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これが伝国璽

 曹昂が孫堅の陣地に居た頃。


 袁紹の陣地では軍議が行われていた。

 今度は名目ではなく本当の軍議なのか参加している諸侯達は酒を飲んでいる様子はなかった。

「本初殿。我等をお呼びとの事だが、何かあったのですか?」

 諸侯の一人が袁紹に訊ねた。

 すると、袁紹は少しの沈黙の後で口を開いた。

「うむ。我等の今後の事を考えて私から諸君に提案したい事がある」

「提案ですか? どのような提案ですか?」

「我等は大義を掲げて兵を挙げた。だが、献帝陛下の密詔を得たのに董卓軍に勝つ事が出来なかった。それは何故だと思う?」

 袁紹は諸侯達にそう訊ねるが、皆何も言えなかった。

 誰も何も言わないので、袁紹は深く息を吐いた。

「敵の手中には献帝陛下が居るからだ。如何に密詔を得たとは言え、我等には大義を示す為の象徴が無いから負けたのだ!」

 袁紹は自分の意見が間違っていないと思ったのか力強く言う。

「そうは言うが、本初殿。その様な存在など居られるのか?」

 公孫瓚が訊ねると、袁紹はその言葉を待っていたとばかりに笑みを浮かべた。

「いる。幽州の大司馬にして襄賁侯の劉虞様だ!」

 諸侯達はその名を聞いて目を見張らせざわつきだした。

 劉虞。字を伯安と言い、光武帝の長男の末裔だ。

 厚い人望に定評のある人物としても有名で異民族にもその名を知られていた。

「漢帝国の宗室であられる劉虞様に皇帝となって頂くのだ。さすれば、我等は大義名分を天下に示す事が出来るだろうっ。如何かな。皆の者?」

 袁紹はそう訊ねた。

 袁紹が何故、劉虞を擁立する事を進めるのかと言うと、一族の者を殺された恨みがあるので董卓とは断固として戦う意思があった。

 しかし、連合軍の盟主というだけでは全軍を完全に掌握する事は不可能であった。

 其処で袁紹は劉虞を皇帝として立ててその名の下に連合軍を団結させて董卓を攻め滅ぼすつもりであった。

 その際、献帝は偽帝と天下に発布する。賢才と厚い人望がある事を天下に知られる劉虞であれば多くの者達も劉虞の擁立に賛同するだろう。

 そう計算する袁紹であったが。

「いや、献帝陛下と朝廷は健在。我等だけで別の皇帝を立てるなど忠義に反する行為であろうっ」

「何を言う。今の皇帝は董卓が帝位に就かせたお飾りだ。それよりも劉虞様を新しい皇帝として迎えた方が天下に安寧をもたらすであろう」

「献帝陛下は董卓の手で帝位に就かれたのは確かだが、だからと言って我等の判断で擁立するなど臣下としての道に背いているぞっ」

「だが、董卓が相国になれたのは今の献帝陛下が自分の手元に置いて行かれるからだ。ならば、我等も大義を示す為の象徴として劉虞様を擁立させるべきであろう」

 袁紹の提案に諸侯達は二通りに分かれた。

 擁立賛成派と反対派。

 賛成派は袁紹、韓馥他数名。

 反対派は袁術、孫堅、公孫瓚他数名。

 見事に袁紹とその親しい者達と袁術とその親しい者達に分かれた。

 そして、軍議は瞬く間に罵り合いに変わった。

 その罵りを聞いてある者が手を出すと罵り合いは喧嘩となった。

 袁紹は自分の提案がここまでになるとは思わなかったので慌てて宥めだしたが、誰も聞く耳を持たなかった。

 そんな中で孫堅は共に来た程普達を連れてそっと外に出た。

「袁紹があそこまで愚かとは思いもしなかった。そう遠くない内に連合から離れた方が良いであろうな」

 諸侯達の馬鹿さ加減に呆れた孫堅はそう言ってその場を後にした。


 軍議を終えた孫堅達は陣地に戻る気にならず、建章殿を歩いていた。

 今、自分が居る所は立派な宮殿が建っていたのだろうと思いながら歩く孫堅。

 外はもう夜になっていた。

 そんなに長時間話し合っていたつもりはなかったが、長い間話していたのだと孫堅は改めて思った。

「帝星明らかにならず、星座星環みな乱れている。……乱世は続くか」

 夜空を見上げ天文を占うとそう出たので嘆声をあげた。

 孫堅は嘆かわしいと思いながら首を振り歩いていると、井戸の周りに数人の者達が居るのが見えた。

 夜の暗さで誰なのか分からなかったが、不審に思い孫堅達は腰に佩いている剣を向ける様に構えた。

「何者だ⁉」

 孫堅が声を上げると、井戸に居る者達が孫堅達に気付いた。

「その声は父上ですか?」

「おお、その声、孫策か? 其処で何をしている?」

 夜の暗さで顔は見えなかったが声が自分の息子の孫策だと分かり孫堅達は警戒を解いた。

 そして、近付くと孫策と数名の部下と曹昂が居た。

「おや、曹昂君も居たのか」

「孫策が夜回りに行くというので手伝いに」

「それはありがたい。それでお前は何をしているんだ?」

