予想以上の効果であった
数日後。
曹操が酒宴を開くので必ず参加する様にという招待状を百官に送った。
董承は曹操と酒を酌み交わしたくないので、病気がまたぶり返してきたので参加できぬと返事を送った。
だが、宴の日になるなり、曹操配下の兵士達が董承の屋敷を囲み始めた。
兵を率いる将は屋敷の門を叩いた。使用人が門を開けると、その将は屋敷の中に入り「曹丞相が是非とも参加して欲しい」と告げて来た。
使用人もそう強く言われては、自分の立場で断るのも難しいので、主に告げると言ってその場を後にした。
「曹操め。自分の退屈しのぎに、私を呼び付けるとは・・・・・・」
「どうなさいます。ご主人様?」
仮にも国舅である自分を無理矢理呼び出す傲慢さに董承は頭に血が昇らんばかりに激怒していた。
とは言え、此処で参加しないと言っても、何かしら理由をつけて参加させるだろうと予想する董承。
「……仕方がない、此処は参加するとしよう。服の準備を」
「承知しました」
使用人が一礼し離れて行くのを見送りながら、董承は溜め息を吐いていた。
此処で参加しないと言えば、何かよからぬ事を考えているのではと思われる可能性があった。
そんな事になれば、折角秘密にしていた血詔の存在が露見するかも知れなかった。
それだけは何としても避けたいと思う董承。
宴に赴いても問題無い服に着替えねばならないと思い、董承は服を着替える為に部屋を出た。
董承が居た部屋には血詔と血判状が隠されていたのだが、既に盗まれている事を董承は知らなかった。
数刻後。
丞相府の一室には百官達が集まっていた。
楽士が奏でる音楽と曹操の権力で集められた山海珍味が盛られた膳を前にして、皆顔を綻ばせて耳と舌でそれらを味わっていた。
皆が宴を楽しんでいる中で、血判状に名を書き連ねた董承、王服、种輯、呉碩、呉子蘭と言った者達は宴を楽しむ事が出来なかった。
曹操が開く宴なので、楽しめと言うのが難しいと言えた。
ぶすっとした顔で、酒には手を付けず膳に盛られている料理を一口、二口と箸をつける董承。
王服達も董承と同じく酒には手は付けなかった。
そんな董承達を上座で見ていた曹操は手を挙げて、楽士達の演奏を止めさせ立ち上がった。
「皆の者、今日の酒宴に参加して頂き感謝する。此処で面白い余興をお見せしよう」
曹操がそう言うと、皆は何をするのか分からなかったが、取り敢えず楽しい見世物だと思いながら談笑していた。
そんな百官達を見ながら、曹操は手で合図を送った。
その合図を見た兵士がその場を離れた。
暫くすると、薄汚れた格好の男性が兵士に引きずられる様に連れて来られた。
良い生地を使った服はボロボロになり、土で汚れて所々、赤黒いシミが出来ていた。
身体の方も赤く腫れており、血がこびり付いて固まっている所があった。
恐らく、服に付いている赤いシミは血の様だ。
そんな者が連れて来られるのを見て、殆どの百官は目を丸くした。
董承達は口を開けて、目を見開きながら連れて来られた者を見ていた。
兵士に連れて来られた者は、曹操の面前にまで来ると横になったままで立ち上がる様子を見せなかった。
「皆の者。此奴を知っている者もおるであろう。此奴は吉平。天子の身体を見る事もある医師でありながら、この私を殺そうと毒を飲ませようとしおった。私が知っているとも知らずにな。そして、今このように無様な姿を晒しているのだ」
倒れている吉平が、どうしてこの様な目に遭っているのか嘲りながら告げる曹操。
百官達は倒れている吉平を酔いが醒めた気分で見つめていた。
「・・・・・・おのれ、曹操。何故、私を殺さぬ。貴様は、人の情というものを知らぬのか・・・・・・?」
拷問で体中痛めつけられた吉平は苦しみながら、曹操を睨みつける。
吉平の人が殺せそうな視線を浴びても曹操は平然としていた。
「ふん。罪人が何を言うか。九本しかない指を、全て斬り落としてくれようか?」
曹操が残忍な笑みを浮かべつつ言うが、吉平は毅然としていた。
「例え、指を全て失おうと、貴様に阿る事など断じてせんわっ」
吉平がどんな目に遭おうと、何故曹操を毒殺しようとしたのか言わないとばかりに叫んだ。
その吉平の忠義に董承達は内心で賛辞を送っていた。
「よう言ったわ。ならば、その我慢がどこまで続くのか見せてもらおうか」
曹操は兵士達に吉平を拷問する様に命じた。
兵士達は持っている棒で吉平の身体を叩き始めた。
棒で叩かれた肉の音が部屋中に響いた。
吉平も痛みで悲鳴を上げる。
悲鳴と拷問が出す音に百官達は色を失っていた。
今迄拷問を受けていた所為か、吉平は直ぐに気を失った。
だが、曹操は気を失う事を許さないとばかりに、水を掛けて目を覚まさせろと命じた。
兵士が吉平に水を掛けると、吉平は息を吹き返した。
そして、また棒で叩くという拷問を始めた。
どれだけ叩かれても、吉平は悲鳴を上げるだけで、何も言わなかった。
あまりに惨い光景に百官達はその場を逃げ出そうとしたが。
「まだ、見世物は終わってない。退室は許さんぞ⁉」
出て行こうとした者達に曹操がそう言い放った。
