決裂
翌日。
郿城の一室。
其処には董卓、李儒、王允の三人が居た。
「……成程。そういう訳ですか」
董卓から話を聞いた李儒は難しい顔で頷いた。
「儂としては呂布を殺したいところだが、王允は貂蝉を与えれば呂布は大人しくなるだろうと言うのだが、お主はどう思う?」
「私もその意見には賛成です」
内心では貴方が人の口説いている女性を奪ったからこうなったのだと思うが、言えば殺されると分かっているので李儒は言わなかった。
「そうか。お主もそう思うか……」
腹心の李儒がそう言うのを聞いて董卓は貂蝉を与えた方が良いという気持ちが強くなった。
だが、自分のお気に入りの女を与えるのは受け入れられないという気持ちもあった。
董卓が悩んでいるのを見て王允が話し掛ける。
「恐れながら相国。あまり時間を掛けますと、呂布殿が良からぬ事をするかも知れません。現に私が屋敷を訪ねた時、私が来た事に気付かずに『このままでは殺される。その前に何処かに逃げた方が良いか? いや、いっその事殺される前に』と呟いていました。最後の続きを言う前に私が来た事に気付いて歓待しましたが」
王允は嘘をついたが、董卓も李儒もそれを聞いてさもありなんと頷いた。
「ぬぅ、呂布に去られれば、儂の身が危うい。これは放置できんな」
董卓は渋々だが貂蝉を渡す事に決めた。
「相国。貂蝉の説得は私も加わりましょう」
「おお、そうか。それは心強い」
董卓は善は急げとばかりに王允と伴い貂蝉の元に向かう。
城内にある一室。
其処は董卓が貂蝉の為に用意した部屋であった。
「ええっ、私に奉先将軍の元に行けとっ」
貂蝉は部屋に入って来た董卓達の応対をし、部屋へ訊ねて来た理由を尋ねた。
董卓がその理由を話すと貂蝉はとても驚いた表情を浮かべていた。
「う、うむ。儂としてもお主を呂布にやるのは惜しいと思う。だが、呂布はお主に懸想しているようだからな……」
「相国様。それはあまりに酷いです。この前も琴を弾いていたら突然やって来て、無理矢理私を抱き締めた様な男の元に行けと言うのですか? 失礼ながら、あの男は相国様の義理の息子とは思えない程に粗暴です。前の義理の父である丁原様も殺す様な、情けの欠片も無い性格なのですよ。獣ですっ」
貂蝉は本当に嫌なのか目に涙を浮かべて嫌がった。
流石の董卓もその涙を見ると、それ以上、何も言えなかった。
「貂蝉。相国様の命に背くと言うのか?」
王允が叱りつける様に声を上げる。
「私は其方の父が亡くなって、身寄りが無いお主を引き取り身元を保証し後宮に上げたのだぞ。それでこうして運良く相国の目に留まり、今の様な贅沢な生活を出来ていると言うのに、その相国がお主に頼んでいると言うのに、何と恩知らずなっ」
「うう、ですが」
「黙らんか。お主は相国の命に従い、呂布将軍の元に行くのだ。良いなっ」
王允は聞く耳もたないとばかりにそう言うと、貂蝉は涙を流しながら立ち上がり柱の元までやって来た。
「最早、現世で好いた人と共に居る事は敵わないのですね。でしたら、私は先に九泉へ向かい、相国様が来るのをお待ちしております」
「ち、貂蝉。何をするっ」
「相国様。九泉の元でまた会いましょう」
そう言って貂蝉は柱に自分の頭を叩きつけた。
余程、力を込めたのかぶつけた所から血を流しながら床に倒れる貂蝉。
「おお、貂蝉、貂蝉!」
貂蝉が倒れるのを見て董卓は慌てて駆け寄る。
「誰か、誰かおらんか。直ぐに侍医、侍医を呼んで参れっ。急げっ」
董卓は貂蝉の肩を抱き、声を張り上げる。
「相国。そのまま死なせてやって下さい。私の恩も蔑ろにするだけではなく、相国の願いも無下にするような者はこのまま死なせて、野に捨てるべきですっ」
王允は貂蝉のしたことが許せない態度を取ると、董卓は目に涙を浮かべながら王允をキッと睨む。
「五月蠅いっ、黙れ。それ以上、何も言うでないっ。さっさと出て行けっ。さもなくば、貴様を殺すぞっ」
「…………畏まりました」
董卓にそう言われて王允は仕方がなさそうな顔をしながら一礼して部屋を出て行った。
『誰ぞ、早く侍医を、侍医を呼んで参れっ。あああ、貂蝉、儂の可愛い貂蝉、ああああああああ』
部屋からは董卓の叫び声が聞こえて来た。
その叫びを聞いて王允はほくそ笑んだ。
少しして、呂布の屋敷。
呂布は私室で座っていた。
気が落ち着かないのか、腕を組みながらソワソワしていた。
(王允殿は取り成してくれたのだろうか? 大丈夫だろうか?)
そう思いながら胸が不安で一杯の呂布。
そんな時に使用人が部屋に入って来た。
「ご主人様。王允様が参りました」
「おお、来たか。直ぐに通せっ」
王允が来たと聞いて呂布は何とか取り成しが出来たのだと判断した。
使用人に直ぐに通すように命じた。程なく使用人は王允を連れて来た。
王允を部屋に通すと使用人は部屋から出て行った。
「待ちかねましたぞ。王允殿。それで相国はなんと?」
呂布がそう訊ねると、王允は少し口籠もった。
どうした事だと呂布が思っていると、王允が重々しく口を開いた。
「奉先殿。申し訳ない。私はとんでもない事をしてしまったようだ」
「なに? それはどんな事ですか?」
「奉先殿の話を聞いて、まずは相国に話す前に貂蝉の気持ちを聞いたのだが、貂蝉はお主の事を好いているのだと話したのだ」
「そうでしたか。それで?」
「私はその話を聞いて、このままにするのはあまりに不憫だと思い、貂蝉を連れて相国の元を訪ね『貂蝉と呂布殿は互いに相思相愛の関係です。どうか、二人を結ばせてくれないでしょうか』と言うと、それを聞いた相国は激怒なさったのだっ」
「何と⁈」
「それだけではなく、貂蝉の髪を掴んで柱に頭を打ちつかせて、怪我を負わせたのだ」
「‥‥‥‥なぁ」
「そして、相国は『この者は儂の女だ。儂がどうしようと儂の勝手だ。本来であれば打ち首にするところをこうして怪我を負わせるだけで許してやる』と言ってその場に打ち捨てたのだ」
王允は其処で話すのを止めて呂布の顔を見る。
呂布は怒りが顔を真っ赤にしていた。
「そして、私にも『そのような話を持って来たお主も本来なら打ち首だが、日頃の忠勤に免じて許してやる。それと、呂布に伝えよ。近い内に出仕しないと言うのであれば、貂蝉への思いが断ち切れないと判断し一族の首を刎ねると伝えよ』と言って部屋を出て行かれたのだ」
「おのれ、あの獣がっ」
「呂布殿。此処は相国が申す通りにするのが賢明です。どうか、貂蝉への思いを忘れて下され」
「そんな事が出来るものかっ。あの老いぼれめ。今までは義理の親という事で下手に出ていたが、もう許さんっ」
「呂布殿。怒りを鎮められよ。此処は冷静になりましょう」
「いや、ここまで辱められて我慢が出来るものかっ」
呂布は怒りの炎を目に宿らせた。
(……上手くいった。これで董卓と呂布の関係は破綻した)
計略通りに事が進み王允は内心で笑っていた。