流石は奇人だ
孔融が曹操に禰衡を推薦してから十数日が経った。
孔融の話では、そろそろ禰衡が許昌に着くだろうと告げた。
その話を聞いた曹操は丞相府の門番達に「客が来たら通せ」と命じ上機嫌で待っていた。
曹操はどの様な者が来るのだろうか楽しみにしながら待っていた。
その時、表で何か騒がしい声が聞こえて来た。
曹操は何事かと思っている所に、門番が曹操のところに来た。
「気狂いが一人、杖で地面を叩きながら門前で不届きな発言をしております!」
「不届きな発言だと? 何と言っているのだ?」
「は、はっ。丞相の悪口を並べ立てております」
門番が曹操の問い掛けに汗を掻きながら答えるのを聞いて、曹操は門番を睨みつけた。
「その気狂いを此処に連れて来い‼」
「はっ」
丞相府の隅にまで聞こえそうな程の怒声を挙げる曹操。
その怒声を聞いて門番は慌てて、その気狂いの下に向かった。
少しすると、門番が垢だらけの衣服を纏った二十代後半の男性を連れてやって来た。
顔が小さく髭は生やしておらず、髪は整えていなかった。
目には知的な光を宿しているのだが、同時に狂気を秘めていた。
その男性は曹操を前にしても、卑屈になる事も怯える事もせず堂々としていた。
それが却って門番からしたら狂っているとしか思えなかった。
「連れて参りました」
「ご苦労。下がって良いぞ」
門番が一礼し部屋を離れて行くのを見送ると、曹操はその男を見た。
「さて、お主が門前にて、私を罵倒していた者か?」
「如何にも」
思っていたよりも理知的な声で返答するので、男性に興味が湧いた曹操。
「名は何と言う?」
「禰衡。字を正平と言う者だ」
「なに? お前が?」
名前を聞いた事で曹操は目の前に居る人物が孔融が推挙した人物だと分かり、眦を決していた。
(・・・・・・いや、待て。どの様な目的でこの様な事をしたのか分からん。此処は目的を訊ねてから、どうするか決めても良いだろう)
殺す事は何時でも出来ると思い曹操は禰衡に訊ねた。
「お主、何故杖で地面を叩きながら、私の悪口を言ったのだ?」
「私はただ事実を述べただけの事。貴方が宦官の孫で背が小さく、人の妻を奪う事が好きなのだと」
禰衡は泰然としながら述べた。
「此奴めっ」
冷たい目付きで禰衡を見る曹操。
今にも兵に斬れと命じそうな程に怒気を発していた。
だが、同時に事実ではあるので、殺せばそれを認める事にもなる上に狭量の人物に思われると思い止まった。
此奴をどうするべきかと考えている曹操を尻目にしながら、禰衡は周りを見た。
「今日は誰もおらぬな。丞相府には人がおらぬのですかな?」
禰衡の癪に障る言い方に曹操はムッとしたが堪えた。
「ふん。明日、お主を出迎える様に皆に伝えていたのだ。明日来れば、我が配下の者達に会わせてやろう」
「それは楽しみですな」
そう言って禰衡は一礼し、部屋を出て行った。
禰衡が出て行くのを見送った曹操は使用人達に明日、禰衡を出向かえるので着飾って来る様に。武官の者達は必ず剣を帯剣してくるようにと怒りながら厳命した。
翌日。
丞相府には曹昂、荀彧、趙融、孔融、荀攸、程昱、郭嘉、張遼、許褚、楽進、李典、呂虔、満寵、徐晃、夏侯惇、曹洪、于禁他数十名の曹操配下の中でも名士名将が揃っていた。
ちなみに、于禁がこの場に居るのは彼の主である鮑信の代わりとしてこの場に居るのであった。
曹操を怒らせるとは、どのような人物なのかと思いながら皆は禰衡が来るのを待っていた。
待つ事暫し。
門番が「禰衡が参りました」と告げに来たのを聞いた曹操は無言で手を振り連れて来るように命じた。
門番は一礼しその場を離れ少しすると、禰衡を連れて戻って来た。
衣服が昨日と同じで、垢だらけであった。
全く綺麗にしていない衣服を着ている禰衡を見て、皆顔を顰めた。
禰衡が曹操の前に来て一礼し頭を下げた後、周りを見回した。
そして、口を開け呆けた顔をしていた。
曹操はそんな禰衡を見て、笑みを浮かべた。
「どうだ? 我が配下の多士済々たる私の配下は?」
「・・・・・・」
あんぐりと口を開けている禰衡。
驚いている様だなと曹操は思っている所に。
「・・・・・・人間が居ない」
「なに?」
禰衡の呟きが静かだがはっきりと、曹操達の耳に届いた。
「丞相。貴方の周りに居る者達が人間に見えるとは、これは可笑しい。ああ、可笑しい」
そう言って笑う禰衡。
暫しの間、静まり返った後、曹昂を除いた皆の肌が紅潮していた。夏候惇といった武官達は今にも剣を抜きそうな雰囲気を出していた。
曹昂は逆に感心していた。
(殺されるかも知れないのに、此処までの悪態をつけるとは。傲岸というのはこういう者を言うんだな)
度胸あるなと思いながら曹昂は、これからどうなるだろうと思いながら見ていた。