完成
それから更に数日後。
州牧の仕事をしている曹昂の元に文がやって来た。
「……やれやれ、舅殿も大変だな」
曹昂はやって来た文を読むなり嘆息した。
送り主は袁術であった。
文には豫洲から送られる税に喜びつつも、劉表が先の戦いの損害をようやく回復したのか、兵を集めて調練している。いずれ、自分が治めている郡に攻め込むかも知れない。その時は親族の誼で援助をして貰えるだろうかとも書かれていた。
他には呂布を迎えたが領内で横柄な振る舞いをしているのでほとほと困っていると書かれていた。
(劉表が攻め込んできたら、援軍を出さないと後で何と言うか分からないからな。その時は誰を出そうかな。まぁ、その時が来たら考えるか)
今日明日の事ではないと判断した曹昂はそれ以上考えるのは止めた。
そして、仕事に戻ろうとしたら、また文が届いた。
「今度は何かな……むっ」
届けた者から文を受け取り広げ、目を通した。
最後まで読むと曹昂は喜んだ顔をした。
「ようやく出来たか。さて、劉巴と蔡邕にも声を掛けておかないとな」
曹昂は二人に出掛けるので付いて来る様にと命じつつ、護衛も準備させた。
数刻後。
この間来た溜め池に曹昂と劉巴、蔡邕の他に董白まで付いて来た。
曹昂が何で付いて来たのか訊ねると、暇だから付いて来たと言ってきた。
曹昂は董白は口が堅いから良いかと思い、これから見せる物は口外しないと約束させた。
そして、曹昂達が溜め池に着くとこの前来た職人達が既に居て、準備を済ませていた。
側に七輪で石が焼かれていたが、董白からしたら何をしているのか分からなかったが、前に作業を見ていた劉巴達は何かに使われるのだろうと直ぐに分かった。
「これは州牧様」
職人達の中で一番年上の男が曹昂を見るなり一礼した。
「首尾はどうだろうか?」
「はい。後は取り付けて起動させるだけです」
「後は成功するのを祈るだけか」
曹昂は溜め池の上で行われている作業を見た。
其処では前に人力のスクリューが付けられた舟があり、その舟に楕円形の形をした帆布が取り付けられていた。
前回の様に膨らんでいないので、作業の邪魔にならない様に池に浮かばせていた。
途中で解けない様にきつく締められていく。
「なぁ、曹昂」
「何かな? 董白」
「あの船、何か船尾に変な物が付いてないか?」
「あれはね。船体に取り付けられたペダルで進むために作られた暗車ってものだよ」
「って事は、あれはぺだるで漕げば進めるのか?」
「そうだよ」
「へぇ~、じゃあ、あの布は何の為に付けられているんだ?」
「見ていたら分かるから」
曹昂は全て教えても面白くないと思い教えるのを止めた。
董白は話すのを止めて、溜め池で行われている作業に注視した。
そうしていると、船の船体に長い管の様な物が取り付けられた鉄の箱が置かれた。その箱には管の他に蓋付きの大小の穴が二つ付いていた。
その箱も船体から動かない様に釘で止められていく。
釘で完全に固定されると、箱の蓋が開けられた。
その箱の中に先程から焼かれている石が箱の中に入れられていく。蓋を閉じると、今度は空いている小さな穴に入る大きさの筒が入れられた。
その筒には水が入っていた。
筒の中に入っている水が箱の中に入り、石に当たり蒸発した。
その蒸気が管を通って楕円形の帆布に向かって行った。
筒の水が無くなると、筒に水を入れてまた穴に差し込んだ。
そうして何度も水を入れて行くと、帆布が少しずつだが膨らんで行った。
(池に浮かばせているから、大丈夫かなと思ったが、大丈夫の様だな)
帆布気嚢が膨らんでいるのを見て曹昂は安堵した。
水だけでは石が冷えるので大きな穴の方の蓋を開け、七輪で焼いた石と冷えた石を交換する。
そんな作業を何度も繰り返すと、帆布気嚢が膨らみ船の真上まで来た。
今にも飛び上がりそうであった。
「良し。じゃあ、乗るか」
「「お待ちをっ」」
曹昂が船に乗り込もうとしたので、劉巴達が止めた。
「? どうかしたの?」
「何も州牧様が行く事はございませんっ」
「その通りです。ですので、代わりの者を乗せるべきです」
「え~、でも。誰か乗る?」
曹昂は周りに居る者達を見る。
護衛もこの前を連れて来た者達とは違うので、首を横に振った。
皆、得体の知れない物を見て恐怖している様だ。
「……誰も乗る気がないようだけど」
