51話 姉vs訪問販売 -健康食品-
ピンポーン。
やぁ姉だ。今日は弟の帰りが遅いということで、リビングで大音量エロゲをしている。しかしさきほどから玄関の方がやかましい。
ピンポーン。
こんなことならチャイム叩き壊しておくべきだった。集中も何もあったものじゃない。あともう少しでフルコンなのに。
「面倒臭いなぁ……」
私は眼鏡を外し、こたつから這い出て玄関へ向かった。玄関ではまだピンポンピンポンとうるさい。イライラ。
開けるのも面倒なので、玄関越しに声をかけてみる。
「はいどなたー?」
「すみませーん、セールスムーン株式会社の者ですがー」喉に詰まったような野暮ったそうな男の声が聞こえてくる。
「あ、セーラームーンですか。月に変わっておしおき的な?」私は頭をぽりぽり掻きながら答える。
「あ、いえ、セールスムーンです。商品をご紹介させていただきたいのですが、入れてもらっていいですか?」
なるほど、訪問販売ってやつか。苦手だなぁこういうの。
「あー、商品ってどんなんですか」
「あなた女性ですよね。でしたら、ダイエット食品や健康食品はいかがでしょう。ていうか開けてもらっていいですか?」
「いや、でも弟に『セールスが来ても絶対開けるな』と普段から強く言われてるしな。ドア越しでよければ話を聞くが?」
「ドア越しだと商品のご紹介が満足にできないんですよねぇ。一瞬でいいので開けてもらっていいですか?」
「……一瞬でいいのか?」
「はい、一瞬でいいです」
男は事もなげに言う。一瞬でどう状況が変わるというのだろう。はっ、まさか。こういうの漫画で読んだことがあるぞ。
「おい愛と正義のセーラー戦士。お前、ドアの間に足挟んで無理矢理入ろうとするアレだろ」
「いやだからセーラームーンじゃないですって。それに足なんか挟みませんよ。ホントに一瞬開けてもらうだけでいいですから」
「……ホントか?」
私は意を決してドアノブに手を掛ける。恐る恐るガチャリと開くと……。
そこには、いかにもキモオタ風といったデブ男が立っていた。眼鏡が湯気で曇っているし、しかもこいつ、セールスマンなのに何故Tシャツジーパンなんだ?
そして笑顔が最高にキモい。
「あ、どうも。セールスムーン株式会社の――」
「ども。閉めます」
ガチャン! と叩きつけるように扉を閉じる。
と、ここで異変が。
「あれっ、閉まらん」
まさか足を……挟んではないな。じゃあ何故?
「ちょ、奥さん、痛い、前よく見て」
「あ?」
デブが挟んでいたのは顔の方だった。結構勢いよく閉めたので眼鏡のフレームが盛大に曲がり、鼻血がボタボタと地面に滴っていた。
「……大丈夫か」
「いえ、痛いっす」
「だろうな」
「身体張ったんで入れてください」
「セールスも大変なんだな。武士の情けだ、入れ」
「ありがとうございます!」
ふむ、今どきにしては中々骨のある奴だ、と私は感心する。とりあえずティッシュを男に渡し、玄関先で話を聞いてやることにした。
男は鼻の穴にティッシュを詰め、こう切り出した。
「奥さん」
「お姉さんと呼べ馬鹿野郎」
「失礼しました、お姉さん。それで貴女、ダイエットには興味ありますか?」
「ないな。自宅警備員の私にとって容姿は二の次だ。つーか私よりお前の方がダイエットした方がいいんじゃないか? ハート様のような体型しやがって。北斗柔破斬くらわすぞ」
「ご冗談を。これは脂肪ではなく筋肉です」
「なにっ。じゃあビスケット・オリバみたいな感じか。マリアは元気でやってるか?」
「あー、ちょっと意味分かんないですね。では早速商品を見ていただきたいんですが」
「おいこら。……あん? 何だこれ」
男がバッグから取り出したのは、何の変哲もない一本のペットボトルだ。中にはこれまた普通の水が。
「幸せを呼ぶ奇跡の水、ジュエリーウォーターです」
「なんだそのトリコみたいなネーミングは。どこが奇跡の水なんだよ。なめてんのか」
「だって奇跡ってキャッチコピーなんですもん。それにホラ、見て下さいよこれ」
男はまたバッグから紙を数枚出して言う。
「ジュエリーウォーターの使用者の方々から寄せられたアンケートです」
「そんなもんあるのか。どうせ胡散臭い水でしたとかばっかなんだろうが、一応見てやるか」
『この水を飲んだおかげで祖母の病気が治りました!』
『テスト前にこの水を飲んだら、あら不思議! 全く勉強してなかった僕でも全教科90点以上に!』
『冴えない非モテ男な私でしたが、この水を購入してから一週間でモテモテに。ただ一つの欠点といえば、毎日女の子たちに囲まれて困っちゃうことかな(笑)』
「……す、すごい」
本当に幸せを呼んでやがる。奇跡の名目は伊達ではないのか?
