43話 姉の研究シリーズ『イラッとすること・前編』
今朝方は異常にハイテンションだった姉でしたが、俺が会社から帰ってくると朝とは打って変わって不機嫌になっていました。
目をギラギラさせて貧乏揺すりをし、時折舌打ちをしています。
どうしたのかと尋ねてみると、姉は「あぁん!?」とヤンキーばりに顔をしかめてこちらを睨み据えてきました。
「どこからでも開きますって書いてあんのにどこからも開かないんだよクソッ!」
「……なるほど、全く分からん。一体何の話だ姉よ」
「これだこれ!」
姉はひったくるようにお菓子の袋を取り、俺に見せつけてきます。
袋のふちには確かに『どこからでも開きます』と書いてありました。よくよく見ると、袋には姉が開けようと奮闘した跡がシワとなって残っています。
「ハサミで切ればいいんじゃないのか?」
「嫌だ、なんだか負けた気分になってしまう」
姉は肩をぐりぐり回し、お菓子の袋に掴みかかりました。
「どちくしょおっ! くらぁぁぁっ!」
姉が袋を左右に引っ張り、顔を赤くして怒声を上げ始めました。
袋はギリギリと音を立て、姉はついに片足をテーブルの上に乗せ踏ん張り始めます。
――パァン!
嫌な破裂音と共に、袋の中身が四散してしまいました。
「……姉よ、ちゃんと掃除しとけよ」
姉は肩で息をしながら床に散らばったお菓子を見下ろしています。額に青筋をたて、ぽつりと言いました。
「……よし、メーカーに苦情入れてやるか」
「止めろ姉よ。普通にお前のせいだからな。こうなることは目に見えてたろうに」
「負けられない戦いがここにあったんだ……。くそう。掃除機取ってくる」
姉は力なく言い、肩を落として掃除機を取りにいきました。
ふと、姉が小さく悲鳴を上げてうずくまりました。
「どうした姉よ」
「いたたた……テーブルの角にぶつけてしまった、足の中指」
「小指じゃなく中指とか、珍し過ぎるな姉よ」
「ちくしょう、イライラする。なんでこんなとこにテーブルなんかあるんだよクソッ」
「ついにテーブルにまで当たり始めたか」
「……あ!」
「どうした」
「かかとのとこ蚊に刺されてる……」
「また変なとこ刺されたな姉よ。ウナコーワクール使うか?」
「嫌だ、そんなもの使ったら負けた気分になる」
「お前は一体何と戦ってるんだよ」
俺は呆れながらソファに腰掛けました。
姉はうずくまったまま深くため息を吐き、やがてテレビ台の引き出しから一冊のノートを取り出しました。
「というわけでイラッとすることをノートにまとめてみた」
「いやどういうわけでだよ」
「読んでくれ。このイライラを誰かと共有しなければもう私は収まりがつかん」
押しつけられるように俺はノートを受け取りました。題字には『イライラするんだよ糞野郎ちきしょうめがこんな世界崩壊してしまえ集』とあります。
「タイトル荒れすぎだろ」
「物凄く荒れてるときに作り始めたらこんなんなっちった」
「何回も言うようで申し訳ないがお前ホント暇なんだな」
「何回も言うようで申し訳ないが私が暇なことなんてマジで分かりきったことだろ」
もはや言い返す言葉もなく、俺はノートの表紙をめくりました。
「例のごとくジャンル分けしてるからな。まずは家の中でのイライラすることだ」
「恒例だな。どれどれ」
◆◆◆
自宅編。
①朝に止めたと思った目覚まし時計が12時間後の夕方にまた鳴り出す。
②サランラップが上手く切れず絡まる。
③昨日父が吐いたゲロを拭いたタオルと一緒に自分の下着が洗濯されている。
④鍵穴に鍵が中々入らなくて奮闘するが、よく見たら車の鍵だった。
⑤牛乳パックの開封失敗後の悲惨な開け口。
⑥ペヤング焼きそばのお湯を捨てようとしたら麺まで丸ごとポロリ。
⑦深夜アニメを録画して見ようとしたらスポーツ番組延長で思いっきり録画範囲がずれてる。
⑧咀嚼音がくちゃくちゃとうるさい両親。
⑨洗剤を詰め替えようとしたら容器が倒れて中身ぶちまける。
⑩とにかく間が悪い。
◆◆◆
「姉よ、⑩のとにかく間が悪いって、具体例が書かれてないぞ?」
「たくさんあり過ぎて書くのがだるかったのだよ。例えば風呂入ってるときに玄関のチャイムが鳴るとか」
「あぁ、歯を磨いてるときに電話が掛かってくるとかだな」
「そう、あとは家に一人だと思って自慰をしようとしたら忘れ物を取りに来た母親が入ってくるとかな」
「……今回はいつ来るかと思ったがもう来てしまったか」
「私から下ネタ取ったら何も残らん」
「弟はもう嘆かわしい限りだぞ」
