偽帝の最期
追撃していた劉備軍であったが、陣形を整える為に一時後退する事にした。
陣形を整えている中で袁術軍の捕虜を引き出して情報を手に入れる為に尋問を行った。
捕虜達は袁術に忠誠など無いのか、直ぐに徐州に来た経緯や自分が知っている事をぺらぺらと語りだした。
それにより、袁術が徐州に来たのは、袁紹に合流し帝位を譲位する為だという事が分かった。
劉備は「袁紹と袁術が手を組む事となれば、曹操でも敵わない勢力になる」と思い陣形を整えると、直ぐに追撃を再開した。
昼夜分かたず追撃してくる劉備軍の攻撃に、袁術軍はろくに身を休ませる事が出来なかった。
ようやく、追撃を振り切り広陵郡に入った頃には、袁術軍は千人程しか居なかった。
しかも、その殆どは女子供か袁術の一族の者達であった。
「まさか、ここまで減るとは……」
逃亡先を出た時は十万も居たのに、今では千人しか居ない事に袁術は嘆きの声を挙げた。
「父上は、これからどうなさいますか?」
悲嘆にくれる袁術に息子で皇太子に立てられた袁燿が心配そうに訊ねた。
兵が殆ど居ない状態で敵の追撃を振り切るなど無理と言えた。
袁術もそれが分かっているのか、暫し考え込んだ。
「……止むを得んな。此処に至っては二手に分かれるとしよう」
「と言いますと?」
「袁燿。お主は母と元気な一族の者達を連れて、廬江郡へ行け。張勲と劉勲の二人が再起を図ろうとしている筈だ。二人の世話になれ」
九江郡を突破する時に、張勲達と別れたが二人が討たれたという報告を聞いていないので、生きているだろうと予想する袁術。
二人が自分の下に来ないのは、どんな理由があるのか分からないが、袁術はともかく生きているだろうと思った。
今まで重く用いていたので、自分の一族や息子が身を寄せても無下に扱う事は無いだろうと思いながら袁術は袁燿に語った。
「父上は如何なさるのですか?」
「朕は袁紹の下に向かう。袁紹との約束を守らねばならぬからな」
袁術は玉璽を入れている箱を撫でながらそう述べた。
「それでしたら、私が」
「ならん。お主は何としても生き残り、家名を残すのだ。そして、もし朕が袁紹の下に着く事が出来れば、文を送る。そして時が来たら揚州にて蜂起するのだ」
「成程。冀州と揚州で兵を挙げて、曹操を挟み撃ちにするのですね」
「そうだ。分かったな」
「承知しました」
袁燿は袁術の言葉に従い、母と元気な一族の者達を連れて九江郡へと取って返した。
余談だが、袁燿に付いて行った者達は曹操軍に見つかる事なく、廬江郡に到達し張勲達の下に辿り着いた。
張勲達も少しだけ朝廷に引き渡す事も考えたが、其処まで今の朝廷に義理も恩顧も無く、落ちぶれたとはいえ嘗ての主筋の一族の者達という事で面倒を見る事にした。
残った者達は袁術に付いて行く事となった。その中には従弟の袁胤も居た。
しかし、季節は六月であった。
大暑と言っても良い時期であった。
炎天が袁術達に襲い掛かった。
喉が渇いても、近くに川も無いので水を手に入れる事も出来なかった。
そんな中でも、袁術は北上していった。
やがて、食糧が尽きた。飢えにより、一人また一人と大地に倒れ動かなくなった。
それでも袁術は北上する事は止めなかった。
そして、最後には袁術と従弟の袁胤だけとなった。
「はぁ、はぁ、残ったのはお前だけか」
「はい。陛下……」
袁術は疲れて力が入らないのか、袁胤の肩を借りながら歩いていた。
「ですが、このままでは我等も・・・・」
「分かっておる」
袁胤の言いたい事は分かっているのか、袁術はそう答える事しか出来なかった。
どうしたら良い物かと思い歩いていると、少し寂れた家を見つけた。
外壁もボロボロで窓も壊されていたが、側に畑があった。
袁術達には何を育てているのか分からなかったが、少なくとも何か植えられているのは分かった。
作物が植えられている以上、誰か住んでいるだろうと思い袁術達はその家の扉の下まで歩いた。
扉を叩くと、家に住んでいる男が扉を開けた。
「はいはい。どなたかな?」
男がそう訊ねながら、袁術達を見た。
汚れてはいるが良い生地を使った服を着ているなと思いつつ見ていると、袁術が口を開いた。
「朕は、帝の袁術じゃ。喉が渇いた。水はあるか? あるのであれば、持って参れ・・・・・・」
ようやく、水を飲めると思い袁術は命令した。
