劉備、後手に回る
時を少し遡り、反乱が起こる数刻前。
彭城内に居る劉備軍の兵達は集まって話し合っていた。
「おい、文を読んだか?」
「ああ、読んだぜ」
「どうする?」
「どうするって、それはお前」
兵達はこれからの事を話し合っていた。
そもそも劉備軍の兵達は、曹操が貸した兗州と豫州に住んでいる者達から集められていた。
その為、家族はその二つの州のどちらかで暮らしていた。
劉備達は矢文の内容を読んで降伏勧告として受け取ったが、兵達からしたら降伏しなければ家族を皆殺しにされるとの意味で取っていた。
「別に俺達は皇叔に恩も義理も無い。徐州に来たのだって、丞相の命令で来ただけだしな」
「皇叔が丞相に反乱を起こしても、俺達からしたらどうでもいい事だしな」
兵達からしたら、戦争に出向くのは偉い人の命令というのもあるが、恩賞を立てる事で褒美を貰う事が出来る上に、倒した敵の戦利品を持って帰り、自分達の生活を豊かにする為に戦に赴くという面もあった。
言うなれば、命懸けの出稼ぎと同じ感覚であった。
兵達が曹操から反旗を翻して劉備に着き従っているのは、戦えば戦利品を得る事が出来るという打算的な面もあった。
だが、劉備に着き従う事で家族が危機に晒されるというのであれば、話は別であった。
「それに、今徐州には丞相の愛息子が来ているって噂だぜ」
「それって、確か今の天子の義理の兄貴で、麒麟児って言われている曹子脩様か?」
兵が訊ねると、話をしていた者は頷いた。
「あの方が相手か。確か、配下に猛将呂布を従えているって聞いたな」
「それ本当だぜ。俺は以前、呂布は兗州に攻め込んできた時に、遠目で見た事があるから顔も知ってる。その呂布を従えているって事だから、すげえよな」
「確か、皇叔は呂布相手に何度も戦っているけど負けたって話だな」
「おいおい。じゃあ、勝ち目なんか無いじゃねえか」
兵達は其処まで話していると、急に黙り込んだ。
現状と自分達の状況を考えて、するべき事は分かっているのだが、兵達はそれを口に出す勇気までは無かった。
互いを目で見ながら、言うように促していた。
「……逃げるか?」
そんな中で兵の一人がポツリと零した。
その一言が呼び水となり、兵達は頷き合った。
「ああ、そうだ。逃げよう」
「俺達は別に劉備に恩も義理も無いんだからなっ」
「皆で逃げようぜっ」
「でも、何の土産も無しに逃げたら、捕まって処刑されるんじゃないか?」
劉備に着き従っていたという理由で処刑されるかもしれないと兵の一人が零した。
「それも考えられるな。どうする?」
「じゃあ、此処は・・・」
兵の一人がそう言って持っている武器を見た。
それだけ、話していた兵達は分かったのか頷きあった。
そして、直ぐに行動が開始された。
夜が更けて、見張の眠気で警戒も疎かになる時刻。
突如、城の至る所に火が放たれた。
と同時に兵達が城内の各地で暴れ回った。
兵が反乱を起こすという報は直ぐに劉備の下に齎された。
「直ちに、関羽と張飛に鎮圧する様に命じるのだっ」
まさか兵が反乱を起こすとは思っていなかった劉備は慌てて鎧兜を纏い、反乱の鎮圧を命じた。
命じられた張飛と関羽の二人は自分達に着き従う兵達を連れて反乱を起こした者達の鎮圧に掛かった。
夜が明けて、朝日が差し込む頃。
反乱は完全に鎮圧された。
城内の各所には、火で焦げた跡に加えて矢が突き刺さっていた。
劉備に従う兵と反乱を起こした兵の死体が血を流しながら大地に横たえていた。
「ふぅ、ようやく鎮圧出来たようだな」
「ったく、何が不満で反乱を起こしたんだ。こいつらは?」
関羽と張飛の二人は血で濡れた得物を携えながら、反乱した兵の生き残りが居ないかどうかを探していた。
二人は兵達が突然反乱を起こした理由が分からず困惑していた。
「兎も角、兄者に反乱を鎮圧する事が出来たと報告するか」
「そうだな」
張飛が生き残りが居ない事を確認し、劉備に報告しようと言うと関羽も同意した。
二人は血で汚れたままの姿で劉備の下に向かった。
「兄者っ、反乱を起こした者達は全員血祭りにあげたぜっ」
張飛が劉備にこれで安心だと言わんばかりの顔で報告した。
だが、その報告を聞いた劉備は暗い顔をしていた。
「兄者。どうかしたのか?」
「……兵達が何が不満で反乱を起こしたのかは知らないが、この反乱でまた兵を失ったので、これからどうするか考えていたのだ」
「どのくらい失ったのです?」
関羽が気になり訊ねると、劉備の代わりに側にいる陳登が答えた。
