想定すらしなかった
曹昂が降伏を受け入れるという返事を聞いた劉備は直ぐに戦の備えを解く様に命じた。
その間、曹昂は彭城を包囲している高順に伝令を送り、合流する様に命じた。
同時に下邳国以外の徐州の各郡には劉備が義弟を助ける為に一戦も交えず降伏した事を広める様に人を遣った。
高順が呂県に着く頃には、城の備えは完全に解かれていた。
曹昂が城内に入り、大広間に向かう。
大広間にある上座に座ると、鎧兜を纏ったままで縄で縛られた劉備が兵に連れられやって来た。
その後ろには麋竺、糜芳、簡雍の三人も縄で縛られた状態で続いた。
劉備が曹昂の前まで来て、兵が跪く様に言うと劉備は跪いた。後ろの三人もそれに倣った。
「お久しぶりですな。皇叔。この様な形でお会いする事になるとは思いもしませんでしたよ」
「…………」
曹昂が話し掛けて来たが、劉備は口を閉ざしていた。
「貴方が何故反乱を起こしたのかは知りませんが、負けた以上はどうなるかはお分かりですか?」
「……首を斬られる事を恐れては、戦場に立つ事など烏滸がましい。早くこの首を斬るが良い」
劉備は処刑されるだろうと思い背筋を伸ばした。
「まぁ、死に急ぐ事はないでしょう。それに、貴方にはしてもらいたい事がありますので」
「私に何をさせるつもりだ?」
劉備が尋ねると、曹昂は笑みを浮かべながら告げた。
「なに、関羽が居る下邳県に我が軍と共に赴いて頂き、関羽に降伏する様にして貰うだけですよ」
「っ⁉ わたしが関羽に降伏しろと言えとっ!」
曹昂の話を聞いた劉備は断じて出来ないという顔をした。
「別に言わなくても良い。皇叔と張飛の縄で縛られた姿を見れば、関羽も応じるでしょう」
「くっ、卑劣なっ」
義兄弟の誓いを計略に使う曹昂に劉備は罵った。
「これも兵法の一つというものです。連れて行け。逃げ出さない様に厳重に見張る様に。後ろの三人も同様に」
「はっ」
劉備が面罵してきたが、曹昂は鼻で笑いながら兵に連れて行くように命じた。
命を受けた兵は返事をするなり、劉備達を連れて部屋から出て行った。
劉備達が部屋から出て行くと、曹昂は息を吐いた。
「これで、徐州を奪還する事が出来たな」
「おめでとうございます。殿」
劉巴が祝いの言葉を掛けると、他の家臣達も続いた。
「「「おめでとうございます。殿」」」
家臣達の祝いの言葉に曹昂は嬉しそうに笑っていた。
「関羽さえ降せば、残るは陳登、陳珪親子だけだ。あの二人の事だ。今頃は降伏する準備をしている筈だ」
「しかし、我等が下邳県に向かうという話を聞いたら、我等の背後を襲うかもしれませんぞ」
趙雲が状況から見て有り得ると思い述べた。
「それも言えてるが、それならば高順軍が後退している時に攻めてくると思う。高順、貴様が後退している時、陳登は攻めて来たか?」
「……いえ」
尋ねられた高順は攻撃はされなかったと告げるのを聞いた曹昂は、ならば大丈夫かという顔をした。
「ならば、陳登は敵対する意思は無いと見た方が良いな。まぁ、劉備に対して、其処まで義理があるとは思えないから妥当だな」
曹昂の推察に誰も異論はなかった。
「殿。これからどうするのです?」
劉巴が訊ねると、曹昂は直ぐに答えず目を瞑り考えた。
「……劉備軍の兵を我が軍に組み込むのにどれだけ時間が掛かる?」
「二日程あれば十分です。元々は曹操軍の兵達でしたので、再編成にはそれほど時間は掛かりません」
「そうか。では兵の編成が終わり次第、関羽が籠もる下邳県に向かう。そして関羽を降伏させた後、彭城に向かい徐州を掌握するという順序で行動するとしよう」
「「「はっ」」」
曹昂がこれからの方針を述べると、皆は承知した。
「殿。劉備達を捕らえた後は、許昌に護送するのですか?」
呂布は劉備達を捕まえたら許昌に送り、曹操が処罰するのだと思い訊ねた。
「……いや、徐州を掌握した後、劉備三兄弟は処刑する」
曹昂が処刑すると言うのを聞いて、皆どよめいた。
「劉備なんて、生かした所で何をしでかすか分からないからね。処刑できる時に処刑すべきだ」
「確かに、丞相からは許昌へ連れて来いという命は来ておりませんが、流石に丞相の命なき処刑は越権だと思います」
曹昂が処刑する理由を述べると劉巴は流石に問題ではと思い言った。
「そうかも知れないが、許昌に護送したところで死罪は目に見えている。その手間を省くだけの事だ」
「ですが、関羽、張飛の二人は天下に並ぶべき者ない豪傑。殺すよりも生かして使う方が良いと思います」
趙雲が処刑はしなくてもいいのではと思い言うと、曹昂は顎を撫でながら言う。
「関羽と張飛だけ使うとしたら、劉備を何処かに幽閉するという事になるな。そうでもしないと、あの二人はこちらの命令に従わないだろうな」
「……その方法でも良いと思います」
曹昂が言う方法を聞いた時、趙雲は一瞬顔を顰めたが、それでも生きているのだから良いと思い述べた。
だが、曹昂は首を振る。
「その方法は関羽達を従える事は出来るが、劉備が解放されでもしたら、こちらが攻撃を受ける事となる。何処かの勢力と戦争中の時に、そんな事が起きれば、我々が被る被害がどれほど出るか分からない」
「確かにそうですな」
「それに、劉備の性格を考えると、義弟達がそんな風に扱われると知ったら自害する可能性がある。そうなったら、関羽達も自害するぞ。間違いなく」
曹昂が断言すると、趙雲は何も言えなかった。
劉備の性格なら有り得ると思ったからだ。
「そんな、利少なく、危険が多い奴らを使うぐらいならさっさと殺した方が良い」
曹昂がそう言うと、趙雲は思わず呂布をチラリと見た。
趙雲が呂布を見ているので、曹昂は苦笑いしつつ言った。
「呂布の場合はもうどこにも寝返る事も独立する事も出来なくて、安心だから使っているだけだ」
曹昂がそう言うと、皆は疑わしい目で呂布を見た。
腹心で幼馴染の高順も弁護が出来ないのか、目を逸らしていた。
呂布自身、事実であるだけに何も言う事が出来なかった。
「そう疑ってかかるのも止めても良いと思うがな」
曹昂としては可哀そうというよりも、疑い過ぎだと思い言う。
「……殿がそう言うのであれば」
劉巴が呂布を見るのを止めた。
「方針は決まった。兵の編成が終わり次第、出立する」
曹昂はそれで話は終わりと言うかのように席を立ち部屋を出て行った。
家臣達も部屋を出て行く中、趙雲は一人何か思いつめた様な顔をしていた。
その夜。
曹昂に捕まえられた劉備とその家臣達が脱走したという報告が齎された。