父との再会
そろそろ、野王県の県城が見える所まで来たので曹昂達はお披露目用の馬車に乗り換えた。
面紗を被っている袁玉。
顏は良く見えないが、手が震えていた。
恐らく、曹昂の両親に会う事に緊張しているのだろう。
隣に座っている曹昂はそっと袁玉の手を取った。
「大丈夫だから。取って食われる事はないから」
「……はい」
か細い声で答える袁玉。
顔は見えないが声色が嬉しそうなので、気遣ってくれて感謝しているのだろうと察する曹昂。
(初々しいな~。これが袁術の娘か~。どうにも結びつかないんだよな~)
本当に袁術の娘なのだろうかと思えるぐらいに奥ゆかしい袁玉。
貂蝉達とも仲良くしている様なので、大丈夫だろうと思っていた。
馬車に揺られながら道を進んでいると、城の入り口が見えて来た。
其処には楽隊の他に役人や兵士などが整列していた。
並んでいる中には夏侯淵や曹純などの姿もあったが、一人見慣れない顔の者も居た。
その列の中央には曹昂の父である曹操の姿があった。
曹昂は父の姿を見ると、ようやく帰って来たと安堵した。
馬車を有る程度進ませて停めた。
袁玉に「少し待っていて」と声を掛けて曹昂は馬車から降りて曹操の下に行った。
「父上。曹昂、ただいま戻りました」
「うむ。よくぞ戻った。我が息子よ」
曹昂が一礼すると曹操は喜びの声と曹昂の身体を抱き締めた。
そして、離れると曹昂の顔を見ながら訊ねる曹操。
「夏候惇と共に来たようだが、途中で合流したのか?」
「はい。南陽郡に寄った時に偶然に」
「そうか。二人が無事に帰って来た事は喜ばしい事だ」
曹操は後ろを見た。
視線の先には傘が付いた馬車と整然と並ぶ軍勢が並んでいた。
曹操の目から見ると、少々練度が足りないなと思いつつも皆、精悍な面構えをしていると思った。
軍勢については後で聞くとして、まずは馬車について尋ねた。
「あの馬車に乗っているのは誰だ?」
「ああ、あれは。公路殿の娘です」
「袁術の? ……ああ、そうか。お前が迎えに行ったのか」
「はい。帰り道に寄る事になったので」
「そうか。まぁ、詳しい話は後で聞くとしよう。それよりも、今は帰って来た事を喜ぼう」
「はい」
曹操が手を掲げると、楽隊が楽器を鳴らしだした。
その音楽に合わせて並んでいる者達が一斉に頭を下げた。
曹昂は馬車に乗り込むと並んでいる者達の間を通り、音楽を聴きながら城内へと入って行った。軍勢もその後に続いた。
城内の人達が沿道に詰めかけて曹昂達に喜びの声を上げつつ手を振るので曹昂達も手を振り返した。
時間は掛かったが、内城へと入った曹昂達。
軍勢の事は夏侯淵に。袁玉の事は貂蝉達に任せて、夏候惇と部下にした者達を連れて曹操が居る所へと向かった。
案内の者の後に付いて行くと通されたのは謁見の間であった。
曹昂達が部屋に入ると、曹操は上座で夏侯淵を除いた主だった者達は並んでいた。
曹昂達は部屋の中に進み、夏候惇が隣に連れて来た甘寧達と後ろに立った。
「孟徳。今戻ったぞ」
「うむ。ご苦労であった。夏候惇。其処に居るのがお主が連れて来た者達か?」
曹操は夏候惇の後ろに控えている甘寧達を睥睨した。
「それについては、今から話す。初めに言っておくが驚くなよ」
「前置きは良いから。早く話せ。夏候惇」
夏候惇はそう前置きするので、何かあると思い曹操は早く聞く事にした。
夏候惇は話す前に曹昂を見た。
話しても良いのか許可を貰う為だ。
曹昂はその視線を見て頷いた。それを見た夏候惇も頷き返して話し出した。
「……以上で報告が終わりだ」
「ふむ。そうか。ご苦労であった。夏候惇」