更に部屋にある出入り口には曹操の身の回りを守る典韋、許褚が兵士と共に固めており、誰一人出る事が出来なかった。
部屋を出る事が出来ないので、百官達は席に戻り出来るだけ拷問を見ないように目を背けた。
その拷問は何時まで続くのかと思われたが、其処に丞相府の使用人が部屋に来た。
「陛下のお越しにございます‼」
部屋に入れないのを見て、部屋の前で大声でそう告げた。
その声を聞いて曹操は兵達に拷問を止めるように命じた。
暫くすると、献帝が曹昂を伴って部屋に訪れた。
献帝の姿を見て、百官達はその場で跪いた。
曹操も同じように跪いた。
部屋に入ってきた献帝は吉平が拷問されているのを尻目にしつつ、上座にいる曹操の下に向かった。
「陛下。玉体をこの様な所までわざわざお越し頂き、誠に申し訳ありません」
謝る曹操。
それを聞いて、董承達は何の為に献帝を呼んだのか分からなかった。
「何やら、朕を呼ぶ程の用事と聞いたが?」
「はい。これにございます」
曹操は袖の中に手を入れると、まず取り出したのは血詔であった。
それを見せつける様に広げた。
「なっ、あれは」
「どうして、曹操の手の中に?」
董承と王服達は自分達が見た血詔が曹操の手の中にある事に目を丸くしていた。
「それはっ⁉」
「これはある者が所持していた物にございます。陛下、御答え下さい。これは陛下が書いた詔にございますか?」
曹操は優しい声で献帝に訊ねた。
それを聞いて、誰とも知らず百官達は唾を飲み込んでいた。
献帝は目を迷わせていたが、そんな献帝に曹昂がそっと囁いた。
「陛下。誓書に書いた事をもうお忘れですか?」
曹昂の囁きに、献帝は身体を震わせた。
「…………朕はその様な物は知らぬ」
献帝は少しの間、躊躇っていたが堂々とそう宣言した。
それを聞いて耳を疑う董承達。
「陛下⁉」
董承は献帝がどうして、その様な事を言うのか分からず問い質そうとしたが。
「ならば、この血で書かれた詔は偽造された物という事になりますな。そして」
曹操は勝ったと笑みを浮かべながら、袖の中に手を入れて一枚の紙を取り出した。
「この偽造された詔と一緒に置かれていたこの紙には名前が書かれていた。恐らく、詔を偽造した者達の一味であろう」
曹操はその紙を広げて、書かれている名前を読みあげた。
「車騎将軍 董承。長水校尉 种輯。偏将軍 王服。議郎 呉碩。将軍 呉子蘭。左将軍 劉備。涼州州牧 馬騰。太医 吉平か。ふん、どいつもこいつも逆賊ばかりだ」
曹操が呼びあげるのを聞いて、曹昂は手を掲げて兵に命じて董承達を曹操達の前に連れて来させた。
董承達は兵達に難無く捕まってしまい、曹操達の前に来て座らされた。
「おのれ、曹操。逆賊めがっ」
「逆賊? 逆賊は貴様等であろうが!」
种輯が曹操を睨みつけながら言うと、曹操は一喝した。
「畏れ多くも、詔を偽造するとは天すら恐れぬ所業。あの董卓も、十常侍ですらしなかった事をするとは、何たる悪行ぞ! この逆賊共が⁉」
曹操にそう面罵された董承達は怒りで顔を赤くした。
「何を言う、我等は」
「黙れ。逆賊! 貴様等が犯した罪は、陛下の権威を貶めるという不遜極まりない事。その様な者達の言葉など聞く耳は持たぬわっ」
曹操は兵士達に董承達を連れて行くように命じた。
董承達は兵士達に引きずられながら部屋を出て行った。
「陛下、何故にございます! へいかああああああぁぁぁぁぁ・・・・・・」
兵に引き摺られながら董承は悲痛な声で献帝に訊ねていた。
董承の声が耳に残っているのか、献帝は青い顔をしながら耳を塞いだ。
「ふん。逆賊が世迷言を」
そんな董承を鼻で笑う曹操。
「陛下。後はこの曹操にお任せを。逆賊共の罪を必ずや、明らかにしてご覧に入れます」
「・・・・・・其方に全て任せる。朕は休ませてもらう」
そう言って献帝は部屋を出て行き、丞相府を後にした。
この一件により、董承達と親しくしていた者達は軒並み捕まり、董承達の企てに係わっていないか調べられた。
結果、皆企てには関わっていない事が分かったが、曹操は董承達と親しいという理由で官職を取り上げ、一族を都から追放した。
その空いた官職には自分と親しい者か配下の者達を宛がった。
これにより、曹操の権力が増す事となった。
逆に献帝の権威が著しく低下した。
詔とは天子の命令、またはその命令を直接に伝える国家の公文書だ。
国にとっては政に係わる重要な文書であった。
それが偽造されるという事は、国の法を無視するのと同じ事であった。
詔が偽造されたという事に、漢王朝に忠誠を誓っていた者達は涙を流すか、見切りをつけて曹操に阿るかのどちらかであった。
また、董承達は尋問を受けながら、詔を偽造などしていないと叫び続けたが、帝である献帝が血詔など書いていないと言ったので、誰も聞き入れる事は無かった。
余罪が無いか徹底的に調べ終えると、血判状に名を記した董承達の一族は市中引き回しの末に三族皆殺しという目にあった。
董承の娘で献帝の側室であった董椿だけは帝の子を身籠っているという事で、刑の執行は延期となった。