呂布と貂蝉の密会
想い人であった貂蝉を董卓に奪われた事で、怒りを抱く呂布。
だが、義理の父でもあり主君でもある人物に弓引くという事は考えなかった。
しかし、自分が口説いている女性を奪った男の隣に立って警備をするなど呂布の自尊心が許さないのか、病気と言って出仕しなかった。
董卓も呂布が病気と聞くなり、重い病に罹ったのかと思い直ぐに侍医(天子や皇族の病気を診療する医官)を送ろうとしたが李儒が止めた。
李儒は董卓の娘婿という関係で呂布とも付き合いがあるのでその性格をよく知っていた。
なので、仮病だと見抜いた。
だがそれを董卓に言えば、呂布との関係にヒビが入ると分かっているので、董卓には適当な事を言って誤魔化した。
董卓も李儒の言葉を聞き入れて、呂布には病気が治るまで出仕しなくても良いと伝えた。
それから数日後。
今日も呂布は自分の屋敷の寝室で横になっていた。
其処へ呂布の代わりに董卓の警備をしている部下がやって来た。
「将軍。そろそろ出仕いたしましょう。相国様も将軍に会えないのが寂しいのか。私に「呂布はまだ病が治らんのか?」と頻りに訊ねて来ます」
「ふん。病が治ったら出仕すると伝えておけ」
呂布は部下に背中を向ける。
「しかし、いい加減に出仕しませんと、相国にあらぬ疑いを掛けられるやもしれません」
「知った事か」
「今も相国が朝議に参加して、相国から離れる事が出来まして訪ねてきたのですよ」
「ご苦労な事だ……むっ」
呂布は部下の話を聞き流していたが、直ぐに何かを思い至った様で身体を起こした。
身体を起こした呂布を見てやっと出仕してくれるのかと思った。
「急に体が良くなった。明日にでも出仕しよう。今日は帰れ」
「分かりました」
呂布が出仕すると聞いて部下は一礼して部屋から出て行った。
部下が出て行くのを見送ると、すぐさま呂布は厩舎に向かい愛馬に跨り郿城に向かった。
郿城に着くと、城門を守っている兵達は来た者が呂布だと分かるとすんなりと城内に通した。
「これは奉先様。本日はどの様な御用で」
呂布が来たので兵士が出迎えた。
「相国様はどちらだ?」
「相国様でしたら、長安にある朝廷で朝議に出ているかと」
「そうか。明日より出仕するので挨拶に来たが、行き違いであったか」
朝議に出ている事を知りながらそう訊ねた呂布。
「では、部屋で待たせてもらうぞ」
「はっ。どうぞ」
兵士の案内で呂布は城内に入った。
そして部屋に入ると、直ぐ外に出て貂蝉を探した。
(董卓が朝議に出ているのなら、貂蝉の側に居ない。ならば、今なら会える)
そう思い行動を開始した呂布。
そして、直ぐに呂布は貂蝉を見つけた。
「貂蝉」
琴を弾いていた貂蝉を見つけ思わず呟く呂布。
その声が聞こえたのか貂蝉は手を止めて声がした方に顔を向ける。
「奉先様……」
「貂蝉っ」
呂布は貂蝉に近寄り抱き締めた。
二度と離さないとばかりに。
呂布と貂蝉が会っている頃。
董卓は王允と共に馬車に乗り郿城に向かっていた。
「ははは、お主に相談も無しに異動させて済まぬな」
「いえ、突然の事でしたので驚きましたが、貂蝉は元気にしておりますか?」
「うむ。元気にしておるぞ」
二人は馬車の中で談笑していた。
朝議が終わると、董卓は王允に声を掛けた。
最初王允は計画がバレたのかと思い、内心で心臓がキュッとなった。
しかし、話を聞いている内に貂蝉が後宮から郿城に異動になったと聞かされて安堵した。
その話を聞いた王允は計画の進行具合を確認する為に貂蝉に会わせてほしいと董卓に頼んだ。
董卓は快く応じて一緒の馬車に乗り、郿城に向かった。
程なく馬車が郿城に着き、城内に入った。
董卓が先に馬車から降りると城の警備をしている部将が出迎えた。
「お帰りなさいませ。相国様」
「うむ。何か変わりないか?」
「特には。ああ、奉先将軍が病気が治ったので出仕する前に挨拶に来たと言って、先頃から部屋で待っております」
「ほぅ、そうか」
董卓も呂布が仮病だという事を分かっていたが、義理の息子の口説いていた女性を自分の侍女にした事で負い目があったのか、問題視していなかった。
だが、こうして出仕したという事は貂蝉への思いも吹っ切れたのだと思う董卓。
「案内せよ。王允。お主はどうする?」
「折角ですので、お供をしてもよろしいでしょうか?」
「構わん」
そう言って董卓は王允を連れて呂布が居る部屋に案内させた。
だが、董卓達が部屋に入ると誰も居なかった。
「うん? おい。この部屋に本当に呂布が居たのか?」
「はい。この部屋に通したと聞きましたが」
案内した部将がそう言うのを聞いて董卓は腑に落ちない顔をしていると、何かを思いついた顔をした。
「あやつ、もしやっ」
そう言うなり董卓は服の裾を持ち上げて走り出した。
部将は突然、走り出した董卓を見て怪訝そうな顔をしたが王允はほくそ笑んだ。
走り出した董卓は貂蝉が居る所へ向かった。
