劉虞の死
時は流れ、建安四年五月。
曹操は丞相府に劉備を招いて宴席を開いていた。
余人を挟まず、二人だけの宴席なので静かであった。
「劉皇叔。ここのところ、君とは久しく飲んでいなかったので呼んだが、気分は如何かな?」
「はい。丞相。お招きいただきありがとうございます。私はただただ、丞相の優しさに心が打たれる思いです」
曹操が宴に招いた事をどう思うと訊ねると、劉備は礼を述べた。
その返事を聞いた曹操は笑みを浮かべた。
(覇気の無い顔だ。一時とは言え、こやつを英雄だと思っていたとは、私の目もまだまだだな)
この一年、劉備は曹操にこれでもかというぐらいに媚びてきた。そんな劉備を曹操は内心で馬鹿にしつつ酒を飲んでいた。
未だに荀彧と言った参謀達は劉備を侮る勿れと言い続けてきたが、曹操は既に劉備は敵ではないと見ていた。
(報告では、こいつの義弟達も劉備の事に不満を持っていると聞いているからな。その内、義弟達を取り上げても良いかもな)
媚びて来る劉備なので、反対はしないだろうと思う曹操に使用人がやって来た。
「何事か? 今日は皇叔と二人きりで飲むから、誰も通すなと言ったはずだぞ」
「申し訳ありません。河北の情勢を調べに向かった満寵様が戻りましたので、お知らせに」
「おお、そうであったか。通せ」
使用人が満寵が戻って来たと告げると、曹操は部屋に通すように命じた。
使用人が一礼しその場を離れると、満寵を連れて戻って来た。
使用人が一礼し離れると、満寵は曹操に一礼した。
「ただいま戻りました」
「ご苦労であった。河北はどうであった」
「はっ。去る建安四年三月に劉虞が袁紹に敗れたとの事です」
「何とっ⁉」
満寵の報告を聞いた劉備は衝撃のあまり持っていた盃を落してしまった。
床に落ちた盃は壊れなかったが、横に倒れ中に入っていた酒が零れだしていたが、劉備は気にも留めなかった。
「馬鹿なっ、劉虞殿が敗れたとっ⁉」
「はい。既に妻子一族は首を切られ、劉虞は市中引き回しの上処刑されました」
劉備は信じられないとばかりに訊ねたが、満寵は冷静に答えた上に、敗れた劉虞がどうなったのか教えた。
「何という事だ・・・・・・」
劉備は恩人と言える人物が死んだ事に顔を俯かせていた。
「君は劉虞の下に居た事があったな」
「はい。色々な恩を受けておりました。まさか、その恩義を数分の一もお返しする事が出来ず残念に思います」
劉備は暫し悲しそうな顔をしたが、直ぐに気持ちを切り替えた。
「満寵殿。劉虞殿がどうして敗れたのか教えて頂きたい」
「そうだな。私も聞きたい。話せ、満寵」
劉備が劉虞がどのように敗れたのか聞きたいと言うと、曹操も気になったのか訊ねた。
「はい。私が聞いたところ」
満寵は自分が調べた限りの事を報告した。
曰く、堅牢な易京に籠もった劉虞に袁紹は何度攻撃しても落とす事が出来なかった。
また、城に籠もるだけではなく、時折城から出て攻撃を仕掛けて来たりもしていた。
その際、城に戻るのに遅れ敵に包囲された味方が居れば、劉虞は救うように命じ兵を救った。
多くの犠牲を出しながらも、包囲された味方を救う事は成功した。
劉虞の行動に兵達は歓声を上げて称えた。
そして、兵達は劉虞の為に懸命に戦うようになった。
その行いにより、余計に城の攻略を難しくさせた。
袁紹は困っているところに参謀の許攸が地下からの攻撃を献策した。
袁紹はその献策に従い、坑道を掘った。
時間は掛かりはしたが城中まで坑道を通す事に成功した。
袁紹は其処から兵を送り込み、易京の城内に火を放つと同時に城門を開かせた。
これにより、堅牢を誇った易京も陥落の憂き目となった。
劉虞は一族と共に捕らわれ、袁紹の前に引き立てられた。
「こうして、其方と会うとは悲しい事だ。劉虞殿」
「私もだ。袁紹」
