想定外の事態
盗賊の襲撃したというを聞いた孫権は、思わず眉をひそめた。
「……盗賊だと? しかも丹陽郡と廬江郡を同時にか」
報告を持ってきた役人は深く頭を下げた。
「はい。被害も大きい上にいずれも手際が良く、兵の動きに慣れている者達と思われます。また、全て九江郡方面へ退いております」
「九江郡か・・・・・・」
孫権は低く呟いた。九江郡は曹操の支配下に入っていた。
つまり、盗賊が其処に逃げたという事は、曹操の命を受けているという事だと思えた。
だが、証拠が無いので、本当に曹操の命を受けたのか分からなかった。
報告を聞いた孫権は役人を下がらせ、思案に耽っていた。
「殿」
思案に耽る孫権に、静かに声をかけたのは部屋に居る魯粛だった。
「これは、曹操が我らを誘っているのです」
「やはりそうか」
魯粛の意見を聞いて、孫権も恐らくそうだろうなという顔をしていた。
「はい。我らが兵を調練している事は知れ渡っております。ですが、いきなり軍を動かせば大義が立たぬ。ゆえに、まずは九江の兵を盗賊として動かし、我らの対応を見ているのでしょう」
孫権は腕を組み、深く息を吐いた。
「つまり、こちらが盗賊を討伐する為に兵を出せば」
「孫権は反乱の兆しありと、曹操に口実を与える事になります」
魯粛の言葉に、室内の空気が重く沈んだ。
孫権は暫し黙り込んだ後、口を開いた。
「……ならば、こちらも腹を括らねばなるまい」
孫権の瞳に、迷いと決意が入り混じった光が宿る。
「魯粛。九江の動きを探れ。盗賊の正体、背後に誰がいるのか、必ず突き止めよ」
「承知いたしました」
「そして……兵の調練は続ける。だが、あくまで山越討伐のためだ」
「はっ」
魯粛が下がると、孫権は独りごちた。
「盗賊の襲撃も何時までも続けられる訳が無い。此処は耐えるしかない。耐えていれば、その内曹操から何かしらの連絡が来るであろう」
孫権は此処は耐えるしかないと分かっていたが、何も出来ない事に屈辱と感じていた。
席にある肘置きを握る手に力がこもるのであった。
孫権が盗賊の対処を決めている頃。
揚州九江郡合肥。
城内にある一室で張遼と劉馥の二人が居た。
「雷薄と陳蘭からの報告が来た。丹陽郡と廬江郡の襲撃は成功したそうだ」
「それは重畳ですな」
劉馥が持っている文を読み上げるのを聞いて、張遼は頷いていた。
張遼は鄴を出立する直前、曹操に呼び出された。
その際に、劉馥に文を渡す様に命じられた。
合肥に着くなり、その文を劉馥に見せた。
すると、劉馥は雷薄と陳蘭を呼び出して、盗賊を装って丹陽郡と廬江郡を襲撃する様に命じた。
命じられた雷薄達が下がるなり、張遼は劉馥に文にどの様に書いてあるのか尋ねると、文には傘下の兵を盗賊を装って丹陽郡と廬江郡を襲撃する様にと書かれている事を教えてくれた。
「丞相は孫権が兵を挙げる様に誘っているのであろうな」
「恐らくそうですな」
劉馥の予想に張遼も同意した。
「しかし、このまま襲撃した所で、孫権が動くかどうか分かりませんぞ」
「それもそうだな。暫く続けて反応が無くなった時は、その時は丞相に文を送り指示を仰ごう」
劉馥がそう言うので、張遼も頷くのであった。
その数日後。
廬江郡を襲撃していた雷薄が九江郡へ帰還中に、追撃していた淩統に捕捉された。
そのまま戦闘になり、両軍の兵達は刃を交え大地を横たえさせていた。
干戈を交えている中、指揮を取っていた雷薄に矢が突き立った。
矢傷を受けた雷薄は指揮する事が出来ず、そのまま逃げる様に撤退した。
合肥に帰還し治療を受けたのだが、破傷風に罹ったのか数日後に亡くなった。
その報告を聞いた劉馥はこれは、曹操に相談するべきだと判断し、事の次第を書いた文を鄴に送った。
それから十数日後。
曹操の元に劉馥からの文が届いた。
文を読むと、曹操は口元に笑みを浮かべた。
「くくく、これは想定外であったが。これは上手く使えば、名分になるな」
曹操はそう呟いた後、荀攸達を呼んだ。




