60話 第九回・姉と弟の茶飲み話
一般に慣れ親しまれた烏龍茶ですが、さて皆さま、この烏龍茶にも等級というものがあるのをご存じでしょうか。
ほとんどの場合、この等級は茶葉の摘まれる時期によって定められます。
最も下の茎茶下級からはじまり、最上には、春一番に摘まれるものが特級とされます。
とはいえ、いくら等級があるからといって、下級の茶葉を軽視するのは早計です。摘まれる時期により、茶葉の味が微妙に変わってくるそうなのです。
春頃に摘採されるものは味や香りが濃厚であり、逆に秋頃に摘まれたものは淡く、清涼感を得ることができます。人によって好みが別れるので、こうして一概には区別できないわけです。
こんにちは、弟です。
毎度のことながら、お茶談義に熱が入りますね。
階級の高いものは味わいが濃く、低いものは何もかもが薄い。
あっ! なんだか人生みたいだね! と思ったそこのあなた。詩人を目指してはいかがでしょうか。
うちの姉などは最下級の称号を誇るヒキニートですが、姉は姉なりに、なかなか濃い人生を送っていますよ。
証拠に、あれをご覧ください。
姉が通販番組を観ながら、なにやら高ぶっているようです。
『この商品の素晴らしさを充分ご堪能できたかな? さぁ、テレビの前のみんな、ボクと一緒に楽しいお掃除ライフを満喫しよう。合い言葉は、もちろんコレだね。汚れを見つけたら?』
「スチームでキレイにしよぉぉぉ!!」
ほら、テレビに向かってアホみたいにシャウトしてますね。ヒキニートのくせに、今日も無駄に濃い一日を送っているようです。
「弟よ! この商品は買いだぞ買い! スチームで家中ピッカピカだぞ!?」
「口からポテチのカス噴射しながらの姉には何の説得力もないけどな……」
――午前十一時一分。
そろそろこたつを取り払った我が家のちゃぶ台。そこに飲みかけ烏龍茶の湯飲みを置き、姉が神妙な面持ちをしました。
「さっそくで申し訳ないが弟よ。最近お気に入りのメタ発言をしようと思うのだが」
「そうか、最近お気に入りのメタ発言をするつもりか姉よ。もはやこういう会話自体がメタなのだが、とりあえず言ってみろ」
「実は、作者がなにやら不満を抱えているそうなのだ」
「ついに作者が出てきたか。ついに作者ネタまで出してきたか。やり過ぎというか終わっているというか、なにか吹っ切れた感が否めないな。で、なんだその不満とは」
「たまに、職場のPCからヒッキー姉を読み返すことがあるそうなのだが」
「……色々と終わってるな、姉よ」
「各話のページを開くたびに、フィルターがかかってブロックされてしまうらしい。しかも、その項目にことごとく、『アダルト・マテリアル』と表示されるそうだ。なぁ弟よ、私たちってそんなに下ネタばっかなのか? 私たちってそんなにブロック対象な発言ばっかしてるのか?」
「待て待て、『私たち』とか誤解招くようなこと言うな。姉だけだから、そういう発言してんの姉だけだから」
「あーはいはい。どーせ私は下ネタしか取り柄のない女だよ。あーあー! うんこちんこまんこ! はいはい、またブロックされちまえ!」
「何かが崩壊し始めている……」
――午前十一時四十九分。
我が家の庭には一本だけ、桜の木が植えてあります。満開に咲いたそれを眺めながら、俺は心地よい気分に浸っていました。
「桜がきれいだな、姉よ」
「春だからな」
「花粉症には辛い時期だけどな。俺はここのところ、外出時は常にマスク着用というありさまだ」
「春だからな」
「しかしあれだぞ、空気もちょうどいいし、散歩には最適の気温だ」
「春だからな」
「それに、今年も新入社員がたくさん入ってきたんだぞ姉よ」
「春だからな」
「いやーそれにしてもいい季節だ。外に出る季節だ。姉はそれでも外に出ないのか?」
「春だからな」
「みんな外で精力的に活動してるのに、やっぱり姉は家の中か。お前はどんだけ家が快適なんだよ……」
「春だからかな?」
「いや聞くなよ」
