恩義は恩義
時を遡らせて、曹昂の命令で劉備達は地下牢に放り込まれていた。
逃げ出さない様に縄で縛られたままであった。
「くそっ、出せっ、出しやがれっ!」
張飛は牢の番をしている兵達に怒声をぶつけた。
だが、兵達はそんな張飛を見てせせら笑うだけであった。
それを見た張飛は怒りで顔を赤くしていた。
「落ち着け。張飛」
血を昇らせている義弟に劉備は気を静める様に声を掛けた。
「だが、兄者。このままではっ」
「分かっている。だが、今の我等にはどうする事も出来ん。此処は待つのだ」
「待つって言ったって、待っていて何かあるのかよっ‼ このままじゃあ、俺達は許昌に送られて打ち首に決まっているぜっ」
張飛が今の自分の状況から考えて、間違いなく処刑されるだろうと予想していた。
「しかし、張飛殿は曹操の親戚の夏侯一族の者から嫁を娶っておりますので助けられるのでは?」
糜芳が張飛が婚姻を結んだ相手の事を考えて、可能性としては有り得るのでは?と思い言うと、張飛は糜芳を睨んだ。
「馬鹿野郎‼ 兄者が処刑されて俺だけ生きられるかっ。兄者が死ぬ時は俺が死ぬ時だ。桃園でそう誓ったんだからな」
張飛が当然とばかりに言う。
「済まんな。張飛」
張飛の侠心に劉備は感謝を込めて頭を下げた。
「兄者。そんな水臭い事を言うなよ。まぁ、関羽の兄貴も同じ思いだろうだがな」
張飛は其処は絶対にそうだと言う顔をしていた。
劉備も同じ思いであった。
数刻後。
地下牢に入っているので、薄暗い上に外が見えないので今が夜なのか朝なのか分からない劉備達。
何もする事が出来ないので黙っていた。
そんな劉備達が籠もる牢の番をしている兵達は、退屈なのか欠伸交じりで警戒していた。
そんな兵達の下に一人の兵がやって来た。
兜を深く被っているので顔が見えなかった。
兵達は自分と同じ鎧を着ているので仲間だと思い警戒しなかった。
「おぅい、見張り番ご苦労さん。これ、差し入れだ」
兵がそう言って酒が入った容器と盃を見せた。
それを見た兵達はニヤっと笑った。
「おっ、気が利くな」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
退屈していた兵達は盃を受け取り、酒を手酌で注いだ。
「へへ、もう戦は終わったようなものだって、大将が言っていたって聞いたからな。後は凱旋するだけか」
「違いねえ。これで、褒美も貰えるんだったら悪くねえよな」
兵達は酒を飲みながら他愛のない話に興じていた。
「まだ酒はあるから、じゃんじゃん飲んでいいぞ。なぁに、酔い潰れても皇叔達は牢の中に居るんだ。逃げる事は出来ないだろうぜ」
「それもそうだな」
「まぁ、この城から抜け出すというのも無理があるだろうしな」
酒を持って来た兵の言葉を聞いて、番をしている兵達は酒を煽り続けた。
やがて、酒を飲んでいた兵達は酔いが回った。
眠気も襲ってきた様で、兵達は欠伸を掻いた後、壁に凭れるか大の字になって眠りについた。
いびきをかく兵達。
酒を持って来た兵は牢の番をしている兵達が眠っている事を確認すると、その兵達の腰にある鍵を奪い取った。
鍵を奪い取ると、兵はようやく兜を取った。
「ふぅ、どうにかなりましたな」
「「「孫乾⁉」」」
「お前っ、どうして此処に⁉」
兜を取った兵が劉備の家臣で袁紹の下に赴いた孫乾だと知り劉備達は驚きの声を挙げた。
「袁紹に文を届け、同盟を結ぶ返事を聞くなり直ぐに冀州を発ったのです。時間は掛かりましたが何とか徐州に戻って来る事が出来ました。徐州に着いた当初は彭城と呂県で戦が起こっていると聞きまして、どちらに殿が居るのか分かりませんでした。取り敢えず呂県の方に行ってみると、張飛殿が敵に捕まっているところでして、これでは殿が降伏するかもしれぬと思いました。どうしたものかと考えていると、道端で逃亡し飢え死にした我が軍の兵の死体を見つけまして、これ幸いと思い鎧兜を奪い、こうして軍の中に潜んでおりました」
「おお、流石だ」
「お前って意外に色々と出来るよな」
劉備は孫乾の機転を褒めると張飛も同感とばかりに頷いた。
褒められた孫乾は苦笑いしつつ牢の鍵を開けていく。
そして、劉備達を縛っている縄を剣で斬っていき、自由にしていった。
「良し。これならば大丈夫だな」
「兄者。早く逃げようぜ」
「待て。このまま出て行けば、直ぐに見つかるだろう。此処は敵の兵の鎧兜を奪い、それを纏って逃げるべきだ」
「いえ、此処はこのまま逃げましょう」