「いえ、だからと言って若君を乗せる等できる訳がありません」
蔡邕は思いとどまる様に言う。
「おぅい。曹昂。もう乗っても良いか?」
曹昂達が話している間に董白は面白いと思ったのか船に乗り込んでいた。
「ああ、うん。僕も乗るからね」
「なら、早く来いよ」
董白がそう言うので曹昂は船に乗り込んだ。
「じ、自分も乗りますっ」
劉巴も主君だけ危険な目に遭わせるのは部下の恥だと思ったのか、意を決した顔で船に乗り込む事にした。
蔡邕は「どうか。御無事で」と一礼した。
(そこまで危なくはないだろう)
曹昂はそう思いながら船に乗り込んだ。
劉巴も船に乗り込むと何かに祈る様にブツブツと呟いていた。
やがて、帆布気嚢が十分に膨らみ、池から浮かび上がった。
まだ、上空に飛び立たない様に綱が付けられていたが、浮かび上がって行くと綱がピンと張るまで浮かんだ。
「此処まで浮かべば十分だ。綱を切って」
「はっ」
曹昂がそう命ずると部下が剣で綱を切った。
綱が斬られた瞬間、船は更に浮かび上がった。
前回の様に空に浮かぶと風が冷たくなると知っていた曹昂は事前に厚着をしていたので問題なかったが、董白達は違った。
「くしっ、寒いな……」
「遮る物が無いから余計にそう思えますな」
二人がそう言うのと船に乗り込んでいる者達も同意する様に頷いた。
「そう言えば、厚着する様に言うのを忘れていたな。ごめんごめん」
曹昂は謝りつつ、董白を抱き寄せる。
「これで寒くない?」
「…………ふん。知るかよ」
董白はそう言いつつも顔を赤らめながら背けた。
そうしている間も船は浮かび続けた。
高度は上がり池が辛うじて見える所まで到達した。
「若君。そろそろ暗車が動くかどうかの確認をしても良いですか?」
「ああ、良いよ」
「良し。漕げっ」
乗り込んだ者達の一人がそう言うと、ペダルに座っている者達が漕ぎ始めた。
「「「えっほ、えっほ、えっほ」」」
ペダルに座っている者達は掛け声を上げつつ漕ぎ始めた。
すると、暗車が回り始めた。
その回転に合わせて船がゆっくりとだが、進みだした。
「お、おおお、これは……」
「進んでいるぜ。この舟」
空に浮かんで舟が進むのを見て驚く劉巴達。
「これはすげえなっ」
董白は一際驚嘆していた。
周りは遮蔽物など無いので、何処までも何処までも遠くを見る事が出来た。
地上と青い空の間に浮かんでいるのを見て、董白は怖いと思うのと同時に非常に良い気分であった。
「こいつは絶景だな。まさか、空に浮かぶ事が出来るなんて思いもしなかったぜ」
董白は曹昂に抱き付きながら風景を見て感動していた。
「だよね。僕もそう思う」
そう答えながら、曹昂は改良点を頭に上げていく。
(この舟をもっと大きくすれば、漕ぎ手も増やすことが出来て早くなる。後は蒸気機関だな。気嚢を膨らませるのに時間は掛かるけど、高度を上げられるようにしないと。スクリューは人力でも問題無く動けたから、これで水上での戦があってもこれを取り付けておけば風が無い時でも動かせる。後は舟の底を着地しても壊れない様に丈夫にしないとな。鉄板でも張るか? 後は気嚢だな。もっと丈夫にした方が良いな)
舟に揺られながら改良点を考える曹昂。
浮力が無くなるまで船は動き続け、池に着水した。
そして、曹昂達は舟から地上に降り立った。
「う~ん。空に浮かぶのも悪くねえけど。やっぱり、地面に足を付けている方が良いな~」
曹昂から離れて董白は身体を伸ばしながらそう言う。
「ははは、其処は董白が馬に乗って暮らしていたからそうなんだと思うよ」
と曹昂は笑いながら言うが、董白の意見には舟に乗った者達が同意した。
確かに絶景を見る事は出来たが、それでも何時落下するか分からない所に居るよりも大地に足を付けて歩いていた方が良いと思えた。
「お帰りなさいませ。若君」
戻って来た曹昂達を蔡邕が出迎えた。
「先生。この事は」
「他言無用ですね。仰せのままに」
蔡邕自身も機密にする事に加えて、この事を曹操に文で教えても正気を疑われると思い教える気はなかった。
「若君。この船は何と名付けるのですか?」
「そうだな。とりあえずは、飛行船で良いんじゃないですか? 後日父上に見せた時に父上に名付けて貰えればいいでしょうし」
「宜しいかと思います」
蔡邕も頷いたので、曹昂は熱空気飛行船を飛行船と名付けた。