乞い願う
翌日。
程丹達に励まされた曹昂は気を取り戻す事が出来た。
曹昂が目覚めると二人の姿は無かったが、二人の気遣いに心の中で感謝した。
そして、曹操の元に行こうと着替えをする事にした。
貂蝉達を呼ぶと、言っていないのだが白い衣と布が用意されていた。
曹昂は貂蝉達の手を借りて着替えた。
「……お元気になられて良かったです」
「心配掛けてごめん」
貂蝉が手伝いながら話し掛けてくるので、曹昂は感謝を述べた。
「私だけではなく、他の者達にも声を掛けて下さい。袁玉も董白も練師も心配していました」
「後で声を掛けるよ。今は父上の元に行くのが先だから」
頭に布を巻き終えると曹昂は襟を正し部屋から出て行く。その背を貂蝉は頭を下げながら見送った。
部屋を出た曹昂が廊下を歩いていると、既に曹嵩達の死の報告を聞いているのか文武百官が白い布を巻いていた。
曹昂を見ると深く頭を下げた。
曹昂も返礼しつつ曹操が何処に居るのか訊ねながら歩いていた。
廊下を歩いていると、ある部屋から大きな声が聞こえて来た。
「父上っっっ、私は親不孝者です。どうかお許し下さい。うああああああぁぁぁぁぁぁぁ……」
其処から曹操の嘆きが聞こえて来た。
部屋の前には夏候惇、曹洪、曹純、曹仁と言った親族達が辛そうな顔をしながらその嘆きを聞いていた。
「皆様方。お揃いで」
曹昂が一礼しつつ声を掛けると、四人は顔を向けた。
「おお、昂。来たか」
「その格好を見るに報告は聞いていたか」
夏候惇と曹洪は曹昂の気持ちを労わる様に頭を撫でてきたり、肩を叩いてきたりした。
「まさか、大叔父上が亡くなるとは」
「孟徳の兄貴の父親と思えない位に、慎ましやかな性格の人だったんだがな」
曹純と曹仁は亡き曹嵩の事を思い出しながら、故人の事で涙を流した。
「父上は何時から、お嘆きで?」
「昨日からだ。報告を聞くなり泣きながら、祭壇を作ってからもう、ずっと籠もっているぞ」
夏候惇は気持ちが分かるのか、溜め息を吐きながら教えてくれた。
「そろそろ、出て来てくれると良いのだが」
「仕事の方は荀彧達がいてくれるので問題無いが、流石にそろそろ身体に悪いだろう」
しかし、父の死を悲しんでいる曹操に声を掛けるのを躊躇ってか、誰も部屋に入る事が出来ず困っていた。
「あああ、弟よ。さぞ、無念であったろうっ、兄として残念でならない。ああああああ…………」
曹操が声を上げて嘆くと、夏候惇達はオロオロしていた。
曹昂も父が嘆いているなと思い、耳を澄ませたが声を上げた後に聞こえるのは、鼻を啜る音でも泣き声でもなく、何かを咀嚼する音であった。
その音を聞いた曹昂は最初聞き間違いだろうと思い、もう一度耳を澄ませたが、今度は何かを飲んでいる音が聞こえて来た。
曹昂は首を傾げたが、直ぐに思った。
(なんか、声を上げるの、少し間隔をあけてないか?)
そう思うと、もしかしてと思い曹昂は夏候惇に訊ねた。
「入っても良いでしょうか」
「むっ、そうだな」
夏候惇は曹洪達を見た。
曹洪達も互いを顔見合わせた後、頷いた。
「大丈夫じゃねえか」
「孟徳兄さんも、流石に昂が行っても怒る事はないだろうし」
「そろそろ、体調が心配だしな」
「だな。行ってこい」
夏候惇達が部屋に入っても良いと言うので、曹昂は一礼し部屋に入った。
部屋に入ると白い垂れ幕が至る所に掛けられており、部屋の奥には祭壇が設けられていた。
その祭壇の一番近くの席に曹操が座っていた。
後ろ姿しか見えないが、白い衣と布を巻いているのだけは見えた。
曹昂が近付くと、足音が聞こえたのか曹操が振り返った。
「来たか。昂」
振り返った曹操の手には大豆を持っていた。
その大豆を口の中に入れると、ポリポリと咀嚼する音が聞こえた。
「やっぱり、食べ物を持ち込んでいましたか」
「当然だ。何も食わず飲まずでは声を出し続ける事など出来ぬからな」
正解とばかりに曹操は自分の前に置いていた酒瓶を手に取った。
「……父上ええええ、どうかお許し下さい。ああ、許さんぞ。陶謙めえええええ……」
曹操は怒りと嘆きの声を上げると、喉を潤す為に酒瓶に口付け中に入っている酒を呷った。
「部屋の前に居る元譲様達が心配していましたよ」
一族の者達の祭壇で酒を飲むのはどうかと思いながら言う曹昂。
「ふむ。夏候惇達がそう思うのであれば、他の者も私が悲しんでいると思っているだろうな。これで攻める口実は出来た」
隣に座る曹昂の話を聞いた曹操は我が事なれりとばかりに笑みを浮かべた。