劉備は人数分の鎧兜を手に入れようと言うと、孫乾が直ぐに城から出ようと述べた。
「何故だ?」
「敵は城を落とした事で警戒が薄れております。此処は鎧兜を手に入れるよりも、早く城を出た方が良いと思います」
「そうか。では、そうしよう」
孫乾の助言を聞いた劉備は直ぐに行動を開始した。
眠っている兵達は牢の中に放り込み鍵を掛けて地下牢を後にする劉備達。
警戒が薄いとは言え、見回りの兵達に見つからない様に動く劉備達。
時間は掛かったが、何とか厩舎まで辿り着く劉備達。
馬を奪い、その足で逃げるつもりの様であった。
厩舎には番をしている者はおらず、簡単に入る事が出来た。
「へへ、敵も油断しているな」
難なく厩舎に入り込む事が出来た事に張飛は笑みを浮かべた。
孫乾達も同じ思いであったが、劉備だけは厩舎に番をしている者が一人も居ない事を不審に思っていた。
厩舎に入り、馬を出そうとしたところで藁を踏む音が聞こえた。
劉備達がその音が聞こえた方を見ると、其処には趙雲の姿があった。
「やはり、牢から出られたか。劉備殿」
「「趙雲っ⁉」」
完全武装の趙雲。
対して、劉備達は兵から奪った剣しか持っていなかった。
正直な話、劉備は戦いたくなかった。
趙雲とは親しくしていたというのもあるが、何よりも戦えばその音で兵達が脱獄に気付くと思われたからだ。
(何とか、此処は見逃してくれる様にせねば……)
劉備はそう思い、何と言うべきか考えていた。
「……皇叔。こうして、貴方と戦う事になるのは悲しい事ですが、これも乱世の習いです」
「趙雲。その通りではある。だが、我等が刃を交える事はなかろう。我等は一時とは言え、共に戦った仲であろう」
劉備が暗に此処はその時の義理で見逃して欲しいと言うが、趙雲は黙り込んだ。
「…………数年前、私が劉虞様に仕えていた頃、とある戦場で私は貴方に助けられました。その時の恩はいずれお返ししたいと思っていました」
趙雲はそう言って厩舎の中で馬も入っていない馬房(厩舎の中にある馬がいる部屋)を見た。
其処には鎧兜の他に劉備の剣と張飛の蛇矛が置かれていた。
「趙雲っ、お前⁉」
「私が出来るのは此処までです。後は何処へなりともお好きに」
趙雲は劉備達に一礼する。
「……趙雲。お主、共に来ないか? 此処までしたのだ。此処に残っても処刑されるだけだ」
劉備は趙雲を此処で殺すのは惜しいと思い、共に来ないかと声を掛けるが、趙雲は首を振った。
「有り難きお言葉。しかし、曹昂様には恩義がありますので」
趙雲はそう言って劉備の誘いを断った。
断られた劉備は何も言う事が出来ず、用意されている鎧兜を纏い剣を腰に差し馬に鞍をつけて厩舎を後にした。
(…………もう二度と会う事は無かろうな。惜しい事よ)
恐らく、趙雲は処刑されるだろうと予想する劉備。
馬を駆けながら惜しい事よと思っていた。
そして、劉備達は城門に辿り着くと、見張の兵に「曹子脩様の直々の命で外に出る! 開門されたし!」と叫んだ。
見張の兵達はそんな話は来ていなかったので、確認の為に留めようとしたが。
「ええいっ、殿の命令に背くつもりかっ。早くしなければ、お前達の首を刎ねるぞ!」
張飛が蛇矛の刃を見張りの兵達に突き付けると、兵達は慌てて城門を開けた。
劉備が「ご苦労」と述べた後、劉備達は城門を潜り城外へと出て行った。
劉備達を見送った兵達の中に張飛の蛇矛を見た者が居た。
珍しい形をした武器という事で覚えていた様だ。
其処で不審に思い、曹昂に報告に向かった。
兵が曹昂に報告に向かっている頃、劉備達は城から少し離れた所に居た。
其処で馬の足を止めると、劉備は孫乾を見た。
「孫乾。お前は下邳県に向かい、我等の事を関羽に伝えよ。私が援軍を率いて来るまで城を守れと。それと妻達の事を頼むと」
「はっ」
劉備の命を受けた孫乾は一礼すると、下邳県へと向かった。
「兄者。我等は何処に行くのだ?」
「彭城に向かう」
劉備が向かう場所を述べると麋竺が心配そうに述べた。
「彭城には陳登殿がおりますが、呂県の事を知っていると思います。行っても助けてくれるかどうか分かりません」
「大丈夫だ。孫乾の話では袁紹が同盟を結ぶと言ったのだ。袁紹が動くと知れば、陳登も助けてくれるだろう」
元々、袁紹と同盟を結ぼうと言ったのは陳登であったので、陳登の策通りにいっているので見捨てる事は無いだろうと思う劉備。
「では、彭城に向かうぞっ」
劉備がそう言って駆け出すと、張飛達もその後に続いた。