失った代償
高順率いる第一陣が劉備の籠もる郯県を包囲し、何度か攻撃を仕掛けるも城が落ちる気配は無かった。
暫くすると、呂布率いる本隊が高順と合流した。
その後、城を攻撃したが全く落ちる気配が無かった。
攻撃を始めてから数日が経ったが、未だに城が落ちる気配は無かった。
呂布軍の陣地の数ある天幕の一つの中で呂布が憤っていた。
「ええい、忌々しいっ! 劉備が籠もる城を落す事が出来ぬとはっ!」
呂布の怒鳴り声は天幕の外まで聞こえて来た。
それを聞いた兵達はその怒りの矛先をぶつけられたくないのか、そそくさと離れていく。
天幕の中には呂布の他に陳宮が居たが、憤っている呂布を前にしても平然としていた。
「はぁっ、呂布殿。落ち着いて下さい。怒ったところで城は落ちませんぞ」
「ぐっ、ぐぐぐ……」
陳宮の指摘に呂布は歯ぎしりをするしかなかった。
呂布のお気に入りの陳登は従軍こそしているが、この場には居なかった。
陳登よりも陳宮の方が軍略が優れていると思っている様で呼んでいなかった。
「だから、私は言ったでしょう。兵を差し向けるのは、待った方が良いと」
「ええいっ。過ぎた事を言って何になるっ。それよりも、何か策は無いのか⁉」
陳宮が自分の進言を却下された事で嫌味を言うと、呂布は怒声を上げた。
「固く城を守っている敵を倒す策などありません。このまま城を攻め続けるしかありません」
「ぬぐうううっっっ」
陳宮が策など無いと言うと、呂布は歯噛みするしかなかった。
『急報! 殿、一大事にございますっ』
天幕の外に居る兵が声を掛けて来た。
同時に天幕の中に入って来た。
「何事だ⁉」
「曹操軍の第一陣が州境を越え此方に向かっていると、付近を偵察している兵から報告が届きましたっ」
「なにっ、もう来たのかっ⁉」
兵の報告を聞いて呂布は驚きを隠せなかった。
それは陳宮も同じ思いであった。
「馬鹿な、早過ぎるっ!」
「我等が劉備を攻めた時に劉備が曹操に使者を送ったとしても、あと数日は掛かると思っていましたが、これはもしや、曹操は我等が攻める事を知っていたというのか⁉」
呂布と陳宮も曹操の進軍の速さに困惑していた。
「ぬうっ。どうする? 陳宮」
「此処は兵を分けて対処するのが良いかと思います」
「そうか。では、高順と張遼に当たらせるか」
「それが良いと思います」
呂布の提案に陳宮は同意した。
呂布は高順達を呼び寄せて五万の兵を与えて、曹操軍の第一陣を迎撃する様に命じた。
呂布の命令により、高順は副将を張遼、曹性を伴ない五万の兵と共に曹操軍の迎撃に向かった。
数日程駆けた後、高順は曹操軍を発見した。
それは同時に曹操軍も迎撃に来た呂布軍を見つけたという事でもあった。
両軍は直ぐに陣形を整えた。両軍共に横陣になった。
睨み合う両軍。
今か今かとぶつかるのを待つ両軍の兵達。
殺気が高まり、空気が張り詰めて行く中、夏候惇と高順はほぼ同時に号令を下した。
「「攻撃‼」」
両軍の指揮官の号令に従い、兵達は喚声を挙げて駈け出していった。
数は互角の為、直ぐに優劣がつくという事はなかった。
兵達は断末魔の悲鳴を上げ、地に倒れていく。
そんな中、副将として付いて来た曹性が一騎で敵陣に切り込みながら、敵将を探していた。
「敵将は何処かっ。この曹性と勝負せよっ!」
喚声が響き渡る中でも聞こえる様に声を上げる曹性。
その声が聞こえたのか、曹操軍の兵が襲い掛かるが曹性は手に持つ得物で打ち倒していく。
群がる曹操軍の兵達を薙ぎ払っている所に、曹性は見事な鎧を来た者を見つけた。
「その見事な鎧、敵将だなっ」
曹性は敵将を見るなり、得物を槍から弓矢に持ち替えた。
そして、矢を番え弓弦を引き絞る。
限界まで引き絞られた弦を指から離すと同時に、矢が放たれた。
放たれた矢は風を切りながら、狙い付けた敵将へと向かって行く。
そして、その矢はその将の左目に突き刺さった。
「ぐああああっっっ‼⁉」
左目に矢が突き刺さった事で、その将は悲痛の声を上げた。
「ああっ、元譲殿っ」
近くに居た副将の李典が心配そうに声を掛けた。
矢が突き刺さったのは夏候惇であった。
「ぬ、ぬうううっ」
夏候惇は左目に突き刺さった矢を掴むと、そのまま引き抜いた。
それにより、矢に突き刺さった目も一緒に引き抜かれた。
「親から貰った物を捨てる事は出来んっ‼」
夏候惇はそう言うなり、矢に突き刺さっている目を口の中に入れて飲み込んだ。
そして、夏候惇は怒りを声を上げながら馬を飛ばした。
「曹性っ‼ 片目を奪った代償を払って貰うぞ!」
怒号を上げながら向かって来る夏候惇。
片目を失ってもなお向かって来る夏候惇に恐怖し、二の矢を番える事が出来なかった曹性。
そして、夏候惇が槍を突き出すと、曹性は何の抵抗する事無く討ち取られた。
「敵将、曹性はこの夏候惇が討ち取ったぞ!」
夏候惇がそう宣言すると、呂布軍の兵達は後退を始めた。
「ぐっ、ぬうううっ」
敵が後退したので、追撃を命じようとしたが片目を失った痛みで声を上げる事が出来なかった夏候惇。
「殿。その傷では指揮は無理ですっ」
「ひとまず、撤退をっ」
部下達がそう進言すると、夏候惇は一瞬だけ悔しそうな顔をした後、殿を副将の呂虔に任せ、夏候惇は撤退した。
撤退する曹操軍を見た高順は追撃を仕掛けたかったが、曹性が討たれた事で、兵が混乱していた。
その為、追撃が出来なかった。
ようやく、兵を纏める事が出来た頃には、曹操軍は戦場から完全に姿を消していた。
高順は残念だと思いながらも、敵を撃退したのは確かなので、それで良しとし、呂布の下に戻る事にした。
余談だが、この戦で左目を失った夏候惇は盲夏侯という渾名を付けられた。
その渾名を嫌ったのか、夏候惇は自分の顔を見たくないのか、自分の屋敷にある鏡を全て投げ捨てた。
高順が曹操軍の第一陣を撃退したという報告を聞いた呂布は喜んでいた。
劉備が籠もる城を攻め落とす事の出来なかった鬱憤が晴れたような顔をしていた。
「まずは、良しだ。さて、先生」
呂布がへりくだった様に陳宮に訊ねる。
「どうか、私めに良き策を」
「……曹操軍の本隊が来る前に現状で出来る策は一つしかありません」
陳宮は何だかんだ言いつつも、呂布に好意を持っていた。
そうでなければ、主君殺しと義父殺しを行った呂布に従う事はしなかった。
その呂布が頼って来るので、陳宮も策を献ずる事にした。
陳宮が提案した策を呂布は直ぐに実行に移した。




