これでも太守
南陽郡で起きた反乱は当然、江夏郡にも影響を及ぼした。
反乱により、多くの民が南陽郡から逃げて、各地に逃げ込んだ。
南陽郡に隣接している江夏郡も流民が流れ込んできた。
太守である厳幹は夏口に駐屯している文聘に郡境に赴いて貰い、郡境で起きる混乱を鎮静する様に命じた。
命じられた文聘は麾下の兵を率いて、南陽郡へと向かった。
文聘が郡境に向い数日が経ったある日の夜。
荊州江夏郡沙羨県。
この県は嘗てこの地の太守であった黄祖が郡治所にも使った事がある県であった。
そんな県であったからか、他の県に比べると守りが固かった。
その県内には倉庫が沢山あった。
倉庫の扉の前には、衛兵が二人控えていた。
二人とも、欠伸を噛み殺しながら職務に励んでいた。
その二人を物陰から覗いている者達が居た。
「あそこが、食糧庫か?」
「馬順様の話ではそうらしい」
物陰に居る者達は、小声で話していた。
この者達は馬順が江夏郡を混乱させる為に送った刺客であった。
一時期、劉備達は江夏郡に居た事があった為、馬順は郡内の各県にある要所を覚えていた。
馬順はその記憶を頼りに、刺客達を各県に放ち、何処を襲うかを伝え命じた。
沙羨県に放った者達には、機会があれば厳幹を暗殺せよと命じていた。
その刺客達は頷いた後、懐から小さい剣を取り出した。
取り出した剣を構えると同時に、無言で投擲した。
「うつ」
「がっ」
衛兵達の首元に短剣が突き刺さり、短い悲鳴をあげた後倒れた。
刺客達は物陰から出て、衛兵達が事切れている事を確認した後、倉庫に入って行った。
少しすると、刺客達は倉庫から出てその場を離れた。そのすぐ後に倉庫から火が燃え上がった。
食料を貯蔵している倉庫から火の手が上がったという報告を受けた厳幹は剣を携え護衛の兵と共に倉庫に向った。
厳幹達が倉庫に着くと、兵達が倉庫の火を消そうと躍起になっていた。
「倉庫を守っていた者達はどうしたっ⁉」
「近くで死体で発見されました。死体の首筋には短剣が突き刺さっていたそうです」
厳幹が消火している兵に問うと、兵が手を止めて報告した。
「むっ、であれば、これは何者かの放火か」
「だと思います」
兵の報告を聞いて、厳幹は直ぐに守りを固めるべきだと思い、この場を離れた。
倉庫から離れた厳幹は政庁に向った。
既に人を遣り、兵を集めていた。
敵の刺客がまだ潜伏している可能性もあるので、政庁に籠り守りを固める事にした。
そう政庁に向っていると、物陰から誰かが出て来た。
「何者だっ?」
その者を見るなり、護衛の兵が誰何してきた。
その者は答える事無く、剣を抜いた。
すると、隠れていた者達が姿を見せて剣を抜いた。
「太守の厳幹だな。その命、貰ったっ」
そう叫ぶなり、その者達は厳幹達に襲い掛かった。
「太守を守れっ」
護衛の兵達も剣を抜いて、刺客達を迎え打った。
刺客と護衛の兵達の鍔迫り合いが始まった。
だが、護衛の兵よりも刺客達の方が人数が多かったからか、刺客達の何人かが護衛達の間を抜いて厳幹に迫った。
「覚悟っ!」
「ふんっ」
刺客の一人が剣を振りかぶったが、厳幹が目にも止まらない速度で抜き打ちを放った。
抜き打ちを受けた刺客は腹を斬られた。
「舐めるな。自分の身を護るぐらいは出来るわ」
そう言った厳幹は刺客達を剣で迎撃し、瞬く間に切り伏せて行った。
厳幹は家柄が貧しかったからか、学問に励む暮らしをしつつ身を護る剣術を学んでいた。
剣術を好んでいる事もあって、並みの者では勝てぬほどの剣術を習得した。
意外にも血の気が多い性格なのか、郡内で盗賊が出たという報告を聞くと、自ら剣を持って兵を率いて討伐する程の過激な所があった。
やがて、厳幹と護衛の兵達に討たれ刺客達は二人だけとなった。
「っち、太守が剣術に優れていると聞いてないぞ」
「やはり、何の計画も無しに襲ったのは無謀であったか」
刺客達は舌打ち交じりで呟いた。
元々、倉庫を燃やして逃げるだけであったが、偶々厳幹達が政庁に向っているを見えたので、急遽襲う事にした。
その結果、仲間の多くが討たれる結果となった。
「此処は逃げるぞっ」
「ああっ」
刺客達は背を向けて逃亡を始めた。
「待てっ」
「逃がすか!」
護衛の兵達は後を追い駆けようとしたが、厳幹が止めた。
「刺客など放っておけ。それよりも、今は被害状況を調べるのが先だ」
厳幹は剣に付いていた血を振り落とした後、鞘に納めながら述べた。
それを聞いて護衛の兵達は頷いた。
そして、厳幹達は改めて政庁に向って行った。
厳幹が政庁に着くと、走り回っている官吏達を落ち着かせて被害の報告を聞いて直ぐに対策を練った。
翌日。
厳幹の元に各県の県令が送った使者が来た。
使者達は各県で起きた放火による被害を報告した。
その報告を聞いた厳幹は直ぐに対策を図った。
同じ頃。揚州丹陽郡に居る劉備が兵を率いて、廬江郡へと侵攻を開始した。




