呟いた。
手紙にはハッキリと曹操の名前が書かれていた。
同じ頃。
袁紹の命令で牢に入れられた田豊。
どうか、袁紹が戦に勝てるように天に祈っていた。
(・・・・・・祈りはしても、恐らく負けるであろうがな)
心の中で思う田豊。
祈っている中で、背後で何かが落ちた音が聞こえた。
田豊は振り返ったが、誰も居なかったが代わりに一枚の紙が置かれた。
田豊はその紙を拾い広げた。
「・・・・・・これはっ」
広げられた紙には曹操に寝返れば、重く用いられる事が書かれていた。