――午後一時二十二分。
「そろそろ誰かを萌えさせたい……」
「切実かつ絶望的な願望だな、姉よ」
「私が語尾ににゃんとかつけたら萌えるにゃん?」
「ごめん全く萌えない」
――午後一時二十三分。
「私が語尾にヒッキーとかつけたら引きこもり萌えヒッキー?」
「もう新しすぎて何がなんだか」
――午後一時二十五分。
「私が語尾にシュコーとかつけたらダースベイダー萌えシュコー?」
「もっと狙ってもいいと思う」
――午後三時十六分。
「あ、そういや無口キャラってやつがあるよな、弟よ」
「……無口キャラ?」
「いやほら。綾波や長門が火付け役の、一昔前にちょっとしたブームになって大量生産されちゃった萌えのジャンルだよ」
「それはアニメキャラクターかなにかか。悪いけど俺はそういうの詳しくないから、国民的アニメで例えてくれると非常にありがたい」
「例えば……あ、クレしんのボーちゃん」
「なるほど。よくあんなのがブームになったな」
「いや待て、今のナシ。女性キャラでないと意味がないんだよなぁ。えーっと……あ、そうだ。ちびまる子ちゃんの野口さんとか」
「よくあんなキャラが……」
「あーもう! だから違うっての! もっとこう、なんだろうなぁ……あーイライラする。綾波と長門で分からない時点で殺したくなる。イライラする」
「……そこまで言うなら、姉が実演してみればいいだろ」
「その手があったか!」
姉がぽんと手を打ち、座布団から立ち上がりました。
「十分待ってろ。ちょっと練習してくる」
俺はためらいつつも頷き、和室を出て行く姉を見守ったのでした。
――午後三時二十四分。
姉がやってきました。眼鏡をかけており、何故かハードカバーの小説を開きつつ和室に入ってきました。
「練習してきたか?」
恐る恐る訊いてみると、姉は小さく頷いて俺の正面に座りました。
「おい、早く見せてくれ」
姉がまた頷きます。頷くだけです。一向に無口キャラの魅力を披露してくれない。ひたすら小説をめくりながら、たまに眼鏡の位置をくいっと直すだけです。おそろしく退屈です。
「なぁおい、姉?」
「……」
何も反応しません。なにがしたいんだろう、この姉。
沈黙が続くこと、約十分。
もしや、萌えさせたい願望に飽きてしまったのでしょうか? それならそれで、俺ものんびり出来てありがたいのですが。
春一番の烏龍茶を味わいつつテレビを点けました。やはり、笑点は欠かせませんよね。
「あはは、やーねっつって。なぁ姉よ」
「……くっ」
何故か笑いをこらえる姉。咳払いをして、眼鏡の位置を再度正しています。
また十分後。やっぱり姉が喋らない。まぁ、いつもはうるさい分、逆にいい兆候かもしれません。
さて、そろそろ夕飯でも作ろうかな。
「姉よ、今晩はカレーとしょうが焼きのどちらかにしようと思うのだが、姉はどっちがいい?」
「……」
「おい、姉」
「……」
「答えないなら姉の分は抜きだぞ」
「……カレー」
「何なんだよ、全く……」
――午後八時十二分。
姉がまともに喋ってくれません。
時折、口をパクパクさせています。よだれ垂れてます。手足がプルプルしていて子鹿のようです。
……本当は喋りたいんじゃないのか。
――午後十時七分。
姉が泡を吹いて痙攣しています。
――午後十一時二十五分。
姉をベッドに寝かせ、介抱すること一時間。
うつろな目をした姉が、弱々しい息を吐き、やっとの思いで口を開きました。
「……おとう、とよ」
「意識が戻ったか。大丈夫か、姉よ」
「私の無口キャラには、萌えてくれたか……?」
姉が震える手を上げます。
俺はその手をしかと握り、ゆっくりと首を振るのでした。
「悪い姉よ……終始意味が分からなかった……」
「無念ッ……」
一筋の涙を流し、姉の手がぱたりと落ちました。
萌えとは、なんと険しきイバラ道なのだろう。姉の最後を見つめながら、俺は萌え文化の逞しさを実感したのでした。
喋りたくてたまらない姉でした。