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301/1005

万金よりも

 宴を催してから数日が経った。


 曹昂の下に使者が来て、後数日で此度の援軍の要請に応じた礼の品が用意できると伝えに来てくれた。

 寿春周辺の土地の殆どが地図に書き上がっていた。

 後数日で出来上がると報告は上がっていたので、曹昂は問題ないと判断し了承した。

 

 使者が帰ると、曹昂は使用人に茶を淹れて貰い一人で飲んでいた。

「失礼します。呂子衡様がお会いしたと申しております」

「りょしこう? ……義父上の家臣かな?」

 名前では無く字を名乗ったので、誰なのか分からなかった曹昂はとりあえずその人物に会う事にした。

 使用人がその人物を部屋に通すと、曹昂は目を丸くした。

 知的な雰囲気を漂わせ立派な風采をしていた。

 見たところ三十代の様だが、この国では珍しく髭を生やしていなかった。

 曹昂はその人物を見て、袁術と謁見した時に家臣の列に並んでいる者達の中に、この人物がいた事を思い出した。

 髭を生やしてはいないが、別に宦官という訳ではない。部屋に入る際、歩き方を見たが、女性のような歩き方はしていなかった。

 曾祖父が宦官であったからか歩き方を見て覚えていた曹昂は、部屋に入って来た男性が宦官ではないと見抜いた。

 曹昂は椅子から立ち上がり一礼する。

 入って来た男も返礼の為か、頭を下げた。

「突然参りました事をお詫びいたします。私は呂範。字を子衡と申します」

 呂範は頭を下げながら挨拶してきた。

 その名前を聞いて、曹昂は眉が僅かに動いた。

(呂範と言えば、史実では孫策、孫権に仕えた謀臣じゃないか。特に孫策からは側近として重用されていたって書いてあったな)

 思っていたよりも大物が会いに来た事に驚く曹昂。

「子衡殿は何用で参ったのでしょうか?」

「いえ、曹孟徳殿の御子息とお話がしたいと思いまして」

「……そうでしたか」

 呂範がそう言っても、何か裏があるのではと思う曹昂。

 とりあえず、話を聞こうと思い曹昂は呂範へ座るよう促し、使用人に茶を持ってくるように指示した。

 そして、用意された茶を飲む呂範。

 曹昂も茶を飲みながら、呂範がどんな話をしに来たのか考えた。

「……ところで、如何ですか?この寿春は。中々に良い所でしょう」

「ええ、まぁ、そうですね」

 呂範の問い掛けに曹昂は言葉を濁らせた。

 寿春はどの様に統治されているのか気になった曹昂は部下を市内に放ち調べさせたが、南陽郡を治めていた時と変わらず重税を掛けている事が分かった。

 驚く事に重税が掛けられても逃げ出す人は少ないそうだ。

 それはつまり、寿春の方が南陽郡よりも豊かという証拠だ。

(……重税を掛けていれば、多くの人達が逃げ出すとは思わないのだろうかな?)

 南陽郡の贅沢な暮らしが忘れられないのか、それとも自分だけ良い暮らしが出来れば後はどうでも良いのか、曹昂は分からなかった。

「……はは、曹昂殿は御存じの様だな。殿の統治の仕方が」

 曹昂が言葉を濁したのを見た呂範は苦笑いした。

 その言い方から、袁術の統治の仕方に不満がある様であった。

「貴方は、義父上の家臣団の中でも智謀が優れていると聞いておりますよ。素晴らしいですね」

「ふっ、必要な時は聞きますが、それ以外の時は耳を傾ける事もしません。加えて、どれだけ諫言しても、気分次第で罵倒や叱責されるだけの存在ですよ」

 自嘲しながら自分の立場を話す呂範。

 それを聞いた曹昂は顔を引き攣らせた。

「……本日はどの様な御用で?」

 曹昂の問い掛けに呂範は周りを見た。

 周りには使用人が居た。

 それを見た曹昂は他人に聞かれたくない話がしたいのだと察した。

 曹昂は使用人達に「下がって良い」と告げた。

 使用人達は一礼し部屋から出て行った。

 部屋には曹昂達以外の姿が無くなると、曹昂は呂範に話すように促した。

「実は、我が殿には愛想が尽きました。何処かの優れた主に仕えたいと思い、こうして参りました」

「愛想が尽きた?」

 何を以て愛想が尽きたのか気になる曹昂。

「少し前に袁術は帝位に就きたいと言いました。勿論、その時は私を含めた家臣達が思い留まらせました。しかし、国が荒れ果てている時に、帝位に就くという事を言うなど、どう考えても自分の名誉を満たしたいが為です。その様な者と一緒に居れば、迎えるのは我が身の破滅です。ですので、誰かに仕えたいのです」

