武人が喜ぶ贈り物
丞相府の大広間には、既に宴の準備が整っていた。
後は関羽が来れば何時でも宴が始められるのだが、その肝心の関羽が来る様子が無かった。
宴に参加している者達は既に席に座っており、自分の前に置かれている膳を恨めしそうに見ていた。
「関羽はまだ来ぬのか?」
上座に座る曹操が使用人に訊ねると、使用人は「もう間もなく参ります」と答えた。
それを聞いても曹操は居ても立っても居られないのか、上座から立ち上がり玄関の方へと向かった。
関羽を出迎えに行くのだと直ぐに分かった。
「関羽を待つ丞相の御姿は、まるで恋人を待つ乙女の様だな」
この場に曹操が居ないからか、席に座っている誰かがそう呟いた。
その呟きに、皆は苦笑いするだけであった。
その席には曹昂も居たのだが、その呟きが面白いのか噴き出していた。
曹操が護衛の兵と共に玄関に着くと、丁度関羽が馬に跨りやって来た。
門を潜り、馬に跨り少し進ませると馬から降りた関羽。
曹操は関羽が乗っている馬を見て、目を細めた。
「関羽よ。お主の馬は随分と痩せているな。貴殿らしくもない。何故良い飼い葉を与えて肥やさぬのだ?」
関羽が乗って来た馬があまりに痩せているので、曹操は気になり訊ねた。
訊ねられた関羽は赤面しつつ答えた。
「御尤もなお言葉です。良き馬を飼い馴らすのも武人の嗜みにございますが、お恥ずかしい事に私めは身体が大きいので、大抵の馬は乗って行く内に痩せていってしまうのです」
「そうか。そういう訳か・・・・・・」
関羽の話を聞いて、曹操は何か思い付いた様な顔をしたが、直ぐに告げる事はなかった。
今は関羽が来たので、宴を行う方が先だと思い曹操は関羽を伴って宴が行われる部屋へと向かった。
宴が終わり、参加していた者達が帰る中、一人曹昂だけは曹操に呼び止められて部屋に通されていた。
「父上。お呼びとの事で参りました」
「よく来た。お主に相談したい事があって呼んだのだ」
「何でしょうか?」
部屋には曹操しか居ないので、袁紹か劉表に謀略を仕掛けるので、どの様な策を使おうか相談する為に呼んだのか?と思いながら、曹昂は訊ねた。
「実は、関羽の事なのだが・・・」
曹操の口から関羽の名前が出てきたので、曹昂は内心で呆れつつ、今度は何をやるつもりだ?と思いながら聞く体勢をとった。
「あやつが乗って来た馬だが、あまりに痩せている貧相な馬でな。関羽程の武人がそのような馬に乗っているのは少々目に余るのだ」
「はぁ、そうですか」
「其処でお前に相談がある。あやつに名馬を与えたいと思うのだが、どう思う?」
「・・・・・・そうですね。与えても良いと思いますよ。関羽はとても喜ぶでしょうね」
「そうであろうな」
曹昂が喜ぶだろうと言うのを聞いて、曹操もそうしようかと思っていたが。
「名馬を与えれば、劉備が何処にいるのか分かった時、その名馬の足で行く事が出来るのですから」
曹昂がそう言うのを聞いた曹操は面食らった顔をしていた。
「何をそんなに驚くのです? 関羽が我等に降る際に三つの事を約束したのを忘れたのですか?」
「・・・・・・ああ、お前に言われるまで忘れていたぞ・・・・・・」
曹昂が指摘すると、曹操は手で顔を覆いながら首を振った。
「むうう、しかし、関羽程の武人にあの様な馬に乗っている姿を世の人々が見れば、私を非難するかも知れんな」
曹操としては其処が問題だと言わんばかりに唸っていた。
自分の配下の馬すら用意できない事で、自分の度量が疑われるかもしれないと思っている様であった。
「・・・・・・おお、そうだ。お前の所の牧場はどうなのだ?」
曹操が何か思い出したのか、顔を上げるなり訊ねて来た。
「牧場のですか? 何頭か生まれはしたのですが。まだ一歳になっていないのですが・・・」
曹操がそう訊ねて来るので、曹昂は嫌な予感がすると思いつつ答えた。
「良し。仔馬であれば育つのに時間が掛かるな。それでいこう」
「いや、父上。それは」
曹操の言い方から、曹昂は何となく何を言うのか分かったので、慌てて止めようとした。
「別に良かろう。赤兎の血を引いた馬をやっても。赤兎はまだ健在なのだ。だから、これから先も幾らでも種付け出来るぞ」
曹操は気楽に言うが、曹昂はそれが大変なんだけどなと思う。
曹操が言う牧場とは前漢の武帝時代にあったと言われている汗血馬の牧場の事であった。
折角汗血馬を手に入れたので、曹昂は陳留の土地で牧場を作り、其処で汗血馬を繁殖させる事にしようと思い付いた。
呂布に命じて、赤兎に種馬になって貰い、数頭孕ませる事が出来た。
後は汗血馬を交易で手に入れて、繁殖させていきたいなと思っていた曹昂。
「やっと数頭生む事が出来たのですよ。これから増やそうとしているところで人にあげるのは流石に」
「種馬は健在であろう? ならば問題無い。と言う訳で、近い内にその数頭の中で一番良い馬を許昌に連れて来るようにせよ」
曹操がそう命じてくるので、曹昂は否応なく頷くしかなかった。
「ああ、そうだ。ついでに何か武器を送っても良いな。息子よ。そっちも頼んだぞ」
「・・・・・・分かりました」
ついでとばかりに依頼をする曹操に曹昂は不満たらたらな顔で答えた。
そして、丞相府を後にした曹昂は自分の屋敷に戻ると急いで文を認めた。
怒っている為か、字が書き殴った様に書かれていたが、読める字ではあった。
その文を人に持たせて陳留へと向かわせた。
文を持たせた者が部屋を出て行くと、曹昂はヤケ酒とばかりに酒を呷りだした。