夏候惇の報告を聞き終えた曹操は夏候惇の後ろに控えている者達を見た。
「よくぞ此処まで来てくれた。歓迎するぞ」
「「「はっ」」」
曹操が歓迎の意を示したので甘寧達は揃って頭を下げた。
「曹昂」
「はい。父上」
「よくぞ、これだけの兵を集めて来た。見事だ」
「ありがとうございます」
曹操の賛辞を聞きながら、曹昂は内心で殆ど偶然の出来事であったんだけどなと思った。
「そして、袁術の娘を迎えに行くとはな。正直、お前が戻って来たら迎えの使者を出そうかと思っていたのだがな」
「通り道でしたので、ついでにした事です。ああ、そうだ。公路殿の領地を通る時に荊州も通りました。その時に徳珪殿が父上によろしくと言っていました」
「徳珪? 誰だ。それは?」
曹昂が言った字を聞いても曹操は誰なのか分からないという顔をしていた。
その顔を見て夏候惇を除いた曹昂達は頭の中でやっぱりと思った。
此処は話したほうが良いなと思い、曹昂が教えだした。
「荊州の豪族の蔡瑁の事です。父上が洛陽の北部尉だった時に知り合ったと言っていました」
「…………ああ、あいつか。そう言えば、荊州の豪族の出とか最初に挨拶した時に言っていたな」
曹昂に教えられて少し思い直した曹操は蔡瑁が誰なのか思い出した。
「荊州という事は、劉表の配下か。しかし、わたしが荊州に寄った時は会わなかったぞ?」
「その時は地方に巡察に出ていたそうです」
「それで会わなかったのか。成程な。それよりも、益州はどうであった」
忘れていた事を指摘されたくなかったのか、蔡瑁の事よりも聞きたい事があったのか話を変える曹操。
曹昂は内心で蔡瑁が可哀そうだなと思ったが、別に話したい事があったのでその流れに乗った。
「山が多いので道は険阻ですが、思ったよりも豊穣な所でした。米が盛んに作られていたし、河から獲れる魚介類なども豊富でした。その上、塩や鉄、玉なども多く採れている様です」
「ふむ。山が多いから土地は痩せていると思ったが、これも劉焉の手腕か?」
「恐らくは。それと」
曹昂は懐に手を入れた。
其処には漢中郡で一大勢力となっている五斗米道もとい天師道の教祖の張魯の母盧瑛蘭から渡された手紙が入っていた。
「漢中郡に寄った際、本拠にしている五斗米道の教祖の母親からの手紙を受け取りました」
曹昂は手紙を掲げると、曹操は曹仁を見て顎でしゃくった。
曹仁は列から前に出て曹昂の手紙を受け取り曹操の下に持って来た。
曹仁の手から受け取った手紙を広げて中身を見る曹操。
「………………」
無言で目だけ動かして手紙を読む曹操。
読み終えたのか、曹操は手紙を置いて曹昂に訊ねる。
「曹昂。この手紙を読んだか?」
「はい。一応目を通しておきました」
「そうか……」
曹操は曹仁に手紙を渡した。
それは読んでみろと言っている様であった。
曹仁は列に戻り手紙を読んで行った。傍にいる曹純も横から手紙を読んでいた。
「これは……五斗米道が我等を支援すると書かれていますね」
「一宗教が我等を支援するだとっ」
「そんな事をして、何の得があるのだ?」
「恐らく、宗教の自由とかを求める為だろう」
列に並んでいる者達は手紙を回し読みしながら、どうしてそんな事を言うのか話し合っていた。
騒がしくなったので曹操が手を掲げて静めた。
「曹昂。お前はどう思う?」
曹操は息子に訊ねた。
曹昂はこの手紙を書いた主に会ったので、どんな人物なのか分かっている筈だと思ったからだろう。
「……率直に言って、盧瑛蘭様は腹に一物も二物も持っている女性でした」
「綺麗だったか?」
