切り替える
「……以上が事の顛末にございます」
濮陽の城の中に曹昂用に用意された部屋で『三毒』から齎される情報を聞く曹昂。
「……そうか。祖父様と一族の皆は」
「……報告では曹浩様と曹真様と曹徳様を除いて、皆殺しにされたとの事です」
報告する『三毒』の者も言いづらいのか言葉を詰まらせながら、報告をした。
寝台に座りそれを聞いた曹昂は沈痛な顔をした。
「三人は無事なのか?」
「はっ。運良く生き残った使用人の者達と共に泰山郡の太守の応劭率いる兵に保護されたそうですが……」
「何かあったの?」
「実は、その応劭様が数名の従者を連れて姿を消しました」
「えっ⁉ もしかして、逃げた?」
「その通りにございます。手の者に追わせましたので、何処に居るのかも直ぐに分かります」
『三毒』の者は応劭が何処に行ったのか分かっている様に言う。
此処は史実通りかと思いながら曹昂は応劭が何処に行ったのか訊ねる事はしなかった。
「まぁ、逃げたのは仕方がない。父上の怒りに触れるかも知れないと思えば、誰でも逃げる筈だ」
「如何なさいますか?」
「何もしないよ。後難を恐れて逃げた者を捕まえて処罰するのは可哀そうだしね。問題は張闓達の方だ」
報告を聞いて、曹昂は前々から張闓達がどうやって陶謙と父曹操の追手から逃れたのか分からなかった理由が分かった。
この様な事件を起こした以上、曹操は父親と一族の者達を殺した張闓達に懸賞金を掛けたり、追手を差し向ける筈であった。
陶謙も同じような事をする筈だ。そうしなければ、自分が命令したと思われるからだ。
であるのに、捕まったという話は聞いた事が無かった。
淮南に逃走したと言われているが、高価な品々と五百もの人が移動すれば、どうしても誰かの目に付く。
しかし、其処で州牧の息子が逃げるのを手引きすれば話が変わる。
もし、大人数で動いても『陶応様の命令で、この荷を運搬している最中だ』と言われれば、誰も疑う事はしない。
何せ州牧の息子が父に災難を振りまくなど、誰も考えないからだ。
そうして、徐州を経由して淮南に逃げて追手を振り切ったのであろう。
「しかし、まさか州牧の息子がこの件に係わっているとは思わなかったな」
この事件が起こった時は最初、陶謙が心変わりしたと思っていた曹昂。
報告を聞いて陶謙の息子の一人が起こしたと聞いて驚いていた。
「それで張闓達はどうしているんだ?」
「はっ。郯県から少し離れた所にある陶応の屋敷で宴を開いているそうです」
張闓達が宴を開いていると聞いて曹昂は思わず拳を握った。
そして、何度か口を開けたり閉じたりを繰り返した後で、重々しく告げた。
「……張闓達と陶応を捕まえる事は出来る?」
「ご命令とあれば」
「……では、命じる。張闓と陶応と部下数人を捕縛。……他は、殺せ」
「承知しました」
曹昂の命令を聞き頷くと『三毒』の者は部屋から出て行った。
『三毒』の者が部屋から出て行くのを見送ると、曹昂は両手で顔を覆った。
それは部下に人を殺す事を命じた事への後悔でも、祖父を始め一族の者達が殺された悲しみがまたぶり返した訳でも無い。
ただ、曹嵩達が殺されたという報告を聞いてから自分の頭の中に浮かんだ考えに嫌悪していた。
(これで徐州が取れる)
自分の祖父と一族の者達が殺されたと言うのに、そんな考えが頭を擡げたのを曹昂は嫌悪した。
「……祖父様と一族の皆が死んだというのに、悲しいよりもそんな事を思いつくとは」
無論、最初は悲しみに暮れて泣いていた。だが、一晩泣き明かすと思考が鮮明になり、祖父達が死んだ後の事を冷静に受け止める事が出来た。
