大空へ
「……報告は以上です」
「そうか。王允様はお亡くなりになったか」
曹昂は城の中で長安に送っていた密偵からの報告を聞いていた。
「長安は李傕と郭汜の二人が支配しております。李傕は車騎将軍と池陽侯に、郭汜は後将軍の職に就きました」
「ふっ。二人が栄耀栄華の暮らしをしているのが目に浮かぶな」
李傕と郭汜の二人が楽しそうに酒宴を開いている姿を頭に思い浮かばせた曹昂。
「それで、呂布はどうなった?」
「長安を追い出された呂布は南陽に向かい、袁術の元で客分として滞在している様です」
「ふ~ん。そうか。報告ご苦労、下がっても良いよ」
報告をした密偵を下がらせて、曹昂は窓から外を見た。
「王允様が亡くなったか。三日天下で終わったというのも可哀そうだけど、詰めを誤ったのが原因だから何とも言えないな」
曹昂は流石に王允の事を哀れに思った。
「……さて、問題はこれからだな」
暫し王允に黙祷を捧げると、曹昂は直ぐに気持ちを切り替えてこれからの事を考えた。
「呂布がその内、兗州に来るのは良いとして、問題は蝗害だな」
前世の知識で曹操と呂布が兗州の支配を掛けた戦の最中に起こる蝗害。
この被害で曹操の兗州支配が数年遅れたと言われている。
「飛蝗か。正直、蝗害って言われてもピンとこないんだよな」
前世が日本人であった所為か蝗害というのを話に聞いた事はあるが見た事は無いので、どの様な対策を練るべきか分からない曹昂。
「飛蝗。虫だからな、酢と水を混ぜた物をばらまくか? それとも火炎放射器で焼き尽くす? もしくは煙で来ない様にするか?」
どれが良いだろうか悩む曹昂。
悩んでいると、練師がお盆に皿と杯を乗せてやって来た。
「失礼します。御菓子をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
そう言って練師は曹昂が使っている書机の上に皿と湯呑を置いた。
皿には白く丸い物体が乗っていた。
曹昂はその白く丸い物を見る。
まだ、出来たばかりなのか湯気が出ていた。
「うん。美味く出来ているな」
曹昂はその白い物体を見て満足そうに見た。
その白い物体は蒸した包子と名付けたものだ。
饅頭と言っても良かったが、どういう語源だと聞かれたら答える事が出来なかったので、曹昂はとりあえず包んでいるので包子と名付けた。
中に入っているのは菓子という事で餡子を入れている。
昼食の時は肉餡を入れたり、焼き豚を入れたりしている。
「あち、……うん。美味しい」
まだ、熱いフカフカの白い生地を触って手を一瞬引っ込めたが、何度か触っていると熱さに慣れたのか、包子を掴む事が出来た。
曹昂は口を大きく開けて包子にかぶりついた。
白くフカフカな生地に甘い餡子が良く合っていると食べながら思う曹昂。
食感が欲しいので粒餡にしたが、これで漉し餡でも美味しいだろうなと思った。
(こうして饅頭を食べる事が出来たのは良かったな……むっ)
包子を味わっていると、曹昂はある事が頭に浮かんだ。
(蒸す。蒸気が出る。蒸気で浮かぶ……気球!)
