その言葉を待っていた
陥落した下邳城に曹操軍が入り、各所を占拠した。
抵抗する者達も居なくなり、曹操は大広間にて一人だけ座席に座っていた。
曹操の左側には劉備が立ち、右側に夏候惇が立った。
その他の家臣達が列をなしていた。曹昂は夏候惇の側に居た。
その列の真ん中を縄で縛られた呂布、陳宮、高順、張遼といった最後まで抵抗していた者達が兵と共にやって来た。
兵に促され歩く呂布。
歩いていると、自分を裏切った侯成、魏続、宋憲の三人を見つけた。
「この恩知らずの薄情者共め! よく、私の前に出る事が出来たな!」
呂布は三人の不忠をなじったが、侯成が冷静に答えた。
「我ら将兵よりも妻と妾達を大事にしておいて、何をおっしゃる。そもそも、この敗北も貴方が奥方の言葉に惑わされ、献策に従わなかった事で起こったのです。自業自得と思いなされ」
「さよう。それに貴方の御家芸は裏切りであろう」
「馬欲しさに、義理の父を。女欲しさに、主君にして義理の父を裏切ったのだ。因果応報と言うものだろう」
嘲笑うように述べる魏続と宋憲。
事実なだけに、呂布は何も言う事が出来ず項垂れた。
話が終わると兵が呂布を歩かせた。
そして、曹操の前まで来ると、兵が持っている槍の石突で呂布の身体を突きながら「跪け」と言う。
呂布は自分の身体を突いた兵を睨みつけたが、縄で縛られているので抵抗する事も出来ず跪いた。
後ろに居た者達もそれに倣うように跪いた。
呂布の後ろに居た陳宮は自分の運命を呪った。
(あの時、殺しておけば。この様な事にはならなかった)
曹操と別れる時に殺していなかった所為で自分は捕縛の憂き目となった。
陳宮はジッと曹操の顔を見つめていた。
「……孟徳殿。最早逃げる事も抵抗する事も出来ん。だから、縄を少し緩めてくれ」
呂布の言葉を聞いた曹操は苦笑いした。
「呂布よ。お主は虎だ。虎を縛る縄を緩める事が出来ると思うか?」
曹操がそう言うと呂布は唸る事しか出来なかった。
どうにか助命出来ないかと周りを見ると、劉備を見つけた。
「玄徳殿。 轅門で戟を射って、お主を助けた事を忘れたか? その時の恩義を返しても良かろう」
呂布は哀願して劉備に頼み込んだ。
頼まれた劉備は黙り込んだ。
(恩義があると言うが、そちらも曹操から追われた時に助けた恩義もあるだろうに)
曹昂軍に徐州が攻め込まれ風前の灯であった所を、呂布が兗州を攻め込んで来たので曹昂軍は撤退した。
借りが出来たと思った劉備は呂布を助けた。
だが、その恩を仇で返された。
徐州は奪われ、恩師である盧植も殺された。
其処までされても、曹操と袁術に対抗する為に恨みを飲み込んで手を結んでも、理由を付けて攻め込んで来た。
(呂布の様な狼子野心な者を助けても、恩義を感じる事はないだろう)
そう思い劉備は黙り込んだ。
ちなみに、この狼子野心とは凶暴な人は教化するのは非常に困難ということの例えだ。
劉備が助ける気配を見せないので、呂布は曹操に哀願した。
「孟徳殿。この私を使うつもりは無いか? まだ戦乱の世は続くのだ。私にはまだ利用価値は十分にあると思うぞ!」
自分の武勇に自信がある呂布。
曹操としても、呂布の性格は兎も角その武勇は一目置いていた。
なので、このまま殺しても良いものかと考えていた。
すると、家臣の列に居る主簿の王必が前に出た。
「殿。呂布は虎狼の様な男です! 虎の如き武勇を持っておりますが、狼の様に残忍な心を持った男です。その様な者を部下に迎えれば、殿は枕を高くして眠る事が出来ませんぞ!」
曹操は挙兵した頃から従っていた古参の部下の言葉にそれもそうだなと思った。