男はそれを聞いた途端、顔を顰めた。
(袁術だとっ、じゃあ、こいつがっ)
男は目の前に居る袁術を忌々しそうに見ていた。
以前、呂布が徐州を治めていた頃、袁術が二十万の兵で攻め込んで来た事があった。
その際、此処広陵郡も被害に見舞われた。
男はその袁術軍の侵攻により、住んでいた村を焼かれ家族を失ってしまった。
その侵略を命じたのが、目の前に居る袁術だと思うと腸が煮えくりかえりそうな気持であった。
運悪く男は何も武器と言える物は持っていなかった。
家に戻り武器と言える物を持って来ても逃げる事が考えられた。
其処で男は今、袁術が欲しがっている物を奪う事にした。
台所近くにある水が入った甕を袁術達の目の前で傾けて中身をその場に捨てた。
「ううっ、何をしているっ」
「いや、悪いね。手が滑ったようだ」
男が水を捨てるのを見て袁術は怒り混じりの声で聞いた。
すると、男はあまりにもわざとらしい事を言った。
「あ、あああ・・・・・」
地面に捨てられた水は既に土に沁み込み飲む事を出来なくしていた。
「もう水は無いんだ。さぁ、出てってくれ」
男は袁術達を家から叩きだすように追い出し、そしてそのまま家を出て、自分が知っている川の所まで走って行った。
弱ってる袁術達は男に声を掛けるが、男は一歩も足を留めないで走り去って行った。
男の背が見えなくなると、袁術は両手を握り大地を叩きだした。
「おおおおおっっっ、この袁術ともあろう者が、こんな、こんな無様な姿を晒すとは……」
あまりの絶望に嘆く袁術。
そんな袁術に袁胤は労わる様に触れた。そして、何処からか馬蹄の音が聞こえて来た。
「むっ、敵の追手か⁉」
「陛下。此処は私に」
袁胤がそう言って腰に差している剣を抜いた。
辛うじて立っているだけの状態なので、剣を握る手もおぼつかなかった。
それで、馬蹄が聞こえる方を見る袁胤。
袁術も何処の軍が来たのかと思い、目をこらした。
最初砂埃で見えなかったが、徐々に晴れて行くと旗が見えた。
その旗には『曹』の字が書かれた旗を掲げていた。
数は数百騎程であった。
「曹操め、朕が此処まで逃げると思い、兵を伏せていたというのか」
袁術は曹操軍の旗を見て慄いていた。
その騎馬の集団が袁術達を見つけると、馬の足を緩ませた。
少しずつ、馬の足が遅くなっていき、やがて足が完全に止まった。
集団が完全に止まると、その中から三騎ほど前に出て来た。
「むっ、あやつは……」
その三騎の先頭に居る者を見た袁術は目を見開いて驚いていた。
馬に乗って、こちらに来る者達は此処に居ない筈であるからだ。
袁胤から数歩ほど離れた所で足を止めて、先頭に居る者が馬から降りた。
そして、袁術に一礼した。
「お久しぶりです。義父上」
「そ、其方は曹昂ではないか。どうして此処に?」
「劉備軍の後詰として参りました。東海郡に居たのですが、袁術軍が北上していると聞きましたので、こうして広陵郡に来たのです。そうしたら、義父上に会う事が出来ました」
「そうか、ゴホゴホっ」
突然、袁術は吐血しだした。
赤黒い血が吐き出され、手で口を押えても隙間から血が溢れていた。
「義父上‼」
「陛下っ」
吐血した袁術に駆け寄る曹昂と袁胤。
「ごぼ、ごぼ、・・・・・・、ちんも、ここまでか・・・・・・」
「義父上。せめて、これを」
曹昂は馬の鞍に下げている革袋を差し出した。
袁胤は差し出された革袋の口を開けて、袁術の口元に寄せた。
「…………あまい、これはもしや……」
「義父上が好きな蜂蜜入りの水です。会う事が出来たら飲ませようと思い用意しました」
飲ませる事が出来たら良いなと思い持って来たが、運が良いと思う曹昂。
「そうか。わしは、いいむこをもったわ…………」
袁術は溜め息をついた後、震える両手が持っている箱を突き出した。
「これを、おぬしにあたえる。すきにするがいい……」
「ありがとうございます」
曹昂は袁術から箱を受け取った。
「むすめを、たのむ…………ごぼっっっ」
一言そう言い終えるなり、袁術は大量の血を吐いた。
量は分からないが、かなり大量であった。
そして、袁術の身体が動かなくなり目の光がなくなった。
「ああ、陛下っ」
「義父上‼」
袁胤と曹昂は袁術に声を掛けるが、何の返答も無かった。
袁胤と曹昂の目から涙が流れた。