「弟はいつも嘆きっぱなしだな。というわけで次は異性・エロ編だ」
「……そのジャンルはもっと後半でいいんじゃないのか」
◆◆◆
異性・エロ編。
①異性がいると突然声大きくなって自己アピールする人。
②深夜にちょっとエッチな番組があると聞いて夜更かししてまで見たのにその日に限ってエロ企画無し。
③満員電車だから仕方なく密着してるだけなのにやたらチラチラとこちらを睨んでくる勘違い女。
④初対面で舐め回すように身体を見てくるエロオヤジ。
⑤童貞の彼氏が初情事の際に「○○するよ?」「○○していい?」とやたら確認してくる。
⑥明らかに彼氏なんて出来なさそうな女が恋愛をドヤ顔で語る。
⑦胸元が大きく開いた服を着てるくせに「ちょっとあんた、いま私の胸見てたでしょ」
⑧コスプレ企画AVなのにすぐに全裸にしちゃう。
⑨とりあえず下ネタ入れれば受けると思ってる人。
⑩階段の下からさりげなくスカートを覗くも下が体操着。悔しい。
◆◆◆
「⑩の『悔しい』はいらないだろ姉よ」
「絶対にいる。男のくせにこの悔しさが分からんのか弟よ」
「分からんでいいわそんなもん……って待て、⑨は思いっきり姉だろ」
「……え?」
「そんな『まるで身に覚えがありません』みたいな顔されるとこっちが困るのだが」
「空気読め弟よ。そこはスルーだスルー。さて、次は何だっけ」
「全く……次はお店編とあるな。これは結構イライラな場面がありそうだな姉よ」
「ふむ、これはかなりあったから特にイラッとくるものを厳選してみたぞ」
◆◆◆
お店編。
①雑誌の立ち読みで指に唾つけてページめくるおっさん。
②店員同士で談笑していて「らっしゃーせー、ぶはは!」と客の存在をがおざなりにする。
③とてつもなく下らない理由で店員を怒鳴りつけてるクレーマー。
④タッチパネルを指でガンガン叩く人。
⑤店内で暴れ回る子供を叱らない上に「うちの息子は元気だから仕方ないわねぇ」とむしろ微笑ましいものを見るかのように傍観してる馬鹿親。
⑥一人でゆっくり見たいのにしつこく話しかけて来る洋服店員。
⑦散髪中に「あ、やべミスった」と小声で呟く美容院店員。
⑧マックでバカ騒ぎする女子高生。
⑨お金を投げるようにして渡す客。
⑩ラーメン屋でスープを飲んで「ふむ」、チャーシューを食べて「ほぉ?」、麺を啜って「なるほどぉ!」と呟く通ぶった客。
◆◆◆
「強烈なのばっかだな姉よ」
「イライラするだろう弟よ。特に⑤なんかの馬鹿親子系は極上のイライラ感を発揮してくれるぞ」
「確かにな。個人的にはクレーマー系も捨てがたい。早く会計したいのにクレーマーがいつまでも店員を離さなくて困ったことが何度あったか」
「分かる分かる。レジの下ガンガン蹴ったりしてな。どうしてクレーマーというのはあそこまで心に余裕がないんだろうな弟よ」
「普段家族や友人とどう接してるんだろうと思うよな。……というか引きこもりの姉がどうして分かるのか甚だ疑問なのだが」
「弟もイライラの世界に段々ハマって来たところで、いよいよ交通・マナー編へと移るか」
「ふむ、これまた定番だな」
◆◆◆
交通・マナー編。
①電車でカップラーメンなどの臭うものを食べる人。
②狭い道を塞ぐように横一列に並んでダラダラ歩くおばちゃん連中。しかも「どいて下さい」というと睨みつけてくる。
③飲食店で口に手も当てず豪快にくしゃみをするおっさん。
④バス内で大きいため息を何度も吐くおばちゃん。
⑤エスカレーターを上りきったところで突然立ち止まる老人。
⑥公共の場で過剰にいちゃつくバカップル。
⑦手すりに鼻くそつける。
⑧こちらに振動が伝わってくるくらい貧乏揺すりが激しい人。
⑨車に乗ると性格が豹変、赤信号程度でぶち切れる。
⑩映画館でそわそわごそごそ。
◆◆◆
「これはもうあれだな……姉よ」
「言葉にし難いものがあるだろう弟よ」
「そもそもマナーってのは要求するものではないからな。本人の感覚に委ねられる場合もあるから、歯がゆいというかやり切れないというか」
「だからこそイライラ感も増す一方なのだよ。さて、次だが……」
「次は、オタク編? なんだ、前回のイタい人集に通じるものがあるな」
「あぁ、次からはイライラ現象を人種別に別けてみた。とりわけオタクという人種は痛々しさとイライラ感を併せ持つ奇跡の生命体なのだ」
「奇跡なのに全く神々しさを感じないのはこれいかに……しかも姉よ、また自己犠牲を重ねるつもりか」
「くっ、古傷が痛む……弟も心して読んでくれ」
後編に続く。