35話 第五回・姉と弟の茶飲み話 〈挿絵付〉
日曜日の夕方、サザエさんをぼーっと眺めている瞬間は、どうしてこんなにも切なく感じてしまうのでしょう。日曜日が終わってしまう、この土日は大したことしなかったな、明日からはまた仕事、あぁ、憂鬱だ、などなど。
かくいう俺も、ひしひしと日曜夕方のやるせなさを感じております。
どうも弟です。
前回の茶飲み話ではお茶の原点に触れようとして姉に見事にぶち壊されましたが、今回は異国文化に触れるべく、紅茶を選びました。
スリランカのヌワラエリア地方原産、ヌワラエリアです。
お茶、といえば日本人なら真っ先に緑茶を想像することでしょう。
ところが世界各国で最も消費されているのは紅茶なのです。紅茶文化の本拠地であるイギリスの方々に「お茶といえば?」と尋ねればタージリンやウバなどを挙げることでしょう。
今日、俺たちが飲んでいるヌワラエリアも紅茶です。
ヌワラエリアはストレートで飲むのが主流で、これは甘い香りがするものの渋みがある割にすっきりとした飲み口で、日本のお茶に近い感覚で楽しめます。
異文化交流には価値観、認識の相違がつきものですが、それを超えてわかり合えたときの達成感はひとしおです。
さて、価値観や認識の相違といえば俺も身近に感じるところがあります。
今やさまざまな文化が氾濫する日本のことです。身近な人物に感覚の違いを感じてしまうのは、もはや諦観せざるをえないことなのでしょうか。
――午後六時十五分。
紅茶とお菓子を食べながら雑談していると、ふと姉がテレビを眺めつつ言いました。
「国際球蹴りパーティーが始まっているな弟よ」
「貴族のお遊戯会みたいに聞こえるぞ姉よ」
「開催地の南アフリカは相当治安が悪いらしいよな。バスに乗ったら自分以外全員強盗だったとか、タクシーの運ちゃんが金ちょろまかしたりとか、警察官の拳銃が盗まれたりとか」
「選手もサポーターも襲われないか心配だな。そういえば姉も警備員だったよな。警備の応援にでも行ってきたらどうだ」
「自宅な、私は自宅限定だからな。あんな世紀末じみたところに行くのは勘弁だぞ」
「警備範囲が狭すぎるな。そもそも姉は強盗が家に入ってきたら退治できるのか?」
「はっはっは、自信を持って言おう。間違いなく出来ん!」
「それだけは自信を持たないでくれ頼むから」
「強盗なんか来たら、鍋を頭にかぶり腹にジャンプを仕込みつつ部屋の隅でガタガタ震えて携帯で110番か、もしくは黄色い声で『キャードロボー』だな」
「お前はもう自宅警備員を名乗るな」
「でもあれだな。ケンイチとか刃牙とかのリアル志向系統の格闘漫画読むと『自分もこの技できるんじゃないか?』とか『あれ、俺もしかして喧嘩で勝てるんじゃね?』とか思えてくるから不思議だよな」
「そもそもこの日本で大っぴらに喧嘩しようものなら、すぐに警察がとんでくるからな」
「そう考えると日本は平和だ。私は日本に生まれてよかったと常々思う。こんな国じゃないと自宅警備員なんてやっていけないからなぁ」
「そうだな、しかも自宅警備員は無賃労働だしな。姉は給料無しよくやってくれている。いつもありがとうな姉よ。今日も我が家が平和なのは姉のお陰だ」
深々と頭を下げる俺。姉はカップをおろし軽く頭を抱えました。
「……ここまで心が痛む褒められ方も中々無いな」
――午後七時二十一分。
「弟よ、TSUTAYAのオンラインレンタルを知ってるか」
「あぁ、店頭に行かなくてもネットで注文してDVDやCDを宅配レンタルできるやつな」
「そうそう。あれってさ、日本の引きこもり文化発展に素晴らしく貢献しているよな」
「引きこもり文化ってお前……。ということは、まさか姉もTSUTAYAの宅配レンタルを?」
「あぁ、私も重宝させてもらっているぞ。入会金、送料、延滞料は全て無料。在庫、品揃えも最大級。もちろんTポイントカードも使えるぞ。定額プランも選べてさらにおトクだ。今なら無料お試しキャンペーンでDVD・CDともに8枚までレンタル無料! さぁ、みんなTSUTAYA onlineで検索!」
「姉よ、言っとくけど広告料は貰えないからな」
「ちっ」
――午後七時五十八分。
「弟よ、最近はどんなマイナーな作品でも同人誌が出るよな」
「いつも思うのだが、姉は俺の守備範囲外の話題を平然と投げてくるよな。俺との話題に出されても困るだけなのだが」
「頼む、察してくれ……私にはお前以外にリアルで会話できる相手がいないんだ……ううっ」
「あ、あぁ。何か痛いところを突いたようで申し訳なかったな」
「うん、でさ、例えばだよ」
「切り替えが早さだけはイチローのレーザービーム並だな姉よ」
「例えば『ヒッキー姉 -あぁ素晴らしき引きこもりライフ-』というタイトルの作品があるとするだろ?」
「……もうどう反応していいのか分からん」
「で、もしそれがエロ同人誌化したらタイトルは――」
