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36話 ときめけ鬱蔵

 梅雨に入り、じめじめする季節となりましたね。

 どうも弟です。


 今日は火曜日、平日真っ直中です。

 現在、お隣の戸部さん家の一人娘、桜ちゃんが時期の早い修学旅行に出掛けています。奈良・京都・大阪への4泊5日の旅のようです。

 俺の小学生の時の修学旅行といえば隣県の合宿所に2泊3日だったのですが、最近の小学校というものは豪華なものですね。


 そうそう、そのお陰で最近桜ちゃんがうちに遊びに来られないのですが、そのためなのか、鬱蔵に元気がありません。エサの食べっぷりもいつもの勢いがないのです。

 姉と夕食を食べたあと鬱蔵のエサの減り具合を確認すると、やはりいつもより減っていないようです。


「ファー……」


 鬱蔵は頭をもたげ、おそらくため息と思われるものを吐いています。

 姉はそんな鬱蔵を見やりました。


「なんだか、うだつの上がらない四、五十のうらぶれたオッサンみたいだよな、最近の鬱蔵」


 確かに。鬱蔵の背中から中年男性の哀愁が漂っています。


「なぁ姉よ、この鬱蔵の沈みっぷりは桜ちゃんとここ数日間遊んでなかったからだと思っていたが、これはちょっと異常だと思わないか? やはり病気にでもかかったのかな」


「うむ、最初は私も心配になってな、エサにバイアグラを混ぜてみたんだが、そもそもエサを食おうとすらしなかったんだ」


「そうか……ってこら愚姉。お前エサになんてもん混ぜてんだ」


「いやいや、え? バイアグラってそういう薬じゃないのか。元気になる栄養剤じゃないのか」


「元気なる意味が根本的に違うからな。ていうか用途も違う」


「ふーん、じゃあ弟が使うか? 私には使い方が分からんが、弟なら詳しいようだし。お前なら使い道もあるんだろ? 私には全く分からんけどな。うーん、例えば彼女とのデートで……えっと、どう使うんだ弟よ?」


「勾配30%の坂で二、三回もんどり打って転げ落ちろ。お前のセクハラのいやらしさと陰湿さ加減は俺の会社のT課長並だな。……ってバイアグラはどうでもいいんだよ。話を戻そう」


「私はいつかそのT課長とやらを超えてみせる。あぁそうだな、鬱蔵の話だった」


「姉よ、何か心当たりはないか? リビングのクーラーに問題でもあるかな。寒くて風邪でもひいたか」


 俺がそう言うと、姉は「ちっちっち」と指を振りました。


「甘いな弟よ。お前はこの鬱蔵の元気のなさを身体的なものだと思い込んでいるな」


「まさか。あの鬱蔵が心の病気だとでも言うのか」


「然り、ご明察だ。つまり鬱蔵は心を病んでいるのだよ。それも中々複雑なものだ」


「馬鹿な。動物に心の病気なんてあるのか」


「動物にだってそういう例はあるぞ。ほら、ウサギは寂しいと死ぬって言うだろ。ロバは頭がいいから心の病気にかかりやすいし、犬だって不安になると攻撃的になるらしい」


「そうか……じゃあ、姉は鬱蔵の心の病気の原因は何だと思う?」


「ずはり!」姉はびしりと鬱蔵の背中を指差しながら言いました。「恋の病だ!!」


「恋の、病……」


 なるほど恋か。その発想はなかった。鬱蔵が恋を。なるほど、鬱蔵が……。


「はぁ? 鬱蔵が恋!?」


 姉は腕組みをし、不敵な笑みを浮かべました。


「明日の朝になれば分かるさ。弟よ、明日は早起きするぞ」


◆◆◆


 翌日、水曜日。

 姉の言う通りに俺たちは朝5時に早起きし、和室の襖の陰からリビングの鬱蔵の様子を監視していました。

 姉は早朝なのに目を爛々と輝かせております。ワクワクという擬音が聞こえてきそうです。


「あ、来たっ」


 姉が小声で言い、俺は鬱蔵の方へ注意を向けました。

 ずっと俯いていた鬱蔵が顔を上げ、突然人が変わったように翼をバサバサとさせたのです。


「ピャー! ピャホホーイ!」


 この無駄なやかましさ、いつもの鬱蔵です。一体何に興奮しているのでしょう。


「なぁ、姉よ。これはどういうことなんだ?」


「あれだ、窓の外を見ろ」


 姉の言うとおり、窓の外へ目を凝らす俺。

 窓の先には我が家の庭。そして戸部家の塀があります。

 特に変わった様子はありませんが、しいて言えば塀の上に一羽のスズメが止まっていることでしょうか。

 他は特におかしなところはないようですが。

 ……あ。


「まさか、あのスズメか?」


「その通り。昨日一昨日と鬱蔵を観察して分かったのだ。鬱蔵はあのスズメが来るときだけ元気を取り戻す。つまり、鬱蔵はあのスズメに恋をしているのだよ」


 あのスズメに……。

 確かに可愛いと言えば可愛いスズメですが、何でしょう、この気持ちは。そもそもどこから来たスズメなんでしょう。恋をするのは構いませんが、交際をするというならちゃんとスズメの身の上をハッキリとさせるべきです。

