お見舞いに行くか
朝議の結果を聞いた曹昂はこれなら文句はないなと思っていた。
「さて、朱桓の見舞いにいくか」
許昌に着くなり、病に罹り倒れたと聞いたので朝議の結果を教えるついでに、朱桓の屋敷へと向かった。
余談だが、後日劉勲の元に曹操からの文が届いた。
何処からか今回の朝議の内容を聞いた様で、文には曹昂に喧嘩を売った事を非難していた。
しまいには旧交があったから、官職に就けてやったが次何か問題を起こしたら、助ける事はせんと強く書かれていた。
その文を読んだ劉勲は身を慎もうと決めて、一族にも注意させた。
だが、食客がとある県で法に反する事を行ってしまった。
その県の県令が法に従い処置しようとしたが、劉勲はその県令に朝廷に伝えない様に依頼した。
もし、今回の件が曹操に知られれば間違いなく処罰を受けると思ったからだ。
それなりの量の袖の下を用意して渡したのだが、その県令は袖の下を送り返して法に従い処置し朝廷に報告した。
その報告は直ぐに曹操の耳に入ると、直ぐに劉勲と一族と食客全員に処罰が下された。
劉勲と妻子は処刑。一族の者達は財産没収。官職に就いている者は免職。食客も犯した罪の重さにより処罰が下された。
大半が法令に背く事を行っていたので、容赦なく処刑された。
曹昂は馬車に乗り込み、沿道を進んでいくと朱桓の屋敷に辿り着いた。
馬車から降りて、屋敷を見ると門が閉められていた。
共に連れて来た趙雲を一瞥すると、趙雲は門を叩いた。
「誰か、誰かおらぬか?」
『はい。ただいま』
趙雲は門を叩きながら大声を出す。
その声を聞いて、扉越しに声が聞こえて来た。
扉が開けられると、粗末な服を着ている男が出て来た。
一目で使用人だと分かる格好であった。
「この屋敷は朱桓殿の屋敷で相違ないか?」
「はい。その通りです」
「我が主である曹陳留侯が朱桓殿の見舞いに参った。会えるであろうか?」
「は、はいっ。少々お待ちを」
見舞いに来た人物の名を聞いた使用人は飛び上がりながら、屋敷に入っていった。
少しすると、門が開けられた。
開けられた先には十代ぐらいの男の子が頭を下げていた。
「このような粗末な屋敷に曹陳留侯がお越しいただき誠に嬉しく思います」
男の子は頭を下げているので顔は見えなかったが、しっかりと挨拶するのを聞いて曹昂は聡明な子のようだと思った。
「見舞いに来ただけなので、そう畏まらなくても良い。それよりも、お主は?」
「失礼いたしました。朱桓の従弟である朱拠と申します」
「朱拠と申すか。面をあげよ」
「はっ」
曹昂に促され、朱拠は顔をあげた。
まだ年若いからあどけなさは残っていたが、優れた容姿を持っていた。
一目見て、有能そうと思った曹昂は成人したら取り立てようと思った。
余談だが、朱拠は長じると文武に秀でた人物になり、曹昂はその才気を気に入って自分の娘を嫁がせて娘婿にするのであった。
その後、朱拠の案内で朱桓の部屋に参った。
昨日、目を覚まし快方に向かっていると朱拠が廊下を歩きながら教えてくれた。
やがて、部屋の前に来ると朱拠が声を掛けた。
「従兄上。曹陳留侯がお見舞いに参りました」
「なにっ、直ぐに通すのだ」
朱桓は驚きつつ、部屋に通す様に伝えた。
曹昂は案内してくれた朱拠に礼を述べつつ、部屋に入った。
室内には寝間着を着たままで、額に病鉢巻を巻いている朱桓が床に拝礼していた。
「このような御姿でお出迎えする非礼をお許しを」
「病に罹ったのだ気にする事は無い」
謝る朱桓に曹昂は気にするなと手を振る。
そして、朱桓に寝台で横になる様に促すが、朱桓は最初断ろうとしたが体調は万全ではない様で咳き込みだした。
仕方がないと思ったのか、しぶしぶ寝台に入った。
「この度は見舞いに来ていただき感謝いたします」
「なに、気にする事は無い。此度の件で苦労した様だから、労いにきたのだ」
「いえいえ、それでわたしの処分はどうなっているのですか?」
昨日目覚めたばかりなので、朱桓は自分の処分がどうなっているのか全く知らなかった。
曹昂は丁度いいとばかりに、朝議の結果を伝えた。
「おお、重ね重ねありがとうございます」
「なにっ、大した事はしていない。病が治った後は、呉郡に戻り太守として職務に励むように」
「はっ。必ずやご期待に応えます」
「うむ。頼んだぞ。此度の件では苦労したであろう。その労いを兼ねて、何か欲しい物はないか。わたしが出来る事であれば、何でもしようぞ」
「い、いえ、そのような事は」
「まぁ、そう言わず」
曹昂は笑顔をそう述べた。
朱桓はどうするべきかと暫し悩んだが、何か思いついたのか頷いた。
「では、僭越ではありますが。お願いしたき事があります」
「うむ。言ってくれ」
曹昂が促すと、朱桓はジッと曹昂の顔を見た。
正確に言えば曹昂の口髭の部分であった。
顎髭は生えなかったが、口髭はそれなりに豊かに生えていた。
「では、陳留侯の髭を触らせて頂きたい」
「わたしの髭を?」
朱桓の申し出を聞いて、曹昂は少々面食らっていた。
だが、直ぐにこの時代の人は髭を持つ事は立派な容姿の条件にして男の象徴で、生命力と精力に富む象徴でもあった。
その証拠に髭は薬の材料として扱われている。
また、髭を切ったり抜いたりする行為が、時代によっては犯罪と認定されており刑罰にも組み込まれている。
それほど髭が大事であるからか、何時の時代かは不明だが『老愛胡須少愛髪(ヒゲにこだわり髪はどうでもよい)』という言葉が出来た。
「まぁ、それでいいなら」
「有難き幸せっ」
曹昂はそう言い顔を少し突き出した。
朱桓は礼を述べた後、手を伸ばして曹昂の口髭を撫でた。
一回では足りないと思ったのか、二度三度撫でた。
「ありがとうございます。これで病もたちどころに治りましょう」
「そうか?」
「ええ、麒麟の髭を撫でたのですから」
「・・・・・・昔、曹家の麒麟児と言われていたからな」
間違いではないなと思う曹昂に対して、朱桓は殊の外喜んでいた。




