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曹操、劉備侮る

 劉備が義弟の関羽、張飛を伴ない許昌を出立し数日が経った。

 馬を何度も代え、碌に休む事無く駆け続けた劉備達。

 彭城に来た時には、馬も三人が着ている服も旅塵塗れであった。

 劉備は城の中に入ると、すぐさま自分の家族が居る屋敷へと駆けて行った。

 そうして、家族が居る屋敷の前に着くと、馬から飛び降りる様に降りた劉備は走り出した。

「母上っ、玄徳が参りましたぞっ。母上っ」

 劉備は何処に居ても聞こえる様に大声を挙げた。

 劉備の声が聞こえたのか、屋敷から人が出て来た。

 年齢は三十代前半で、平べったい顔に口元を囲む様に髭を生やした男であった。

 身長も七尺五寸(約百七十センチ)ほどであった。

「ああ、劉備様。よくぞお越しに」

「糜芳。お主も来てくれたのかっ」

 劉備は現れた男に駆け寄り声を掛けた。

 男の名は糜芳。字を子方と言い、麋竺を兄に劉備の側室の麋夫人を妹に持つ男であった。

 その関係の為か、劉備からの信頼も厚かった。

 また、劉備が徐州州牧を追われた際、家の財産を使って兄と共に呂布の目を盗み支援をしていた。

 その話を聞いた曹操は見所があると思ったのか、彭城国の相に任じていた。

「母上の容体はどうなのだ?」

「……色々と手を尽くしたのですが、手の施しようが無いそうです」

「そんな・・・母上‼」

 糜芳の話を聞いた劉備は屋敷の中に入って行く。糜芳もその後を追い駆けた。

 そして、糜芳の案内で劉備は自分の母親が居る部屋に到着した。

 寝台の側には正室の甘夫人と側室の麋夫人がいたが、二人共今にも泣きそうな顔をしていた。

 二人が寝台から退けると、寝台には劉備の母が横たえていた。

 頭に病鉢巻を捲き、青い顔をしていた。

「…………げんとく……」

 劉備の姿を見るなり、劉備の母は弱々しく呟いた。

「母上っ」

 そんな弱い母を見た劉備は側に寄り手を握った。

「お許し下さい、母上。知らせが来るまで、私は母上の事を忘れておりました。どうか、私の親不孝をお許し下さい…」

 劉備は今にも泣きそうな顔をしながら、自分の母親に謝った。

「…………なにをいうの、おやのことを、わすれるくらいに、いままではたらいてきたしょうこでしょう、わたしはそんな、あなたをもって、うれしくおもいます……」

「ははうええぇぇぇぇ…………」

 劉備は自分が握る母の手を額に擦り付けた。

 目に涙を溜める劉備。

「これからさき、なにがあるかわからないけれど、じぶんのしんじたみちを、まっすぐに、すすみなさい……」

「はい。ははうえ……」

 母の言葉を劉備は胸に深く刻むように答えた。

 言うべき事は言い終えたのか、劉備の母は深く息を吐いた。

「こにみとられることができたいじょう、これいじょうのしあわせはありません……」

 そう呟いた後、劉備の母は目を閉じて息を吐いた。

 劉備の手の中にある母の手が、糸が切れたように滑り落ちていった。

「……ははうえええええええっっっ‼‼‼」

 母の死に、人目もはばからず大声を上げて号泣する劉備。

 その声は屋敷の外に居る関羽達にも聞こえた。

「・・・逝かれたか。御母堂」

「ぐすっ、ぐすっ、俺みたいな乱暴者にも優しくしてくれた、いい人だったぜ……」

 関羽は空を見上げて目から涙を零し、張飛は鼻を鳴らしながら泣いていた。


 暫くすると、劉備は涙を拭い葬儀を行った。

 祭壇を建て位牌を置いて劉備は目元を赤くしながらも喪主を務めた。

 将軍職に就いているので、曹操と献帝に母が亡くなった事を知らせる文を送った。

 少しすると、献帝が弔問の使者を送って来た。

 そして、劉備を立派に育てた功績として『昭信君』の称号を追尊した。

 曹操も弔問の使者として曹昂を送った。

 

 やがて、葬儀が終わり曹昂は許昌へと戻って来た。

 戻るなり、曹操の丞相府を訪ねた。

 政務が終わり、茶を飲み一休みしている最中であった。

「それでどうだった? 劉備の様子は?」

「はい。母親が亡くなり、とても悲しんでいる様でした」

 曹昂は葬儀の席で見た劉備のありのままの姿を曹操に告げた。

「そうか。まぁ、母親が亡くなったのだ。そうなってもおかしくない事だ」

「そうですね。ああ、それと、劉備は丁憂をするつもりだったようです」

「なに?」

 曹昂の口から出た言葉に曹操は驚いていた。

 官人が喪に服する事を丁憂と言う。

 丁憂として三年の服喪期間が定められており、その間は一切の祝い事を忌避しなければならず、またその三年間の間は職を辞する事が義務付けられていた。

「献帝の使者にもそう告げたのか?」

「はい。返事が来るまで職を辞するのは待つそうです」

「……そうか」

 曹操は茶が入っている椀を卓に置くと、呆れたように息を吐いた。

「……私は劉備を買い被っていたのかもしれんな」

「突然、何を言い出すのです?」

 曹操がそんな話を言い出したので、曹昂は何の根拠があってそう言うのか分からなかった。

「分からんのか? 未だ乱世の最中であるというのに、母の喪に服するという機を見失いかねん事をする先見の明を持たない者が英雄だと言えるか?」

「……しかし、母親が亡くなったのです。子として喪に服するのが孝の道だと思いますが?」

「まだまだ、お前は甘いな。私が劉備の立場であれば、丁憂なんぞせんぞ」

「そんな方法あるのですか?」

 丁憂を秘匿するか、行わなかった者は処分されるという決まりがあった。

 その様に義務付けられている制度をどうやって躱すのかは曹昂も知らなかった。

「ある。奪情と言ってな、朝廷が特別の場合のみ、丁憂をしなくても良いという方法があるのだ」

「知りませんでした……」

「まぁ、よほど朝廷の高官でなければ行われない事だから、する事の方が珍しいから知らぬのも無理はない。だが、劉備は左将軍だ。左将軍ほどの位職であれば奪情する事はできるだろう」

「成程。それでしないと言うのであれば」

「劉備は先見の明など無い男と言う事だ。少しは出来ると思っていたが、見当違いであったか」

「しかし、父上。そう断じるのはあまりに早計です。もう少し、劉備の人となりを見てからでも判断しても良いと思います」

 曹昂はそう言うが、曹操は鼻で笑った。

「ふっ、先見の明が無い者の出来ることなど知れている。ご苦労であった。下がって良いぞ」

 曹操はもう劉備など恐れるに足りないという存在に、決めてかかっていた。

 これは、もう考えを改める様に言っても無理だと判断する曹昂。

(まぁ、事ある毎に劉備の危険性を説いていけば大丈夫だろう)

 とりあえず、今日は下がる事にした曹昂。

 

 後日。

 献帝が劉備の丁憂を認めず、許昌に戻るべしという内容が掛かれた詔が届けられた。

 天子の命により、劉備は喪に服する事なく許昌へと戻る事となった。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  更新お疲れ様です。  いつも楽しく読ませていただいています。 [一言]  これが曹操にとっての鴻門の会になるのでしょうか。  曹操も程昱も合理性が強い思考をする人のようで。自分が合理的に…
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