「すごいでしょう。まだまだありますよ」
男はアンケート用紙を床にどっさりと置く。これだけ使用者の声が寄せられているということは、やはり相当な商品じゃないのか?
『ウソ? まさか!? あれだけ結婚を反対していた彼女のお父さんが、この水を買った瞬間、結婚を快諾してくれたんです! ま、マジかよ~!?』
『借金の取り立てが酷い毎日……。でもある日、このジュエリーウォーターを取り立て屋に突き付けてやったんです。すると奴ら、恐れをなして一目散に逃げ出していきました。これも全部、ジュエリーウォーターのおかげかな?』
『ある日、ジュエリーウォーターを飲みながらなんとなくファミレスに入ったんです。すると「そ、それはジュエリーウォーター!?」と店員に驚かれました。「なんだなんだ?」と小首を傾げていると、店長らしき人があらわれ、「ジュエリーウォーターをお持ちの方が当店へいらっしゃるとは光栄です。ささ、こちらへ」と、何故かVIPルームとやらに案内されちゃった! す、すごいです、ジュエリーウォーター!』
「すげええ!! ま、マジモンの奇跡じゃないか!」
「だから言ったでしょう。さらにこれ、本来の目的であるダイエット効果もあって一石二鳥なんですよ。私なんてこの水のおかげで10kgの減量に成功しましたからね。見て下さい、残ったのはこの筋肉だけですよ」
「な、なんてこった……こんな素晴らしいアイテムを私は今まで見過ごして生きてきたのか……」
「ふっふっふ、どうです、欲しくなったでしょう」
「悔しいが……欲しい。でも、お高いんでしょう?」
「そうですね。これだけ御利益のある商品ですからそれなりには。定価で1ダース30万といったところでしょうか」
「さ、30万!? む、無理だ。私の小遣いでは到底……」
「でもご安心ください。私どもセールスムーンでは、お客さまによりお買い求めし易い価格で提供するのがモットーなのです。なんと今なら90%オフ、1ダース3万円でご提供します!」
「ええーっ!? 3万円!? もはやズルですよねそのお値段!?」
「これがマジなんですよ、奥さん」
「お姉さんだ訂正しろこのブタ野郎。いやでもホント感激ですぅー! 買いますコレ買いますーっ!」
「えっ。あ、あはは。そうですね、安くイイものをご提供し、お客さまに喜んで頂くのが私どもの生き甲斐ですから」
「グッドな心がけだな! 待っててくれ、今財布取ってくる!」
私は急いで部屋へ走った。なんていい人なんだろう。たった3万円ぽっちで幸せを手にすることができるとは。
玄関先に戻ると、男はポテチを食べながら待っていてくれた。なるほど、あの筋肉を維持するためには常にカロリーを消費しなければいけないんだな。
「待たせたな。本当に3万円でいいんだな?」
「ええ、もちろんですよ。フフフ」相変わらず笑顔が気持ち悪いが、まぁでもいい人だ。
「ほんとにありがとう、神様のような奴だな。是非、名前を聞かせてくれ」
「私ですか? 申し遅れました、私は高木というものです」
「高木? 高木ブー?」
「いやなんでですか、だからこれは筋肉ですって。って、あれ?」
「え? お前あのときの高木? 高木ブーそのものな容姿をイメージしていたが、金○日とバナナマン日村を足して二で割ったような感じだったんだな」
「うるさいです。そういう貴女は……えーと」
「ジャイ子だ! あ、間違えた。しずかちゃんだ! 人のこと忘れんなブー!」
「そうだ、ジャイ子だ。こんなところに住んでたんですか、ニートのくせにいっちょ前に一軒家なんかに住んで」