「……父上の好みかも知れませんね」
史実で曹操は人妻を自分の妾にしているので、もし一目見たらまず妾にすると言い出しそうだなと思い曹昂は言って顔を反らした。
「ほぅ、そうか。出来れば会ってみたいものだな」
曹昂が自分の好みだと言うので曹操は顎を撫でながら笑っていた。
「おほん。話を戻しますが、恐らくこの手紙を出したのは僕達の勢力だけではないと思います」
「それはつまり、他の勢力にもこの内容の物と似た書状もしくは協力をしているという事になるが。何処の勢力と繋がっていると思う?」
「まず、益州の劉焉。次に長安の董卓。涼州の馬騰。南陽郡の公路殿。最後に荊州の劉表あたりかと」
「ふむ。何処も漢中から近い所にいる有力者達だな」
「その通りです。そうして、各勢力と誼を通じて生き残れる様に手を練っている様です」
「お前がそう言うのであれば、そうなのだろう。では、どうするべきだと思う」
曹操が五斗米道に関してどうすべきか訊ねて来た。
「これはしたり、父上がそう訊ねるとは思いませんでした」
曹昂は曹操の考えている事など分かっていると言わんばかりに笑みを浮かべる。
「此奴めっ」
その笑みを見て自分の考えを読まれていると察する曹操。
息子が自分の考えている事を言わなくても分かっていると察して笑みを浮かべた。
「利用できる物は利用する。それが乱世で勝ち残る為の手段だ。なので、この支援を有り難く使わせてもらおう」
「承知しました。五斗米道の対応は誰がしますか?」
「お前がしろ」
「分かりました」
曹操から委任されたので、曹昂は欲しい物があれば用立ててもらおうと内心思いながら頭を下げた。
「これで会議は終わりだ。皆、下がれ」
曹操が話は終わりだと言って、皆に部屋から出て行くように言った。
皆出て行ったので、曹昂も部屋を出て行こうとしたら。
「曹昂」
「はい? 何ですか。父上」
「……捕まったら、抵抗する事なく大人しく諦めろ」
曹操が意味深な事を言い出したので、曹昂は首を傾げた。
どういう意味か聞こうとしたが、曹操は別室に向かっていた。
結局、どういう事なのか聞けなかったなと思いながら廊下を歩く曹昂。その背に。
「昂……」
背筋がぞっとする程に冷たい声が聞こえて来た。
その声は聞き覚えがある声であった。振り返りたくないと思う。振り返れば良くない事が起こる。
それが分かっているのだが、曹昂は振り返るしかなかった。
振り返らなければ余計に面倒な事になるのが理解しているからだ。
「は、ははは……ははうえ……」
歯をガチガチと鳴らしながら振り返る曹昂。
振り返った先には曹操の正室にして曹昂の育ての母である丁薔が居た。
その後ろには卞蓮の姿もあった。
卞蓮は曹昂に手を振っていた。
腹が膨らんでいる所を見ると、問題なく妊娠中の様であった。
丁薔は目を吊り上がらせて、目だけで人を殺せそうな位な眼力を放っていた。
「ご、ごごきげん、うるわしくぞんじます」
「そうね。久しぶりに会ったわね」
「そ、そうですね。ぼ、ぼくはようじがあるので、これで」
怒っている丁薔を見た曹昂は逃げないと駄目だと思い適当な事を言って逃げようとしたが。
「久しぶりに会った母に対して、その様な態度を取るとは。これはお話が必要ね」
丁薔は曹昂の肩を掴んで逃がさない様にし、曹昂を引き摺って行った。
連れていかれる曹昂に卞蓮は。
「頑張ってね~」
手を振って見送った。
「助けて下さい!」
曹昂は卞蓮に助けを求めたが、何もしてくれなかった。
その後、丁薔の部屋から城中に聞こえる程の音量の説教の声が響いた。