王必の言葉を聞いた呂布は今にも噛みつきそうな顔で睨みつけた。
睨まれた王必は呂布の目力に押され後退る。
「ふむ、そうよな。虎狼の男を部下にすれば、何時我が首を取られるか分からんしな」
王必の言葉を聞いた曹操は惜しいと思いつつも、その通りではあるなと思い処刑する事に決めた。
「外へ」
「お待ちください。父上」
曹操が外に連れ出して首を斬れと命じようとした所に曹昂が待ったを掛けた。
家臣の列から前に出た曹昂は待ったを掛けた。
曹昂が声を掛けた事で、曹操は何事かと思いながら曹昂を見た。
「どうした? 子脩よ」
「何も呂布殿を殺す事は無いと思います。配下に加えても良いと思います」
曹昂が助命を乞いだしたので、周りの者達は驚きの声を挙げる。
場がざわつく中、曹操は髭を撫でる。
「その理由は何だ?」
「今だ天下は定まっていない中で、豪傑である呂布殿はまだまだ活躍の場があると思います。ですので殺す事はないでしょう」
「ふん。何時裏切るのか分からないと言うのにか?」
「左様です」
曹昂は真剣な顔で述べるのを聞いて、曹操は少し考えた。
今にも処刑されそうな雰囲気であったところに曹昂の一声で空気が変わったと悟る呂布。
これは、いけるのでは?と思い、内心で曹昂を応援する呂布。
(ふ~む。大馬鹿なのか? それとも大器であるのか?)
『三つの家の奴隷』『虎狼』などと言われている呂布を助ける曹昂を見た陳宮は、曹昂という人物を見誤っていたのだと悟った。
「しかし、子脩殿。呂布は義父の丁原を馬欲しさに殺し、董卓の養子となったにも関わらず、女欲しさに義父の董卓を殺し、兗州が手薄と知れば兗州を攻め込み、私が留守にしている間に徐州を奪ったという事をお忘れで?」
処刑するという空気から助命しそうな空気になったので、劉備は曹昂に呂布がした事を述べた。
それを聞いた曹昂は頷いた。
「ええ、その通りです。しかし、今は頭を垂れて許しを乞うているのです。助けても良いと思います」
「ふんっ、お前はそうかも知れんが。他の者はそうとは限らんぞ?」
曹操が鼻を鳴らしながら口を挟んだ。
「確かに、呂布の武勇は素晴らしい。だが、目先の利益で容易に寝返る様な奴を配下に置けば、家中が乱れるかもしれん。そんな者を配下に加える事は出来ぬな」
曹操は呂布を処刑するべきだと言うと、曹昂は笑みを浮かべた。
ニヤニヤと笑うので、曹操達は気味が悪い笑みを浮かべるなと思っていた。
「成程。それはつまり、父上の配下に置く事は出来ないという事ですね?」
「まぁ、そうなるな……むっ?」
話をしていて曹操は違和感を感じ取った。
「では、私が呂布殿を家臣に迎えても宜しいですね」
曹昂は笑顔でそう述べた。
その言葉を聞いた曹操達は耳を疑った。
悪名高く、曹操ですら手を焼いた呂布を配下に迎えると聞けば驚くの無理ない事であった。
「待て、子脩よ。そんな危ない者を傍に置く事は無かろう」
「問題無いと思いますが?」
「大いにある。お前は私の長子だ。即ち、私の後を継ぐという事だ。呂布の様な危ない者を傍に置くなど断じてならん」
「まぁまぁ、呂布殿とは董卓に仕えていた時から親しくしていましたから、どの様な性格なのか分かっておりますので大丈夫ですよ」
「呂布の性格が分かっているだと? では、言ってみろ」
「本人の前で言えと? 呂布殿は縄目に掛かっていると言うに、辱めを受けさせるとは、父上も酷な事を言いますな」
曹昂は袖で口を押えて言いづらいという顔をしていた。
「何を馬鹿な事を言っている。早く言わんか」