「まだ、正確な数は数えていないので分かりませんが。恐らく一万近くの兵がこの反乱により死んだと思います」
「一万だとっ」
「兄貴。これはかなり不味いぜ」
思っていたよりも多く兵が反乱に参加した事に関羽は顔を顰めた。
張飛も同じように顔を顰めていた。
徐州に派遣された時、劉備軍は五万であった。
そして袁術軍と戦い、その後は雷薄と陳蘭の討伐に掛かった。
それらの戦いで、劉備軍は死者三千。負傷者一万ほど出していた。
其処に今回の反乱により、正確な人数は分からないが多くの兵が死亡したのだ。
今の劉備軍はどれだけの兵数があるのか分からなかった。
ちなみに、張飛が陳登と話していた時に八万の兵のところを強く言っていたのは、兵の損失を敵の間者に悟られない為に、事ある毎に八万の兵を持ってる風に言っていたのだ。
そして、劉備の下に此度の反乱で失った兵の数が報告された。
死者五千。負傷者三千と報告された。
加えて、死体の数が残っている兵数と計算しても合わない事が分かった。
恐らく逃亡したのだろうと思われた。
全ての死傷者と逃亡兵を計算すると、三万の兵を失ったという結果となった。
これにより、劉備軍の内訳は曹操から借りた兵が二万。車冑から奪った軍三万。合計で五万の兵が残ったという事が分かった。
曹操から借りた兵が全て反乱に参加しなかった事が劉備にとっては救いであった。
とは言え、雀の涙程度であった。
「最早数の差は無くなった。これでは打って出るのは止めた方が良いであろうな」
「はい。皇叔。それが宜しいと思います。後それと」
「皆まで言うな。こと此処に至っては、背に腹は代えられない。袁紹と同盟を結ぶ事としよう」
陳登が話したい事を察した劉備は陳登の案を受け入れる事にした。
「では、私の伝手で袁紹に文を書いてもらいましょう。その使者はどなたに致しますか?」
「そうよな。孫乾に任せるか」
劉備は配下の中で弁が立つ者を思い浮かべると、真っ先に孫乾が思いついたので任命した。
「承知しました。文は彭城近くに住んでおり、袁紹と親しくしている鄭玄殿に頼みます」
「おお、そんな方がいたのか。それは丁度良い」
陳登は早速その鄭玄の下に赴き、袁紹に文を書いて貰うように頼んだ。
鄭玄は陳登の頼みに応え、袁紹への文を書いて陳登に託した。
陳登はその文を劉備の下に届けると、劉備は孫乾に渡した。
「良いか。この文とお主の弁舌で、我等の命運が決まる。必ず袁紹の下に届けるのだ」
「承知しました。この孫乾公祐。身命を賭して、この文を袁紹の下に届けます」
孫乾は両手で文を持ちながら劉備に一礼した。
そして、即日冀州の袁紹の下へ旅立った。
孫乾が彭城を発ってから、十数日後。
劉備の下に驚くべき報告が齎された。
「なにっ、広陵郡が曹操軍に占領されただとっ⁉」
「はっ。張燕率いる一万の軍が広陵郡に侵攻。全ての県が曹操軍の支配下に入りましたっ」
兵の報告を聞いた劉備は難しい顔をした。
「ぬぅ、広陵郡を奪われるとは……」
「兄者っ。俺に二万の兵をくれっ。その張燕って奴を俺が捻り潰してやるっ」
張飛が劉備に頼み込むと、陳登が止めた。
「いけません。今、それだけの兵を広陵郡へと送れば、こちらの守りは薄くなります。此処は袁紹が動くまで守りを固めるべきですっ」
「袁紹が何時動くのか分からないのだぞっ。まごまごしていたら、下邳国も奪われるかもしれないんだぞっ」
張飛がそう怒鳴ると、関羽が劉備に述べた。
「兄者。広陵郡を奪い返すのは現状では無理があります。ですが、敵が下邳国まで侵攻してくる事も考えると、下邳国に兵と誰かを送り守らせるべきです」
「そうだな。陳登はどう思う?」
「私も関羽殿の意見に賛成です。此処は兵を割いて、彭城国と下邳国の守りを固めて袁紹が援軍を送るのを待つべきです」
「良し。関羽。一万の兵を与える。お前は下邳県に向かい守りを固めよ。それと我が妻達の事を頼んだぞ」
「承知しました」
劉備の命令を聞いた関羽はそう言って一礼し、その場を離れた。
「陳登殿。貴殿は二万の兵で彭城にて守りを固めよ。私は張飛と共に彭城から近い呂県に二万の兵で駐屯する」
「成程。城の孤立を防ぐのですね」
「そうだ。片方の城が包囲されれば、どちらかが包囲の外から攻撃するのだ」
「承知しました」
兵を分ける理由が分かった陳登は頷いた。
「皆、良いか。袁紹の援軍が来るまで耐えるのだっ」
劉備がそう命じると、家臣達はその命令に承諾し自分のする事の準備に取り掛かった。