気球の事を思い出した曹昂は目を見開いた。
「そうだ。あれがあったっ」
気球と連想してある物を思い出した事で叫ぶ曹昂。
咀嚼中であったからか、生地と餡子が口から飛び出した。
「ど、どうしました⁉」
練師は突然、曹昂が叫んで口から色々な物を飛び出すので驚きながらも書机の上に飛び散った物を布で拭いて取り去った。
「これがあれば、蝗害を少しは抑える事が出来る。そうと決まれば、直ぐに設計図を引かないと駄目だっ」
曹昂は包子を皿に置くと、筆を取り紙に何かを書き込み始めた。
凄い集中しているので何を書いているのか訊ねるのに気が引けた練師。
とりあえず、自分が此処に居れば邪魔になるだろうと思い練師は曹昂に一礼し部屋を出て行った。
曹昂は何度も設計図を書いては消してを繰り返した。満足な設計図を書けたのは次の日の朝であった。
そこで、腹の虫が鳴き出した。そこで自分はお腹が空いていると気付き、すっかり冷めた包子と茶で腹を満たした曹昂。それで腹が膨れたのか、今度は眠気が襲い掛かってきたので寝室に戻り眠りについた。
数日後。
曹昂は許県の近くにある溜め池にいた。
他にも劉巴や蔡邕と職人の格好をした者達と兵士等もいた。
「伯喈様。本日は何の為に此処に来たのでしょうか?」
この場所に来るようにしか言われていない劉巴は何をするのか見当がつかなかった。
「儂も此処に来るようにしか言われていないので分からんが。恐らく、この溜め池の視察に来たのであろう」
この場所に来るように言われたのでそう推測する蔡邕。
この溜め池は旱魃や洪水などの自然災害に備えて作らせたものだ。
今、蔡邕達が居る所以外にも複数作られている。
「そうかも知れませんね。ただ」
劉巴は溜め池の側にある重しが付けられた箱と大きな焚火が気になっていた。溜め池には舟が浮かんでいるが、その舟には曹昂が作ったペダルが付けられており底には車輪の部分が無い車の様な形をしていた。
焚火には今も枯れ木が放り込まれて火勢を強くしている。
何の為に焚火をしているのか分からず、二人は首を傾げていた。
「ごめん。少し待たせたね」
其処に自分の肩に愛鳥である重明を乗せた曹昂が護衛の兵達を連れてやって来た。
護衛の兵達の後ろには馬車が付いて来ており、その馬車には大きな帆布が入っていた。
それで余計に何をするのか分からなかった。
「若君。一体これは何をするのですか?」
蔡邕が曹昂にそう訊ねると、曹昂は笑顔を浮かべた。
「ちょっとした実験」
「実験?」
「どのような?」
「まぁ、見て居れば分かるから」
曹昂は兵士達に手で合図した。
事前に何をするのか言われていた兵士達は行動を開始した。
兵士達は馬車に積んである布を持って、焚火の側に行く。
布の端の部分には予め穴が開けられており、その穴に紐を通し解けない様に強く結び箱に括り付ける。
そして、布を広げた。手が空いている兵士は焚火を団扇で煽いでいた。
それで火勢が強くなってきた。と、同時に驚くべき事が起こった。
広げていた布が少しずつだが膨らんでいった。
「「っっっ⁉‼」」
布が膨らむのを見て蔡邕達は目を見開いていた。
「もう、これぐらいで良いかな。紐を箱に括り付けて。絶対に外れない様にしてね」
「「はっ」」
曹昂の命令に従い、兵士達は紐を箱に括り付けた。
重しが付けられているので飛ぶ事は無かったが、箱は今にも浮かびそうであった。
「これで飛べるかな。さてと」
曹昂は周りを見る。
「乗りたいと思う人いる?」
曹昂がそう訊ねると、皆首を横に振った。
この時代、空は未知の領域で、其処に居る事が出来るのは飛べる鳥だけという印象が強く、其処に行く事は出来ないという思いがあるからだ。
これも仕方がないかと思う曹昂は頭を掻いた。
「じゃあ、仕方がない。此処は僕が乗るか」
曹昂がそう言うと護衛の兵士達はギョッとした。
これでもし、曹昂が亡くなる様な事に成れば、曹昂の父である曹操に殺されると思ったからだ。
それだけならまだ良いが、下手をしたら一族を皆殺しにされる事も考えられた。