「なにって、夜の見回りに出て喉が渇いたから水を飲もうとしているだけですよ」

 孫策がそう言われて、そう言えば今日はここら辺近くを夜回りする事になっていた事を思い出した。

 洛陽が焦土と化したというのに野盗達が何かおこぼれがあると思い密かに市内に入り込み物、人などを盗みだす。

 連合軍が駐屯しているのもお構いなしに。その為、連合軍は市内で夜回りを行う事になった。

「今日はどうであった?」

「別に何にも無かったですよ。なぁ、曹昂」

「ええ、野盗も警戒を強化された事で密かに入るのも難しいと思ったのかもしれないね」

「かもな。……っと、うん? 何だ。こりゃあ?」

 孫策は桶に付いている縄を引っ張っていると、桶の中に袋が入っているので訝しんだ。

 その袋は紫金襴の袋であった。

 袋の口を緩めると、中に入っている物を出した。

「こりゃ、何だ?」

 孫策は袋の中に入っている物を見て首を傾げた。

 それは竜のつまみがあり四寸(約9センチ)四方の印章であった。

 印には『受命于天 既寿永昌』と彫られていた。

「どうした。孫策」

「父上。何か桶の中にこんなのが入っていたぜ」

「どれ? 何だ。この印章は?」

 孫堅はジッと見ていると、横から程普と曹昂は孫堅の手の中にある物を見て驚きの声を上げた。

「「そ、それはっ。伝国璽⁉」」

 二人の声を聞いて孫堅達は驚きの顔を浮かべた。

「伝国璽だと? これがか?」

 孫堅は信じられない思いで伝国璽を見ていた。


 「どうして、伝国璽が私の手の中に?」

 本来であれば宝物庫に入れられていてもおかしくない国宝が自分の手元に置かれている事に孫堅は驚きを隠せなかった。

 思わず見ていると程普がそっと近付く。

「殿。ご運が開けましたぞ」

「程普よ。何を言っている?」

「古来よりその伝国璽を持っている者は一身恙なく栄えると申します。それが今日、殿の手元に来たのは天が貴方に授けたのです」

「……」

 孫堅は何も言わず黙って程普の話に耳を傾けていた。

「天が貴方に帝位に就く事を望んでいるのです。即ち殿が天下を取れという事になります」

 程普の言葉を聞いていると、自分の手元に伝国璽がある事はありきたりな事では無いと思う孫堅。

 その囁きを聞いていると孫堅は思わず自分が帝位に就く姿が思い浮かんだ。

 だが直ぐに、馬鹿な事を考えている、と思い浮かんだ光景を振り払った。

「程普。私は漢室の臣下だ。それなのに、どうして帝位に就くのだ? そんな事をすれば忽ち董卓と同じ逆族ではないか」

「しかし、殿」

「言うな。この伝国璽は朝廷の物だ。ならば、朝廷に返すのが道理ではあるが」

 孫堅は伝国璽を袋の中に戻した。

「今の朝廷は董卓の思いのままだ。そんな朝廷に伝国璽をみすみす渡すなど漢室の臣下として出来る筈がない。だから、朝廷が落ち着くまで私が預かる」

 孫堅は袋を懐に仕舞った。

 そして、その場に居る息子を含めた部下達に告げる。

「今宵の事は他言無用。もし、漏らす者が居ればその者の首を刎ねる。良いなっ」

「「「はっ」」」

 部下達の返事を聞いた孫堅は次に曹昂を見る。

「曹昂君。済まないが。暫くの間、我が陣に留まってもらおう」

「分かりました。とは言え、文台様が居なくなってもこの事は話しません。話でもしたら、虎に噛み殺されそうですから」

「そうか。あはははっ」

 洛陽に居る間は伝国璽を持っている事を知られない様にする為に曹昂には陣に留まってもらう事にした孫堅。

 程普達は殺すのかと思ったが違っていた。良いのかと内心思ったが、孫堅の言う事なので何か考えがあるのだろうと思い何も言わなかった。

 そして、孫堅達は自軍の陣地に戻った。

 戻った際、曹昂は指を折りながら孫堅と共に戻って来た者達の人数を数えていた。

 曹昂が何かをしているので、孫策は何をしているんだと訊ねると陣地に戻って来た人数を数えていた事を教えて、その人数を孫策にも教えた。

 そんな事を知らない孫堅は部下達に帰国の準備をさせた。その準備の最中、孫堅と共に戻って来た部下の一人がそっと陣地を出た。


 翌朝。


 孫堅は目覚めるなり懐に入れている袋を弄った。

 寝ている間も離す事無く持っている伝国璽。それが有る事が分かると朝食を取り、程普を呼び寄せた。

「お呼びにより参りました」

「帰りの準備は如何だ?」

「今のところ、問題ありません。ところで、殿」

「何だ?」

「どうして、曹昂を殺さなかったのですか? 口に戸は立てられないと申しますが」

「死人に口なしと言いたいのだろうが、曹昂は曹操の息子だ。殺しでもしたら曹操は誰が息子を殺したのか調べるぞ。そして、直ぐに私だと分かるだろう。私の陣地に来た事は連合軍の者達は知っているからな」