この時間であれば東屋で琴を弾いていると知っている董卓は東屋に向かった。
そして、東屋に着くと董卓は目の前の光景を見て衝撃を受けた。
自分付きの侍女にした貂蝉が呂布の胸元に顔を押し付けていた。
恋人の様にしている二人を見て董卓は頭に血が上った。
「呂布!」
大声を上げると呂布達は声をした方に顔を向ける。二人が顔を向けた先には顔を真っ赤にした董卓が居た。
「呂布、貴様、貴様は……儂の侍女に手を出すとは何事かっ」
そう叫ぶなり腰に佩いている剣を抜き呂布に切り掛かる。
「この恩知らずっ。犬畜生に劣る奴め。誰がお前を今の地位に就けさせたのだと思っているっ」
叫びながら剣を振るう董卓。
呂布も剣を持っているが、流石に主君で義理の親に剣を向ける事は出来ないのと此処は董卓の城なのでもし殺せば自分は直ぐに捕まるという事が分かっているのか剣を抜かず、ただ身体をずらして剣を避けるだけにした。
それで貂蝉から徐々に距離を取り最後に背を向けて逃げ出した。
流石に年には勝てないのか、董卓は最初こそ剣を振り上げながら追いかけたが途中から速度が落ちて最後には足を止めて荒く呼吸を着いた。
停まる直前に剣を投げたが、呂布には当たらず壁に当たり音を立てて床に落ちた。
呂布も背を向けて逃げ出した。その背を董卓は肩で息しながら見えなくなるまで睨み続けた。
やがて、董卓の呼吸が整うと今度は王允が董卓の側に来た。
「相国」
「おお……おういん、いまのをみたか……?」
「はい。しかとこの目で見ました」
「あの恩知らずめ。可愛がっている事を増長して儂の侍女に手を出すとは……許せん! この手で皮を剥いでくれるっ」
董卓は今にも軍勢を整えて呂布を襲撃しそうな勢いであった。
「……相国。それはなりません」
「何故だ⁈」
「目下、天下が乱れている中で呂布将軍程の天下無双の豪傑を切れば、逆賊共はこれ幸いとばかりに相国を亡き者にするかもしれませんぞ」
「む、むううう」
王允にそう諭されて董卓は黙り込んだ。
「ですので、此処は私にお任せを。貂蝉は私が身元の保証をしているので呂布殿も話を聞くでしょう」
「むぅ、そうか?」
「はい。今回の事は戯れと思って水に流すべきです」
「しかしな」
董卓は怒りが収まらない様子を見せた。
「ならば、自分の手元にあるからそう思うのです。自分の手元に居なければそうは思わないでしょう」
「……王允。そなた、何が言いたい?」
董卓も馬鹿では無いので王允が言っている事を何となく分かってはいたが確認の為に訊ねた。
「貂蝉を呂布殿に渡すのです。さすれば、呂布殿は感激して相国に忠誠を誓うでしょう」
「貂蝉を呂布に!」
董卓は言っていて思っていたよりも衝撃を受けていた。
「まぁ、そこら辺はじっくりとお考え下さい。私は貂蝉に話を聞いてから呂布殿の元を訪ねます」
王允はそう言って董卓に一礼して貂蝉の元に向かった。
向かう際、肩越しに呆然としている董卓を見て、王允は計画は順調だと思った。
数刻後。
長安にある呂布の屋敷の一室で呂布は酒を飲んでいた。
屋敷に戻った呂布は自分は処刑されると思ったのか、最期とばかりに屋敷にある酒を飲み尽くしだした。
突然、酒を飲みだした呂布に屋敷の使用人や妻などは怪訝そうであったが、誰も訊ねなかった。
皆、機嫌が悪そうな顔で酒を飲んでるので下手に訊ねれば殺されると思ったようだ。
呂布が酒を飲んでいると、使用人がやって来た。
「申し上げます。司徒の王允様がお会いしたいそうです」
「なに、王允殿が! 直ぐに通せっ」
呂布は酒を飲む手を止めて王允を部屋に通した。
部屋に通された王允は酒臭いと思いながらも呂布に一礼する。
「奉先殿。病気と聞いていましたが、お元気そうで何よりです」
「王允殿っ」
呂布は王允殿の足元に跪き頭を下げた。
「お願いする。どうか、わたしと相国の関係を取り成してくれないだろうかっ」
呂布がそう言うのを聞いた王允は事の仔細は知っているのに、敢えて知らないフリをした。
「はて、何の話なのですか? 将軍と相国は義理の親子です。その仲の良さは正に金を断つが如く難しいかと思うのですが」
「王允殿。其方は知らぬだろうが、お主が身元を保証をした貂蝉がっ、貂蝉が董卓の侍女になったのだっ」
「何と⁈」
大げさに驚く王允。
「私は貂蝉に会いたいと思い、今日郿城に向かい逢瀬を楽しんでいたのだが、其処に相国が来て激怒して剣を抜いて私に切り掛かって来たのだ!」
「将軍。それは、また大変な事をしましたな……」
「ああ、分かっている。なので、相国の信頼厚い貴殿が取り成してくれぬか。この通りだっ」
頭を下げる呂布。
王允は敢えて難しい顔をした。
「……分かりました。何とか取り成してみます」
「おお、このご恩は何時か必ずお返しするっ」
呂布は深く頭を下げた。
呂布が見えないからか王允はあくどい笑みを浮かべた。
(これでこの男は私の話なら耳を傾けるだろう。ふふふ、計画は順調だな)
これからの事を楽しみに思う王允。