「……父上。祖父様と叔父上方が亡くなり悲しかったですか?」
「悲しくない訳がなかろう」
曹昂の問いに曹操は間髪入れずに答えた。
「報告を聞いた時は涙を流し、心の底から悲しんだ。そして、祭壇を設けて半時ほど父上と弟達と一族の者達の死に泣いた。だが、半時ほどすると、涙は引き怒りが浮かんだ。今度は天と陶謙に恨み言をぶつけた。そして、半時ほどすると、怒りも涙も消えて、今後の事を考えながら、嘆いたふりをした」
「今後の事と言うと?」
「これを機に徐州を我が手にする算段だ」
曹操が拳を握りながらそう答えるのを聞いて、曹昂は切り替えが早いなと思いながら、口を開いた。
「父上は切り替えが早いですね。僕は昨日一日中、泣いていましたよ」
「息子よ。何時までも嘆いては父上に申し訳なかろう。むしろ、今回の件を父上が与えてくれた好機と思う方が良かろう」
「その事で、父上に相談があり参りました」
「何だ?」
曹操が顔を曹昂の方に向けると、曹昂は少し離れると頭を下げる。
「此度の徐州出兵、どうか私めにお任せを」
「お前にか?」
「はい。何卒、御願い申し上げます」
普段から御願いする事があまりない息子が願ってくるので、曹操が顎を撫でた。
「……理由を聞かせよ。理に適っているのであれば、お前の願い通りにしよう」
「はい。一つ目は。父上は此処兗州の州牧にございます。軽々しい出陣は控えるべきだと思います」
「お前も豫州の州牧であろう。私が駄目で、お前が良い理由は何だ?」
「飽くまでも豫州は兗州のついでに治めている土地です。今、我等の本拠地は兗州です。父上が出陣する事になれば、誰かが奪いに来るかもしれません」
「誰が奪うと言うのだ? 袁紹か? 袁術か? それとも長安に居る李傕と郭汜か?」
「断定は出来ませんが、誰かが奪いに来る可能性があると思います」
「ふん。そんな事に怯えていたら、戦など出来んわ」
「それもありますが、父上は兗州の州牧になってまだ日が浅いです。まだまだ、父上に心服していない所はあります。其処の者らが父上の居ない隙を見計らい、何をしでかすか分かりません」
そう言われた曹操は口を閉ざした。
兗州の州牧の地位に就いてから、まだ二年も経っていない。
まだまだ、自分の威光が完全に州内に行き届いているとは言い難かったからだ。
「しかし、父上の弔い合戦である以上、私が行かなければならないだろう」
曹操はまだ自分が出陣する気であったが、其処に曹昂が胸を叩いた。
「其処で僕が父上の代理として兵を率いるのです。祖父様の敵討ちであれば、僕でも十分に面目が立ちます」
「ふむ。確かにな」
「更に言えば、此度の戦は主に攻城戦でしょうから。僕が援軍や武具兵糧などを必要になった時に、濮陽に連絡を入れます。父上はその都度、必要な物資を供給してください」
「何故、此度の戦は攻城戦なのだ? 前に徐州を攻めた時は野戦をした事があったぞ」
曹操の疑問に曹昂はスッと答えた。
「間者からの報告によると、徐州は先の戦で負けた痛手が完全に回復していないそうです。集めても一万から二万ほどの兵力しか無いそうです」
「それで、遠征軍の兵糧が無くなるまで籠城するか。兵法としては理に適っているな」
話を聞いた曹操は豆を口に入れながら、思案していた。
「確かに悪くない策だ。では、兵はどれだけ連れて行く?」
「兵は豫洲の兵を連れて行きます。兗州の兵は待機という事で」
「成程。いつでも援軍を送れる様にか」
「はい。ですが、相手に父上が出陣したと思わせる為に父上の牙旗(大将旗)を貸して頂きたい」
「私の牙旗をか?」
「はい。それで父上が出陣したと敵に思わせます」
「それは良いな。良し、では、お主を徐州征伐軍の大将に任じる」
「はっ。拝命いたします」
曹操が辞令を発したので、曹昂は謹んで受けた。
「良いな、曹昂。そこまで言うのだから、必ず徐州を取るのだ。父上と弟達と一族の者達の弔いの為にっ」
「はい。父上」
曹昂は深く頷いた。
(これで、この後来襲してくる呂布の対処は父上がしてくれる。蝗は甘寧達に任せよう)
年越し前にようやく飛行船が形になっていたので、甘寧と夏侯淵と孫策に曹操には告げない事を条件に見せた。
三人は大いに驚いたが、操作方法などを教えると直ぐに順応した。
その後、曹操と曹昂の二人は徐州における戦略について話し合った。
余談だが、曹操達が話し合った事で曹操が声をあげなくなったので、夏候惇達は揃って安堵の息を漏らした。