「久しぶりだなブー。いいだろこの家。結構広いぞ? 奥には入れてやらんけどな」
「ふ、ふん。見た目と玄関は大したものですが、どうせ中は散らかってるんでしょ? またオタクくさいグッズばっかなんでしょ」
「はん、まさにオタクな顔してるお前にだけは言われたくないね。お前の住んでるとこなんかあれだろ。十勝あたりの豚小屋かなんかだろ」
「だからこれは筋肉です! ていうか、そんなことはどうでもいいです。さっさとこの水買ってくださいよ」
「ちょっと待て。この前弟が言ってたぞ。あの高木って男は詐欺臭いからもう関わるなって。ということはこの水も……」
「はぁ、全く。貴女という人は」ブーは肩をすくめ、これみよがしにため息を吐く。
「な、なんだよ」
「貴女はいつも口を開けば、弟が、弟が、ってのたまいますね。ちょっとは自分で物事を考えてみてはどうですか? だからいつまで経っても引きこもりなんですよ」
「なんだとこの野郎! お前が詐欺師なことには変わりないんだ! どうせこの水の御利益とやらも全部ウソなんだろ!」
「叫ばないでくださいよみっともない。証拠にホラ、見てくださいよ、この筋肉。ジュエリーウォーターでムキムキですよ。おかげで女の子にもモテモテです」
ブーはドヤ顔でTシャツを上げ、腹を露出してくる。くそ、水の効果を見せつけられては言い返しようが……ってあれ?
「……これ脂肪じゃね?」
「いいえ、これは筋肉です」
「モテないデブ男のビールっ腹だよな?」
「モテないは余計です。筋肉です」
「デブとビールっ腹は否定しないんだな。ていうか絶対モテないだろその腹。つーかその顔」
「モテますよ。だって彼女いますもん」
「アスカだろ? 二次元の」
「三次元です。いい加減にしてください。筋肉見せつけますよ」
ブーは本格的にTシャツを脱ぎ始め、一人ボディビルポーズを決めている。氷の上でうごめくオットセイのようで滑稽だった。
私はおもむろに家電の受話器を取る。
「ふんっ、ふんっ、どうです? すごい筋肉でしょう!?」
「あ、もしもし警察ですか? うちの玄関に上半身裸の変態がいるのですが」
「あれ? 何電話してるんですか。冗談ですよね、あはは、ウソ通報なんて、ネタ振りが面白いなぁ」
「ブー、あと5分で警察来るそうだぞ」
「……帰ります。あれ?」
ブーが辺りを見回す。何かをお探しのようだ。
「探し物はこれか?」私はブーの汗臭いTシャツをちらつかせた。
「か、返してください」
「まぁまぁ、せっかくだから中でお茶でも飲んでいけよ。返すのはそのあとでいいだろ?」
「け、結構です! いいから返してくださいよ!」
「何故だ、シャツ着てないことくらい、警察にはどうとでも言い訳つくだろ。ましてや詐欺なんてしてないんだからなぁ?」
「うわぁぁぁ!」涙目で私の手を振り払らい、上半身裸で逃げていくブー。「今度ぶっ飛ばしてやるから覚えてろぉぉ!」
「おー、またなー」
私はブーのシャツをひらひらさせて走り去っていくブーを見送ったのだった。5分後、警察が到着したのでブーが逃げていった方向を教えてやったが、無事捕まればいいなぁ。
シャツはその後、ゴミ箱に突っ込んだ。
―――
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「というわけで、今度ブーがぶっ飛ばしにくるそうだから何か対策を練ろうと思う。どうしようか、弟よ」
「もうお前らで勝手に遊んでろ……」