「では……呂布殿は素直な性格ですね」
「呂布が素直だと?」
「そうでしょう。馬欲しさに義父の丁原を殺し、女欲しさに義父の董卓を殺しました。自分の欲望に正直ではないですか。これは素直と言えませんか?」
曹昂がどうして、呂布が素直な性格だという理由を述べると、聞いた者達は口を明けてポカンとしていた。
呂布の事をそう評する者などそうそう居ないからだ。
「……人の欠点を利点の様に言うとは、私の息子とは思えんな」
自分であれば、其処まで言えないなと思う曹操。
「そうでしょうか?」
「まぁ良い。其処まで言うのであれば、お前の好きにしろ」
曹操は処刑する気が削がれた様で、呂布の事は曹昂に任せる事にした。
「ただし、呂布よ。これだけは言っておくぞ。殺されても問題ない事をしたお前のその命を、息子が助けたのだ。もし息子を裏切る事をすれば、その時は何処に逃げ隠れしていようと、草の根分けて探し出して、お前の一族と共に首を刎ねてくれる。そう肝に銘じておけ」
「……はっ、承知しました」
処刑が免れたと分かった呂布は頭を下げて安堵の息を漏らした。
呂布が助かったので、曹昂は呂布の後ろに居る陳宮、高順、張遼の三人を見た。
「三人は如何なさいますか?」
曹昂に尋ねられ、高順と張遼は互いの顔を見た後、目で話をした後、二人は背筋を伸ばし前を見た。
「……敗将である以上、生殺与奪は勝者の自由。好きな様に」
「同じく」
高順達は呂布が助けられたので、自分達も降伏する事にした。
「…………」
そんな中で陳宮は黙っていた。
「……はぁ、私が縄目に掛かっているのは、全て呂布が私の言う事を聞かなかったからだ」
陳宮は悔しそうに呟いた。
「公台よ。お主はどうするのだ?」
曹操がそう訊ねると陳宮は溜め息を吐いた。
「……負けた以上、死あるのみ。疾くこの首を落とすが良い」
陳宮が首を斬れと言うのを聞いた曹操は気を宥める様に声を掛けた。
「公台殿。負けたからと言って首を斬っていれば、この世に優れた者は居なくなる。お主の才は此処で散らすのは惜しい。我が軍門に降るが良い」
曹操からしたら呂布よりも陳宮の才能の方が欲しいと思っていた。
勿論、智謀というだけではなく、ほんの一時とは言え共に行動した事があった。
その時に曹操は自分の出自やら夢などを語った。
それを聞いた陳宮は曹操の出自も夢も馬鹿にする事なく、素晴らしいと称えた。
宦官の孫というだけで自分を嫌う者が多い。陳宮はそんな事を気にせず接してくれた。
宦官の孫ではなく曹操個人という存在を認めてくれた者。それが陳宮であった。
曹操は自分を認めてくれた存在を殺すのに躊躇っていた。
「そう死に急ぐな。お主には老いた母と妻子が居るであろう。どうするつもりだ?」
「ふっ、天下を治める者は人の親を殺したり、妻子を途絶えさせたりしないもの。母と妻子の生死は貴公の手中にあり、私にはない」
陳宮の答えを聞いた曹操は何も言えなかった。
「それに、貴殿の下に降ったとしても、私の居場所は無い」
陳宮は曹昂を見ながら告げた。
「さぁ、早く首を斬れ」
「…………」
曹操は助けたかったが、陳宮は考えを変える様子を見せなかった。
「……外に連れ出し、斬れ」
曹操は兵にそう命じた。
兵士はその命令に従い、陳宮を外へと連れ出した。
曹昂は良いのかと思いつつ、曹操を見た。
今にも涙が出そうな顔をしていた曹操。その顔を見た曹昂は何も言えなかった。
程なく、陳宮は首を斬られた。
陳宮の首は許昌の市において晒し首となった。
余談だが、曹操は陳宮の家族を探しだし面倒を見た。