赴任先に赴く前に
後少しで十二月になるという日。
并州からの使者が来た。
使者曰く、『并州で起きた反乱を鎮圧できたので近々そちらに赴任するので引き継ぎの準備をする様に』。
それを聞いた曹操は鷹揚に頷いた。
使者が出て行くと、曹操は皆に出立の準備を済ませるように指示した。
それから十数日後。
野王県の県城に張楊が来ると先触れが来た。
それを聞いた曹操がわざわざ城の外に出て出迎えるので、配下の将も外に出て列になった。
その列の中に曹昂も参列していた。
程なく『張』の字が書かれた旗を掲げる軍勢がやって来た。
率いて来た軍勢は左程多くないが、率いている兵達は皆屈強であった。
騎乗している馬の体格も立派であった。
見るからに精強そうな軍勢と言えた。
その軍勢の先頭にいる馬に乗っている者が曹操達にある程度近付き腕を上げると、軍勢は足を止めた。
全軍が止まると、馬に乗っている者が降りて護衛の者を連れて曹操の元までやって来た。
年齢は三十代前半で整えた口髭を生やしており、優しそうな目元に日に焼けた頑丈そうな顔付きをしていた。
身長も八尺ほどあった。
この者こそ、張楊。字を稚叔であった。
「孟徳殿の直々のお出迎えに感謝する」
その者は名乗る前に曹操に深く頭を下げた。
「頭を上げてくれ。稚叔殿。貴殿と私は董卓から将軍の地位を与えられたとは言え、特に董卓に従うつもりは無いのだろう?」
曹操がそう言う通り、袁紹が董卓に上奏した際、河内郡の太守だけであったのだが、董卓が自分の麾下に加えようと考えたのか、張楊には太守の地位だけではなく建義将軍の職も与えたのだ。
曹操は奮武将軍の職を持っている。
将軍の位階で言えば曹操の方は正四品で張楊の方は正五品であった。
曹操の方が官品の位が高いと言えた。
「そう言って貰えるとありがたい」
顔を上げる様に促されたので張楊は顔を上げた。
「私も袁紹殿から河内郡の太守になるのを了承しましたが、まさか建義将軍の職も与えられるとは思いもしませんでしたよ」
「実を言うと、私もだ」
本音で言っているのか分からないが、二人共笑いながら自分の今の地位の話をしていた。
そして、曹操は張楊を連れて城内へと案内した。
城内に案内されると直ぐに大広間に通されてそのまま宴となった。
楽しく談笑しながら酒を飲む張楊達。
それに釣られて曹操達も酒を大いに飲んでいた。
「いやぁ、孟徳殿の所で出て来る酒は大変美味だと聞いていたが、噂は本当であったな」
その証拠に張楊が持っている盃に入っている酒を一気に飲んでお代わりを求めた。
使用人がお代わりを注いでいる間に曹操に話し掛ける張楊。
「聞く所によると出て来る料理も大層美味しいとか」
「ははは、酒だけ美味しくてもツマミも美味しくなければ酒の美味さも半減するというもの。だから、美味しい料理が出て来る様になっただけの事だ」
「そう言われると、この膾ですらも美味しく感じますな」
張楊が箸を付けるのは丁寧に泥抜きされた鯉の膾であった。
口の中に入れても、少しも泥臭くなく鯉の味を楽しむ事が出来た。
膾で酒を飲んでいると、使用人が皿を持ってきて張楊の膳に置いた。
張楊はその皿を見て首を傾げた。
「これは一体?」
張楊の目の前には見た事が無い料理があった。
香ばしく焼かれた何かに包まれた物が十個ほど縦に並ぶ様に置かれていた。
張楊がその物を注視していると、別の使用人が黒い液体が入った小皿を膳に置いた。
「これは?」
「醤だ。包まれている物につけて食べてくれ」
曹操にそう言われて、張楊は箸でその包まれている物に醤を付けて口の中に入れた。
「……おおっ、これは」
張楊は口の中に入れた物が噛んで、何が入っているのか直ぐに分かった。
「何かの野菜を細かく切り、それにこれは羊の肉か」
「その料理は餃子と言ってな。小麦粉の皮で肉餡を包んだ物だ」
「これは良いですな。皮の部分はパリッと焼かれて、噛むと中から美味しい汁が出る。羊の肉を使っている所為か、あっさりとした味わいだ」
張楊は似たような料理で茹でた餃子を食べた事がある。
あちらはモチモチしていたが、こちらはカリッとしていた。
香ばしい餃子の味を楽しんでいると、隣の縦に並んでいる餃子を掴み口に入れた。
「むっ、こちらは豚肉か。こちらは羊肉に比べると、こってりとしているが美味しい汁が羊肉よりも大量に出るな」
こちらも美味しいと言わんばかりに箸をつける張楊。
あまりに早く食べるので、十個あった餃子をあっという間に食べ終えてしまった。
「いやぁ、孟徳殿の所の料理は噂通り美味しいですな」
「そう喜んで頂き感謝する。お代わりを用意しているので、どうぞ。好きなだけ食べて下さい」
曹操の言葉通り張楊の膳に山の様に盛られた餃子が乗った餃子がドンと置かれた。
張楊はその餃子の山を見ても怯む事なく上から順に食べていった。
皿に盛られた餃子は全部で五十個程であったが、張楊はそれを全て平らげてしまった。
数日後。
張楊に引継ぎを終えた曹操は兗州へと向かった。
張楊に見送られ、曹操一行は旅立った。
先頭に立つ曹操に曹昂は訊ねた。
「父上。このまま東郡に向かうのですか?」
「いや、まずは陳留に向かう。張邈に赴任する挨拶をする。恐らく其処で年を越すだろうな」
「良いのですか? 赴任する前に州牧の劉岱様ではなく張邈殿に挨拶して」
「別に構わんだろう」
曹操は大丈夫だと言うので、曹昂はそれ以上は何も訊かない事にした。
本作に出て来る張楊は158年生まれとします