「成程。それで、父上に仕官したいと?」

「いえ、此処に来る前に孫堅殿の御子息であられる孫策殿の下に参ったのです。孫堅殿の御子息ということに加えて孫策殿の勇名は天下に響いております。将来性があると思い訊ねたのですが、丁度従兄の孫賁殿と狩りに出ている所でして」

「はぁ……」

 呂範の話を聞いて曹昂は首を傾げた。

 孫策には何処かに出掛ける場合、自分か曹洪か史渙の誰かに一言言うように伝えていた。

 それなのに言わずに出かけた事が、曹昂は腑に落ちなかった。

(何か隠し事でもしているのかな?)

 そう思っていると、先日曹洪に言われた言葉を思い出した。

 ―――親族の情を使って、向こうに寝返ったりするかも知れないだろう。

 まさかと思ったが、有り得ないとは言い切れなかった。

(後で『三毒』を使って調べさせるか?)

 長い間、共に戦った友人を疑う事に曹昂は躊躇った。

(……父上が張邈殿に裏切られた時もこんな気分だったのかな?)

 信じたいが疑いたいという気持ちが、頭の中でごちゃごちゃになる曹昂。

「どうかしましたか?」

 頭の中で色々な事を考えていたところで呂範が心配そうに声を掛けて来た。

「……いえ、何でもありません。それで、僕の下に来たのですか?」

「ええ、曹操殿であれば、我が才を遺憾なく発揮できると思います。ですので、どうか」

 呂範は頭を下げた。

 曹昂は少し考えた後、答えた。

「分かりました。では、義父上に一言言ってからで良いですか」

「は、はぁ?」

 袁術に何を言うつもりなのか呂範は分からなかった。

「僕に任せて下さい」

 曹昂は胸を叩くと、呂範を連れて袁術の下に向かった。


「なにっ、贈物は要らぬから、この呂範をくれと申すのかっ⁉」

 袁術は自分の下を訪ねて来た曹昂が呂範を伴い、そう言うのを聞いて耳を疑った。

「はい。そうです」

 曹昂は聞き間違いではないと言わんばかりに答えた。

 それを聞いた呂範は驚いていた。

「いや、しかし、もうそれなりの贈り物を用意しているのだぞ?」

「それは、義父上が呂布との戦でお使い下さい。何かと役に立つでしょう」

「むぅ、呂範一人にそれだけの価値が有ると言うのか?」

「賢を賢として色を易えという言葉もありますから」

 この言葉は賢者を賢者として尊重するという事は、美人を尊重する如くなりという意味だ。

「ふ~む」

 曹昂の言葉を聞いて、袁術は呂範を見た。

 其処までの価値があるのかどうか見ている様であった。

(そう言えば、こやつ、儂が帝位に就きたいと言った時に、一番反対したな)

 あの時、一番反対したという事は、この先帝位に就く事が出来る時が来ても反対するのではと思う袁術。

 そう思った袁術は、体よく追い出す事にした。

「……良かろう。お主が其処まで言うのであれば、呂範をお主にやろう」

 袁術が呂範をくれると言うので、曹昂は喜ぶが呂範は自分は袁術の中ではそれほど重要ではないと察した。

 見る目が無い主に仕えたのだと思い溜め息を吐いた。

「では、我々はこれで」

 お礼を述べた曹昂達は部屋を出て行った。

 後にある宴の席で呂範を袁術から貰う話が出た。

 ある者がこう尋ねた。

『呂範は贈り物に代わる程の者なのですか?』

 そう訊ねられた曹昂はこう答えた。

『古の時代に百里奚という男が居た。その者は賢く物事の道理に通じている者であった。その者は虞という国に仕えたが、重く用いられる事は無かった。やがて、虞は秦に滅ぼされた。その国に仕える事を嫌った百里奚は逃げ出し奴隷となったが、五枚の羊の皮で買われた。そして、彼は秦の宰相となった。百里奚は大いに国を富ませた。呂範はその百里奚に匹敵する程の才を持っている。贈り物の代わり以上の価値が有る』

 曹昂がそう答えたのを聞いて、皆感心して何も言わなかった。

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