 待てよ。付き合ったら付き合ったで、鬱蔵はあのスズメに騙されて捨てられるかもしれません。

 あのスズメ、外見はいいけど、何だか中身は性悪そう。自分を可愛いと勘違いしていそうだし。それで数々の男を手玉に取ってきたに違いありません。

 クソッ、あの女、鬱蔵をたぶらかしやがって。どこの馬の骨ともわからんスズメに鬱蔵はやらんぞ……。


「俺は認めん……俺は絶対認めんぞ……」


「何をぶつぶつと呟いているんだ弟よ。あれを見ろ」


 姉が鬱蔵を指しました。

 鬱蔵がエリマキトカゲのように翼を広げ、左右にブラブラ揺れながら「ウッツー、ウッツー、ウッツービョー」と歌を唄っています。


「あれが鬱蔵の求愛ダンスだ」


「そうなのか!?」


「名付けて鬱病・ダンシング・ザ・ホール」


「名付けるな! そして無駄に豪華な名前だな!」


「弟よ、ちょっと静かにしてくれ。鬱蔵のダンスのリズムが崩れる」


「あ、あぁすまん」


 やきもきし過ぎてつい大きい声を出してしまいました。俺たちは再び鬱蔵の監視を続けました。


「俺ハウッツー、オ前モウッツー、ウッツー、ウッツー、現代日本ハミンナウッツー」


 鬱病・ダンシング・ザ・ホールも佳境に入っているようです。

 すると、スズメはそっぽを向くように明後日の方を見て、やがてどこかへ飛び立っていきました。


「……あーあ」額に手を当てて言う姉。


 スズメが行ってしまったあと、鬱蔵は翼を広げたまま固まってしまいました。

 やがて翼をゆっくり降ろし「ピャー……」とため息を吐きます。

 俺たちは和室から出て、鬱蔵の鳥カゴの方へと歩み寄りました。


「今日もダメだったな、鬱蔵」


 姉がそう声を掛けます。鬱蔵は激しくダンスをしたためか、はぁはぁと息を荒げていました。


「鬱蔵、ダイエットしなきゃだめだぞ。そんなブクブク太ってるからモテないんだ。ダンスにもキレがなかったぞ」


「ダンスは関係あるのか姉よ」


 すると鬱蔵は顔を上げ、翼を上下させます。


「シテル!」


「ん、ダイエットをか?」と姉。


「シテル! シテル!」


 そうか、だからあんなにエサを食べようとしなかったのか。

 なるほどという風に俺と姉は納得します。


「まぁ」と、姉が腰に手を当てながら言います。「明日もまた頑張るんだぞ鬱蔵。続けていればきっといつか彼女も振り向いてくれるさ」


 俺は腕組みをしながら鬱蔵を覗き込みました。


「鬱蔵、彼女はちゃんとした娘なんだろうな。女はずる賢い生き物だからな、ちゃんと相手は見極めるんだぞ。ただ可愛いからって好きになるのは――」


 俺がそこまで言うと、鬱蔵は「フンッ」と顔を背けました。


「あーあ、弟が鬱蔵怒らせたー」姉が茶化すように言います。


 はぁ、と俺は息を吐き、会社に行く準備を始めました。


◆◆◆


 俺たちは次の日も早起きし、鬱蔵の監視をしました。鬱蔵はあのスズメがくると昨日のように求愛ダンスを踊りましたが、今回はスズメも見向きすらせずに飛び立ってしましました。


 そして今日、金曜日。

 今日も早朝から鬱蔵の様子を和室から眺めていました。


「お、来たぞ弟よ」


 俺は連日の早起きのため眠気眼でしたが、姉の言葉に飛びつくように窓の外を見ました。出ました、例のスズメです。

 鬱蔵はいつものように鬱病・ダンシング・ザ・ホールを踊り始めます。


「……む?」


 ふと、姉がスズメの方を注視します。

 スズメの傍に、もう一匹のスズメがやってきました。二匹のスズメは寄り添い、それから楽しそうにじゃれ合います。

 鬱蔵のダンスがピタリと止まりました。

 二匹のスズメはしばらくじゃれ合ったあと、一緒にどこかへと飛び立っていったのです。


「あのスズメ……彼氏がいたんだな」と姉が呟きました。


 スズメが行ったあとも、鬱蔵は一時停止したように固まっています。

 俺たちはそっと、鬱蔵へ近づきました。姉が頭を掻きながら声をかけます。


「あー……残念だったな、鬱蔵」


「鬱蔵、やっぱりあのスズメは男ったらしだ。鬱蔵はもっと素直で真面目な娘を探すべきだ。というか鬱蔵に恋愛はまだ早いんじゃないか?」


「お前は黙っててくれ弟よ。なぁ鬱蔵、ここは彼女のことなんかさっぱり忘れよう、な?」


 鬱蔵はしばらく俯いて黙っていましたが、突然、翼をバタバタとさせながら威嚇するように叫びました。


「ギャー! ギャー!」


 鳥カゴの中で暴れ回り、エサ箱をひっくり返し、羽根を辺りに散らせています。


「い、今は一人にしてほしいみたいだな、弟よ」


 姉は諦めるように言います。俺たちは静かに鳥カゴから離れ、それぞれの部屋に戻りました。


◆◆◆


 その日、俺が仕事から帰ると、やけにリビングの方が騒がしいことに気付きました。

 恐る恐るリビングに入る俺。


「あ、おにーさんお帰りー!」


「オカエリピョー! ピョー!」


 修学旅行から帰ってきたのか、桜ちゃんが遊びに来ていました。鬱蔵は鳥カゴから出て、朝の様子からは考えられないほど元気に桜ちゃんと遊んでいました。

 姉はソファに座り、お茶をすすりながら冷めた目でその様子を眺めています。

 俺はネクタイを緩めながら姉の隣に座りました。


「……弟よ、鬱蔵の顔見てみろ」


「……ありえないほどニヤケ面だな、姉よ」


「やっぱり本命は桜ちゃんだったな、弟よ」


「薄々気付いていたが……そのようだな」


 姉と俺は呆気にとられたように桜ちゃんと鬱蔵のじゃれ合いを静観していたのでした。

 ……鬱蔵の浮気性、どうにかしなければなりません。

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