護衛の兵士達は輪になって話し始めた。
結果。数人の兵士が曹昂と共に箱に乗る事となった。箱には風に流されない様に紐が括りつけられていた。
曹昂達が箱に乗ると、重しが外された。
すると、徐々にではあるものの膨らんでいた布が空へと浮かび上がって行った。
箱が浮かび上がると、曹昂は肩に乗せている重明は空に飛んで曹昂達の周りを旋回していた。
「お、おおお・・・・・・」
「う、浮いている・・・・・・?」
徐々に浮かぶ箱に、最初ビクビク震えながら手で顔を覆う兵士達。
少しずつ上がっていくと、外の様子が気になったのか、恐る恐る手を退けて目を開けて見た。
すると、地上と雲との間に浮かんでいる自分達が居る事を知った。
地上よりも高い位置にいるせいか、風も冷たく強かった。
だが、周りの風景を見て言葉を失った。
それ程浮かんでいない筈なのに、自分達が何時も見ている光景よりも高いだけなのに世界が広がった気分であった。
周りには森や山という遮蔽物が無いので余計に広いと感じていた。
最初は怖がっていた兵士達もその風景を見て感動して言葉を失っていた。
その風景も永遠に見られる事は無く、膨らんでいた布に冷たい風が当たる事で浮力を失っていく。
やがて、箱は浮力を失うと溜め池に着水した。
派手な音を立てて水しぶきを上げたが、沈む事なく浮かんでいた。
だが、水しぶきで曹昂達の身体を少し濡らした。
「……わぷ、少し濡れたな」
曹昂が濡れた部分を絞っていたが、兵士達はポカンとしていた。
初めて空に浮かんだ衝撃が強かったのか、まだ魂が抜けた様な顔をしていた。
そうしている間に、溜め池の側にあった舟が近付いて来た。
この船には人力のスクリューが付けられており、櫂で漕ぐ事なく進む事が出来た。
舟の先頭には蔡邕が居た。
「若君。御無事ですかっ」
「うん。大丈夫だよ」
凄い心配な顔をする蔡邕に曹昂は不思議そうな顔をしていた。
「そうですか……しかし、箱が空に浮かぶとは思いもしませんでした」
自分の中にある常識が崩れたと思う蔡邕。
「これを使えば空から地上が見えるので色々と扱えますね」
偵察、地図の作成、連絡手段など色々と使えるなと箱が飛び上がるのを見て思えた。
「惜しむらくは進むのが出来ないので残念ですね。それが出来れば戦にも大活躍できるというのに」
そう言いつつも蔡邕はこれでも十分だろうと思ったが、蔡邕の言葉を聞いて曹昂は其処も大丈夫だと言わんばかりに頷いた。
「其処も大丈夫。ちゃんと考えて、進める様にするつもりでいるから」
「何と⁉ それはどの様な方法で?」
「先生が今乗っている舟の底につけている物を先程の様に膨らませた物に付けたら進む事が出来ますよ」
曹昂にそう言われて蔡邕は思わず舟を見た。
言われてみると、船は櫂で動く事なく前に進んでいた。
これを先程の浮かんでいる箱に付けると、進むと思うと蔡邕は言葉を失う程の衝撃を受けていた。
「……本当に出来るので?」
「勿論」
曹昂が胸を叩いた。
そう言う曹昂の姿を見て本当に出来そうな気がする蔡邕。
まだ、浮かぶ為の動力機関が出来ていないので曹昂がいう物はお目見えにならなかったが。
既にどの様な形になっているのかは設計図が出来ていたので、蔡邕達はどの様な物を作るのか分かった。
この事を曹操にも教えるのかと言うと、曹昂が止めた。
「敵を騙すには味方からだよ。こんな兵器がある事を知るのは少ない方が良いからね」
そう言って言わない様にと厳命した。
曹昂は箝口令を敷いて、解散となった。
帰り道で蔡邕は曹昂に訊ねた。
「ところで、若君。あのような物をどうやって作れると思ったのです?」
「ああ、それはね……蒸籠で包子を蒸していると、偶々布が風で流されて来たんだけど、蒸籠の湯気で一瞬だけ舞い上がったのを見て思いついたんだ」
ちょっと苦しい言い訳かなと思いつつ言う曹昂。
「はぁ、そうでしたか……」
聞いている蔡邕は訝しむというよりも、どういう状況で布が蒸籠の上に布が流されてきたのかが分からなかった。