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52話 妖精

「ヨーセイサン! あぁ行かないで! 金ならいくらでも出すから!」


 姉がベランダから何やら狂ったようなことを叫んでいました。

 どうも弟です。仕事帰り、やけに騒がしいなと我が家を見ると、姉がベランダから何やら狂ったようなことを叫んでいました(二回目)。

 ちょっと状況が把握できないまま立ちすくんでいた俺でしたが、戸部家のお爺さんも姉を見て道端で腰を抜かし、ひたすら手を擦り合わせて「婆さんの霊じゃあ、婆さんの霊じゃあ」とブツブツ言っていたので、よく分からんがコレはまずいと思い慌てて家に入っていったのでした。


「姉よ、どうした」


 ベランダまで行って姉に声をかけると、姉は満面の笑みで振り返りました。


「弟か! さっきまで、そこにオッサンの妖精がいたんだ!」


 姉が何もない虚空を指して嬉しそうにはしゃいでいます。


「よし、まずはリビングに行こうか姉よ」


「嫌だ、妖精さんを捕まえるんだ。オッサンタイプの妖精さんは金運を向上させてくれるらしい。奴を捕まえれば、きっと私たちは老後の年金が約束されるだろう」


「金運を向上させるのに『金ならいくらでも出すから』じゃ本末転倒だろ。それに、妖精さんならリビングにいるぞ」


「ホントか!?」


 楽しそうに階段を駆け下りていく姉の背中を見ながら、俺は渇いた笑いを漏らしたのでした。ついに姉が狂ってしまった。

 リビングに戻り、はしゃぎ回る姉を無理矢理テーブルにつかせました。


「……悩みごとがあるなら聞くぞ」


「おっぱいいっぱいで幸せ。いっぱいおっぱい」


「幸せそうだな姉よ」


「私のおっぱいはZカップだ。エリート・スーパーオッパイ人。戦闘力は100万とプライスレス」


「そうか、そのスーパーオッパイ人とやらはかめはめ波でも出せるのか」


「さっき試したけどちょっとしか出なかった……」


「ちょっと出せただけでもすごいことだぞ姉よ。どういう原理で出せたのか知りたいから精神科病院で調べてもらおう」


 俺は姉に近づき手を取ろうとしました。しかし、


「ちょっと待て弟よ」


 と姉が手を出して止められます。


「どうした姉よ」


「さっきのオッサンの声がする」


「残念ながら俺には聞こえないな。オッサンは何て言ってる?」


「『平日の昼間から公園のハトにエサをあげる仕事はもうさんざんだ、前の工場ラインの仕事やってたほうがまだ生産性があるよチクショウ』と言ってる」


「リストラにあってんじゃねーか」


「今度は小田和正の『さよなら』を歌い始めた。もう、終わりだねー」


「悲しいな」


「おい! 今度は開き直って郷ひろみの『2億4千万の瞳』歌い出したぞ! やっべ、テンション上がってきた」


「姉よ、そのままでいいからちょっと病院行こう、な?」


「は、何だよ病院って。私は至って正常だが。落ち着けよ弟よ。困ったときは糖分を取ろう。ハチミツ食べるか? 棚の壺にたんまりとあるぞ」


「正常な人間は何の前触れもなくプーさんのようなことは言わない。行こう、ほら」


 姉の手首を掴むと、姉はすぐさま俺の手を振りほどきました。


「落ち着け弟よ。まずは落ち着いて、どうすれば双葉山に連勝記録で勝てるかを考えよう」


「やめてくれ、意味が分からん」


「ハッケヨイ!」


「ぶほっ!?」


 姉にぶちかましを食らい、俺はテーブルに叩きつけられながら床に転がりました。頭をぶつけたからか、少し視界が揺らぎました。姉を見上げると、姉はやはりおかしくなったような高笑いをしていました。


「もけけ、けけ。私はヨー・グランド・バース。異世界からやってきた覇王。この世界を粛正するべく召喚された。もけ、もけけけけけけ」


 よく見ると、姉だと思っていたそれは、姉ではありませんでした。妖精です。オッサンの妖精です。

 妖精は郷ひろみの『ゴールドフィンガー』を歌い始めました。あーちーちーあーち。

 なるほど、どうやら姉の言っていたことは間違いではなかった。俺は立ち上がり、妖精と一緒にジャパンを叫び、彼と仲良くなりました。


「コピーバンドで天下を取ろう」


 妖精は言いました。俺は力強く頷き、ドラムの練習に明け暮れました。妖精はギター担当です。彼の早弾きに敵うギタリストなどまずいないでしょう。そんな彼に負けないように俺は練習しました。手の皮がすり切れ、マメが出来るまで、俺は毎日妖精とセッションしたのです。

 それからはや三十年。結局俺と妖精の夢は叶いませんでした。妖精とは、今でもたまに行きつけの居酒屋で過去を語らい合います。俺たちも老けたものです。夢を追うにはもう、俺たちの気力では足りません。

 でも、これでよかったのかもしれません。

 だって、彼と共に過ごした、あの輝かしい青春は消えないのですから……。


―――

―― 


「39℃か。完全に風邪引いてるな弟よ。そんな夢も見るわけだ」


 俺はベッドに横になり、体温計を持つ姉を見上げました。俺が風邪を引くなんていつ頃ぶりでしょう。


「俺は、疲れてるのかもしれない」


「疲れてるんだろ。今日は会社休め弟よ。仕方ないから私が看病してやる」


「いやそうじゃなくてな、姉」


「なんだ」


 俺は姉の上の、笑顔でダブルピースをしながら浮かんでいるオッサンを指しました。


「姉の頭の上を、今もオッサンの妖精が舞っているんだ……」


「……早く寝ろ、弟」


 オッサンが俺の耳元にやってきて、また郷ひろみを歌い出しました。

 やっぱり、俺は疲れているようです。

私も疲れているのかもしれません。

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