黎陽陥落
曹操が甘寧を呼び出したその日の夜。
雲はまばらにあり、半月が隠れたり姿を見せたりしていた。
袁紹軍が籠もる黎陽では厳戒体制で城を守っていた。
城壁には多数の兵が詰めていた。
篝火を多く焚かれており、その明かりで河を見ていた。
敵が夜襲を仕掛けても直ぐに対処できる様に目を皿の様にして見張っていた。
だが、長く対陣している事で兵達の士気は落ちていた。
戦に出たというのに、戦う事もせずにただジッと待って待機している中で戦意を上げろと言うのが無理と言えた。
これで小競り合いが起きていれば、緊張感を持つ事が出来るのだが、それすら起きていない。
兵達は弛緩した空気を出していた。
普通であれば、将か部将の誰かが引き締めるのだが、現在の袁紹軍は軍として機能していないので、誰もしなかった。
欠伸を噛み殺しながら河を見る袁紹軍の兵達。
その上空に数隻の船が浮かんでいると思いもしなかった。
「月だけであれば、影で敵に気付かれたかも知れないが、雲があって助かったな」
その船の一隻に乗っている甘寧が顎を撫でつつ部下に話し掛けた。
「ですな。まぁ、敵も空の上から攻撃を仕掛けてくるとは思いもしないでしょうね」
「確かにな」
部下の言葉に甘寧も同意とばかりに頷いた。
何せ、今自分達が乗っている『飛鳳』が空を飛んでいる事に驚きを隠せないからだ。
(う~む。あの時、曹昂様に付いて行こうと決めた自分を褒めたい気分だ)
甘寧は遠くを見ながら感慨深げに思っていると、部下が話し掛けて来た。
「殿。そろそろ、城の上空まで来ます」
「そうか。では、攻撃準備をしろ」
「はっ」
甘寧がそう指示すると、部下は箱を持っていった。
その箱は蓋を上下に開け閉め出来るように作られていた。
箱の中には火が灯された蜜蝋が入っていた。
部下はその箱を他の『飛鳳』に向けると、蓋を開け閉めしだした。
少しすると、箱を見せていた『飛鳳』から明かりが見えたり消えたりしていた。
これは夜間連絡用に作られた連絡手段であった。
モールス信号を基にした連絡なので、知らない者が見ても何をしているのか分からないので、問題無く使う事が出来た。
やがて、その信号を使い甘寧達『飛鳳』は黎陽の城門、内城の上空に到達した。
其処まで到達すると、風の流れにより雲が動き始めた。
徐々に無くなっていく雲。
やがて、雲が完全に無くなると、月だけが姿を見せた。
その月明りにより、袁紹軍の兵達は夜の暗さよりもなお暗い影で自分達の上に何かが居る事に気付いた。
空を見上げると、其処に居たのは翼を持った何かであった。
「な、何だ⁉」
「わ、分かんねえ。こいつは一体・・・・・・っ」
「と、取り敢えず、弓を持っている奴は矢を放て!」
兵達は混乱して右往左往しだした。
弓を持っている兵は慌てつつも矢を番えて放った。
だが、放たれた矢は『飛鳳』に当たる事無く、重力に従い落ちて行った。
「攻撃しろ‼」
甘寧がそう命じると共に『飛鳳』の両舷数カ所が開け放たれた。
其処から着火した紐がついた丸い土器が投下されていった。
また、甲板にいる兵達が短く突起が付いた槍を持ち両舷から身を乗り出して下へ投下した。
土器が爆発し、城内に居る袁紹軍の兵達に襲い掛かり甚大な被害を与えている所に、槍が落ちていった。
身体に突き刺さっても突起が付いており、容易に引き抜く事が出来なかった。
「いでええええ、いえでええよおおお」
「この槍、何で抜けないんだ・・・?」
「畜生、何でこんな目に・・・・・・っ」
袁紹軍の兵達は悪態つきながら悲鳴を挙げていた。
そんな混乱状態の中で、黎陽近くの河原に潜んでいた甘寧の部下達が城を見上げた。
「合図だ!」
「火を付けろ!」
甘寧の部下達が隠していた火種を松明に付けて行った。
大量の松明を付けられていった。
「「「おおおおおおおっっっ」」」
甘寧の部下達が喚声を上げながら、鉦を鳴らし太鼓を叩いた。
その音と声が聞こえて袁紹軍が城壁から見た。
「曹操軍だ⁈」
「何時の間に河を渡ったんだ⁉」
「知るかよ! どんだけ居るんだよ!」
「一、十・・・百、いや数千は居るぜ!」
「どうする?」
「偉い人は何も言ってこねえんだ。逃げるしかねえだろう!」
混乱状態の袁紹軍の兵達は勝手に門を開けて城から逃げて行った。
審配も最初は指揮を取っていたが、城門が開け放たれたという報告を聞くなり最早これ以上の防戦は無理だと判断し撤退を決めた。
審配が撤退すると、許攸、田豊、沮授、病床の床についていた逢紀その他の部将達も何とか城から逃げ出す事に成功した。
城から逃げた許攸はこのまま袁紹の下に戻れば処罰されるだろうと思い、一計を案じた。
『敵の夜襲により、黎陽が陥落。審配将軍が懸命に指揮するも、大将の逢紀が病に倒れ指揮が取れずにいた上に、参軍の田豊と沮授が審配の命令に従わなかった為に守る事能わず』
という文を袁紹の下に送った。
その文を読んだ袁紹は鄴に帰還してきた田豊と沮授をまず呼び出して、審配の補佐を問題無く行っていたのか訊ねた。
訊ねられた二人は互いの顔を見た後、命令に従わなかったと述べた。
それを聞いた瞬間、袁紹は顔を怒りで赤くした。
袁紹の顔を見て、田豊達はまずいと思ったのか従わなかった理由を述べたのだが、袁紹からしたら言い訳にしか聞こえなかった。
二人を叱責し暫くの間、謹慎する様に命じた。
命じられた田豊達は袁紹に一礼しその場を後にした。
田豊達が出て行った後、審配達が袁紹の下に来た。
審配達は黎陽が陥落させた事を詫び処罰を求めた。
袁紹は既に陥落した原因が田豊達の所為だと思い込んでいた為、審配達を叱責はしても特に厳しい処分は下さなかった。
そして、下がる様に命じると審配達はその場を離れた。その中に居た許攸も内心、上手くいったとほくそ笑んだ。
この件により袁紹は田豊と沮授を疎んじる様になった。