縄で縛られている中で劉虞は毅然としていた。
「貴様を倒す事が出来ず捕まるとは、高祖並びに歴代のご先祖様方に申し訳が立たん」
劉虞は心底悔しそうに言うのを聞いた袁紹はどうしてそう言うのか気になった。
「ほぅ? 何故其処まで言われるか?」
「決まっておろう。貴様の様な男を天下にのさばらせて討ち取る事が出来ずにいる不忠。貴様の様な者が友人であった不明。これらを詫びる為に勝利しなければならないと言うのに敗れるという、我が身の不徳。この三つの罪で歴代のご先祖様方に申し訳が立たんのだ」
「なにっ、其処まで言うか!」
友人であった劉虞に其処まで言われて袁紹は顔を赤くする。
「まぁ、殿。此処は堪えて下さい」
「仮にも皇族です。勝利したとは言え処刑すれば、我等が逆賊となります」
沮授と田豊が怒る袁紹を宥める。
「ぬううっ、…………では、罪があれば処刑しても良いのだな?」
袁紹がそう言うのを聞いて、家臣達はどういう意味なのか分からず首を傾げた。
「劉虞よ。貴様は天子になれる程の者と言われた男。ならば、天から雨を降らせることができるであろう」
袁紹は突然、あまりに強引な要求をしだした。
それを聞いた袁紹の家臣を含め劉虞達は言葉を失った。
「殿、それはあまりに」
田豊が強引すぎると言おうとしたが、其処に郭図と許攸が口を挟んだ。
「確かにそうですな。天子であるのであれば出来てもおかしくはありませんな」
「古より、天子は地上の人に徳を与える使命を託された存在と言われておりました。ですので、天子になることが出来る者であれば出来てもおかしくはありませんな」
郭図と許攸が袁紹の言う通りだと言うと、我が意を得たりとばかりに笑う袁紹。
「劉虞よ。これより、七日の日までに雨を降らすのだ。さもなければ、貴様は皇帝を僭称しようとした賊としてその首を斬り、その一族の者達も同罪として処刑する事とする」
袁紹は高らかに宣言した。
「袁紹っっっ、貴様という奴はっっっ!」
劉虞は目で睨み殺すとばかりに袁紹を睨みつけた。
袁紹はそんな劉虞を鼻で笑い、手で追い払う様な仕草をすると兵達は劉虞達を引っ張って行った。
それからすぐに祭壇が設けられたが、劉虞がどれだけ祈っても雨が降る事は無かった。
その間、多くの民達が劉虞の助命を嘆願したが、袁紹は聞く耳を持たなかった。
このまま劉虞を生かせば、自分の幽州の支配がままならなくなると思ったからだ。
そして、約束の日となったが雨は降らなかった。
袁紹は容赦なく劉虞の処罰を命じた。
まずは、劉虞の妻妾子供達を処刑した。
子の劉和と妻妾達が殺されるのを目から血涙を流しながら見る劉虞。
そして、一族の者達の処刑が終わると、劉虞は市中引き回しの後に首を切られた。
劉虞の首は塩漬けにして、許昌へ送られたのだが途中で劉虞の部下が首を奪い、行方不明となった。
「これで話は終わりでございます」
「そうでしたか。あれだけ名を馳せた御方が…。世の中何が起こるか分かりませんな」
世の無常に劉備は悲しそうに呟いた。
曹操は心の中では思っていたよりも保った方だなと思うだけであった。
「それで、その後の袁紹はどうなっている?」
「はっ。袁紹は幽州の支配を確固たるものにする為、行動しております。それと、その動きに合わせてか袁術めが動き始めました」
「なに? 袁術が?」
「はい。軍を動かし、何処かに攻め込むようだと密偵から報告が挙がっております」
「袁術め。私に敗れた事で袁紹を頼るか」
曹操は袁術の行動に笑みを零した。
仲が悪い異母兄に助けを求める事が曹操は面白いと思っている様であった。
少し前ならば、絶対にあり得ない事であったからだ。
「満寵。下がって良いぞ」
「はっ」
曹操は満寵を労い下がらせた。
そして、曹操は宴を再開させた。
劉備も恩人の劉虞に献杯をし、故人を偲んだ。