流石に悲しくない訳ではない様で、曹昂の胸の内には穴が空いたような寂寥感はあったが、思考は明瞭であった。
なので、気持ちを切り替える事が出来た。
同時に自分はこんなにも無情だったのかと思い自分で自分の事が嫌になる曹昂。
(どうして、こんなにすぐ気持ちの切り替えが出来るんだ? 分からない。自分の事なのに)
自分自身が何なのか分からなくなる曹昂。
これも前世の記憶を持っている弊害なのか、それとも生まれ持って冷酷な性格なのか分からなかった。
そんな堂々巡りを悩んでいる曹昂の元に、ある者達がやって来た。
「健勝とは言えなさそうね」
「曹昂様」
曹昂の元に訪ねたのは程立の娘の程丹と蔡琰の二人であった。
「……何か御用で?」
曹昂は手を退けて二人を見る。
口から出た言葉が思ったよりも冷たい事に自分でも驚いていた。
「ちょっと話をしに来たわ」
程丹がそう言って曹昂の隣に座る。
「……今はちょっと」
話をしたい気分ではないので曹昂は離れようとしたが、程丹がその行動を読んでいたかのように、曹昂の首に手を掛けて自分の元に引き寄せた。
いきなりの事で反応できなかった曹昂は勢いのままに程丹の胸元に引き寄せられた。
「ちょっ、離れて」
良く知らない女性の胸元に身を預けるのは流石に恥ずかしいのか曹昂は離れようと藻掻くが、程丹は曹昂の頭をガッチリと抑えているので、どれだけ暴れても抜け出す事が出来なかった。
最初、ジタバタ暴れていた曹昂であったが、程丹の心音を聞いていると徐々に気持ちが落ち着いて行った。
(心臓の音を聞いていると、落ち着くとか聞いた事はあるけど本当なんだ)
前世でそんな話を聞いた事がある曹昂は気持ちが落ち着いて行くのを感じていた。
気持ちが落ち着いて行くと、其処に琴の音が聞こえてきた。
「耳汚しでしょうが。一曲」
そう言って蔡琰は琴を奏でた。
曹昂は音曲については詳しくないので、何を弾いているのか分からなかったが、気持ちが落ち着く曲だという事は分かった。
「落ち着いた?」
「……はい」
暴れていた曹昂が静かになったので、程丹は曹昂の頭を撫でながら訊ねた。
「そう。良かった」
「……あの、何でこんな事を?」
曹昂からしたら二人がこんな事をする理由が分からなかったので訊ねた。
「ふふふ、何でだと思う?」
逆にそう訊かれて曹昂は分からなかった。
「まぁ、強いて言うのであれば。泣きたい顔をしているのに泣けない子を泣かせて気持ちを楽にさせる為かしらね」
「泣きたい顔?」
それは誰がと聞かなくても曹昂には分かった。
顔を上げて程丹を見る。
「そんな顔をしているかな?」
「しているわよ。じゃなかったら、そんな顔をしていないわ」
微笑みながら頭を撫でる程丹。
「……報告を受けた時、一晩中泣きました。けど、次の日には気持ちが切り替える事が出来ました。これはどうしてだろう?」
今の心情を零す曹昂。
「それはあれね。実感が無いからよ。私も病気で母上が死んだ時、最初は泣いたわ。その後暫く泣かなかったけど、暫く経った頃に大泣きしたわよ。何故か分かる?」
「いえ……」
「母上に会えない事を実感したからよ。それでようやく母上の死を受け入れる事が出来たわ」
「……今の僕はそれだと?」
「そうでしょうね」
程丹にそう言われるとそんな気がしてきた曹昂。
「くっ……ふぐ、ぐうぅ……」
報告を受けた時は一晩中泣いたが、その後涙を流さなかった曹昂が泣き出した。
曹昂の目から流れる涙は程丹の胸が受け止め、鳴き声は蔡琰が奏でる琴の音で掻き消えていった。
琴の音は一晩中、響いた。