激しく嫌な予感がして、俺はとっさに姉の口を塞ぎ、静かに首を振りました。
「姉よ、言うならせめて伏せ字を使おう」
「嫌だ。私は伏せ字をいっさい使わないと前々から」
「頼むから!」
「……もしエロ同人誌化したら、タイトルは『○○○○姉 -あぁ素晴らしき○○○○ライフ-』になるのかな。……って、何か毒気が抜けたな」
「危なかった……」
「あ、でも伏せてる分、妄想が膨らんで逆にエロい感じが」
「いやもういいよ!」
――午後九時十三分。
「聞いてくれ姉よ、今日も通勤ラッシュが酷くてな。朝も夕方も電車内の混雑で大変だったんだが、女性専用車両だけはガラガラだったんだ」
「あぁ、女性専用車両は普通の男性は入れないからな。サラリーマンや男子学生が居ないだけでかなり空くだろう。ここ数年電車乗ってないから私はよく分からんが」
「しかしあれだな。別に俺は女性専用車は必要だと思うが、昨今は男性差別だの女尊男卑だのと叫ばれているらしい。かといって、無くしたら無くしたで痴漢の被害に嘆く女性もいるだろうし。難しい問題だよ」
「それなら男性専用車両を作れば平等じゃないか?」
「そういう意見もあるな。だがそれはそれで一層性別差別の意識が強まりそうだからな」
「じゃあヒキニート専用車両を作ればいいじゃないか」
「うんうん……っておい。どうしてお前ら専用の車両を作る必要が……って何だヒキニート専用車両って。いやいや、つーかなんで男性女性の問題からヒキニートの問題に飛んで来たんだよ! もはや性別云々の論点からずれてるし!」
「いつも丁寧な突っ込みをありがとう。つまりだ、痴漢や混雑が嫌だってことは、イコール他人と関わるのが嫌だってことなんだろ。そういう事を叫ぶやつらはヒキニートと同類だと思わないか弟よ?」
「その前に姉は自分の意見が的外れ過ぎている点に気付くべきだと思う」
「そうだ、ヒキニート専用車両には個別に部屋が設置されていて、先着で乗車できるようにするんだ。部屋にはお菓子やジュースなど飲食物も持ち込み可。テレビ、トイレ、DVDレコーダー、ネット環境まで完備されていて、本棚には漫画や同人誌が大量に用意されているんだ。誰からも干渉を受けず、誰からも非難されない最高の環境。なんだそれ! 私もその電車乗りたい!」
「それで姉が外に出てくれるなら俺は泣く泣く賛成するよ……」
――午後十時十分。
「弟よ、地下鉄サリン事件はもう15年も前の事件なんだぞ」
「時間の流れは恐ろしいな姉よ」
「弟よ、ホワイトビスケッツの結成は15年前で、ブラックビスケッツの結成は13年前なんだぞ」
「時間の流れは恐ろしいな姉よ」
「弟よ、ノストラダムスの大予言からもう11年経っているんだぞ」
「時間の流れは恐ろしいな姉よ」
「弟よ、ドラえもんの声優が総入れ替えされたのはもう5年も前のことなんだぞ」
「時間の流れは恐ろしいな姉よ」
「弟よ、私がニートになったのはもう2年と半年も前のことなんだぞ」
「時間の流れは恐ろ……え?」
――午後十時三十分。
ヌワラエリアの紅茶を飲みながら、ふと気付く俺。姉がいつの間にか抱き枕を抱えていて、買ったばかりのエロゲーの箱を眺めていました。
「姉よ、何だか初めて見かけるオタクグッズだな。まさかまたネットで買ったのか」
「あぁ、これか?」と抱き枕とエロゲーを指す姉。
「そうそれ。聞くのが恐いが、お前それ一体いくらしたんだ?」
「えっとな、このエロゲーが12680円、この初音ミクの抱き枕は本体とカバーを合わせて13800円だな」
「しめて……26480円か。いつも思うが、オタクグッズってすべからく高額だよな。姉も足元見られてると思わないか」
「それはあるな。金は弟の預金通帳から下ろして買ったから大丈夫なのだが。しかしそうだな、制作者の苦労を考えればこれくらいの額を出すのは当然と言える。それだけの価値もあるしな」
価値、か。
エロゲーや抱き枕の価値など俺には分かりません。
共に過ごしてきた俺と姉との間にも、やはり価値観や認識の違いに隔たりがあります。
でもそれは受け入れるべきなのかもしれません。
みんながみんな同じ感覚を共有していたとしたら、それはとんでもなくつまらない世界になっていたことでしょう。
外国人でも身近な人でも、考え方の違いを認め合いながら共存していく。つまり相手のことを理解してあげることが共存への第一歩なのです。
姉の考えもたまには聞いてあげようかな、なんて俺は思うのでした。
紅茶を啜り、また一息。
しかし、姉も今回は高い買い物をしたな。
姉の少ない小遣いでよく買えたものだ……って、そうか、俺の預金通帳から下ろして買ったんだったな。なら大丈夫だ。
そうそう、俺の預金通帳から。
俺の、預金通帳から。
「ってうおい!?」
「どの娘から攻略していこうかなー。なぁどう思う弟よ」
「どうでもいいから表出ろやこのやろぉぉぉ!!」
前言撤回します。姉と考えを共有するなんて無理です。
イラスト:ふにょこ氏