「確かにそうですな」

「それに、曹操は諸侯の皆は誰も救援に来てくれなかったのに、救援に来てくれたのだ。その借りもあるからな」

「御尤もです」

 孫堅の話を聞いていると自分の思慮の無さを恥じる程普。

「分かれば良い。それよりも、黄蓋と韓当を呼んで参れ。お主らを連れて袁紹に帰国する旨を伝えに行く」

「はっ」

 程普は一礼してその場を離れて行った。

 そして、程普が黄蓋達を連れて来たので孫堅は袁紹の下に向かおうとしたら、

「文台様。お待ちを」

 其処に曹昂が呼び止めた。

「何かな。曹昂君?」

「昨晩、文台様と共に陣地に戻って来た兵を孫策が数えているので少しお待ち頂けますか?」

「? 何故、そんな事をするのだ?」

「今に分かります」

 曹昂がそう言って直ぐに孫策が孫堅の下にやって来た。

「大変です、父上。昨日、父上と共に陣地に戻って来た兵が一人居ませんっ⁉」

「何だと⁉」

 孫策の報告を聞いた孫堅は驚倒せんばかりに驚いていた。

「どういう事だ?」

「昨日、殿と共に陣地に戻って来た兵が一人居ない?」

「……まずいっ⁉」

 程普は兵が一人居ない意味が直ぐに分かった。

「迂闊っ。帰国の準備をしていて、其処まで把握していなかったっ」

 程普は歯噛みする。

 程普がどうして怒っているか分からない黄蓋達。

「まずいな。今、袁紹の下に行けば伝国璽の事を言われるのは間違いないな」

 孫堅がそう言うのを聞いてようやく程普が怒っている理由が分かった。

 居なくなった兵が袁紹の下に行き、孫堅が伝国璽を持っている事を報告したのだ。

「密偵か? それとも殿に対して何かしらの恨みがあったのか分からぬが。ともかく、今袁紹の下に向かえば伝国璽を出せと言って来るでしょう。殿、如何なさいますか?」

 程普にそう言われて、孫堅は唸った。

「文台様。僕に考えがあります」

 救いの主と言わんばかりに曹昂が一計があると告げる。

「おお、曹昂君。何か考えがあると言うのか?」

「はい。これに関しては僕の事を信頼してくれるかどうかで決まります」

「この状況で何か策があると言うのであれば喜んで従うぞ」

「分かりました。では」

 曹昂は自分の考えを話した。

 それを訊いた孫堅は少し考えたが、それしか手が無いと分かるとその考えに乗った。

「では、御願いする」

「承知しました」

 孫堅が懐に入れている袋を出して曹昂に渡した。

「確かに。では」

 曹昂が離れようとすると、

「お待ちを。曹昂殿」

 程普が呼び止めた。

「何か。徳謀殿」

「どうして、我等に其処までしてくれるのか教えて頂きたい。其処までしても貴殿に何の利があるのだ?」

 程普は曹昂が其処までする理由が分からなかったので訊ねた。 

 曹昂は程普を真っ直ぐ見ながら言う。

「此処までする理由は文台殿は友人孫策の父親ですから。友人の父親を助けるのに利益など考えませんよ」

 前世では病弱だった事で友人をあまり作る事が出来なかった。その上、遊ぶ事も碌に出来なかった。

 なので、今世では友人が困った事になったら出来る限り助けようと決めていた。

(まぁ、それもあるけど。今の内に恩を売っておいても悪くないしね)

 恩を売る事も兼ねてそう提案したのであった。

 程普は曹昂を少しでも疑った自分を恥じた。

「……お前、本当に良い奴だなっ⁉」

 孫策は曹昂の言葉を聞いて感動したのか目に涙を溜めながら曹昂の両肩を叩く。

 嬉しいのは分かるのだが力を入れ過ぎなので、曹昂は内心痛いと思ったが何も言えなかった。

「よし。では、其方にそれを任せる。頼んだぞ」

「お任せ下さい」

 孫堅に伝国璽を任された曹昂は一礼し離れて行った。

「では、我等は袁紹の下に向かうぞ」

 孫堅はそう言って程普達を連れて袁紹の下へと向かった。

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