30話 第四回・姉と弟の茶飲み話
お茶を濁す、という言葉をご存じかと思います。
その場しのぎのために物事を誤魔化すことで、お茶の作法を知らない者がいい加減に場を取り繕ったことが語源と言われています。
どうも弟です。
なんでもない平日の午後。
リフレッシュ休暇の恩恵を授かった俺は、ここぞとばかりに家の大掃除をしてやろうと息を荒げ、掃除道具一式を抱え込んで家中をかけずり回っていたのでした。まずリビングの整理から始まり、廊下で掃除機を回しながら闊歩。それから仏間の埃を徹底的にはたいて回っていると、あるものが目につきました。
あれ、こんな襖あったっけ。
それが無性に気にかかり、襖を恐る恐る開けてみると……。
「ほう、懐かしいな」
「うおっ!?」
びっくりしました。姉がいつの間にやら俺の後ろに居て、襖の奥を感慨深そうに眺めていたのです。姉が余りに懐かしげな表情をするもので、俺もそれ以上何も言わず、黙って襖の奥を見やりました。
襖の奥の部屋。四畳半いっぱいに埃にまみれ、掛けられた掛け軸には『我、生涯引き籠もり也』という文字。袋に包まれて雑多に投げ出された茶道具、そして茶釜。
やれやれ、すっかり忘れていました。
我が家には茶室があり、姉と俺が昔、茶道を嗜んでいたことを。
「久しぶりに点ててみるか、弟よ」
重力にこれでもかと逆らった長髪を揺らし、姉は茶室へ入っていったのでした。
――午後一時。
「弟よ、腐女子という生き物は本物のホモプレイというものを理解しているのだろうか」
姉の点てた抹茶を喉に流し込み、俺は静かに茶碗を置きました。
「姉よ、この場にふさわしくない発言がいきなり飛び出してきたな。この場合、弟はなんと言葉を返すべきだろうか」
「まずは足を崩せ弟よ。今日から私流の流派を立ち上げるのだ。楽な姿勢で、むしろ寝転がって漫画を読みながらでもいい。鼻くそほじってもいいし屁もこいていい。オタ話、エロ話、愚痴、自慢話、世間話、姉弟喧嘩、その他なんでもありの革新的な流派なのだ」
「茶道界のバーリトゥードだな。斬新過ぎて弟はついていけん。今日限りで流派の看板降ろしたらどうだ姉よ」
「で、腐女子とホモプレイについてだが」
「スルーするな!」
「弟よ、別に誰が見てるというわけでもないんだ。見ているとしても天国の父母、手出しどころか口出しすらできん。さぁ話題を続けよう」
「あ、あぁ……何か納得できないが……まぁいいか」
「うむ。腐女子というものはホモといえばすぐ美少年だったり美青年だったりを想像するが、実際どうだろう。現実のホモは筋肉まみれのガチムチくらいじゃないか?」
「くらいじゃないか? と言われてもな。俺に聞かれても困る」
「おもっきし腐女子が歓喜しそうな見た目してるくせに何を言うんだ弟よ」
「どういう意味だそれは」
「そういう意味だ。せいぜい外出てバック狙われないようにな」
「……何か知らんが身の危険を感じた」
「まぁ24話でも語っている通り、私はホモへの理解もある。つーかぶっちゃけ大好物。腐女子の気持ちも分かる。でもな、私の中でのホモの意味は広義でな。美少年たちの交わりもそうだが、ガチムチたちのレスリングまがいなプレイも大好物なのだ」
「……いやもう何が言いたいのか姉は」
「つまりな、腐女子にもこの意味を理解してほしいってことだ。ガチムチ系の同人誌がもっと見たい!」
「俺にはもうかける言葉はないよ……」
――午後一時三十三分。
「弟よ、2chをやり過ぎたためか、最近テレビなどで人や番組を見るときにはまず疑ってから入るようになってしまった。『どーせこれやらせなんだろうなー』とか『どーせこいつ化粧落としたらぶっさいくなんだろうなー』とかな。2chの恐ろしさに最近やっと気付いたよ」
「もっと早く気付けばこんなことには……」
――午後二時四十二分。
「草食系男子という言葉があるな、弟よ」
「あるな、姉よ」
「どの程度からが草食系なのだろうな」
「言ってる意味が分からんが」
「つまり草食系男子ってさ、恋愛に対して欲がなくて積極的ではない情けない現代日本の男子を揶揄した言葉なわけだろ?」
「情けないとは。情けないとは随分だな。それが今の女性には受けてるんだろ」
「まぁそれはそれ、これはこれ。でさ、異性に消極的で興味がないって、生物としてどうなんだ、って話だ。性に興味がなかったらあと何に興味があるってんだ。仕事か? 趣味か? どちらにしても性という動力源がなければまともに活動できんだろ」
「全くうちの姉の思考は偏りが激しくて困るな。姉は性こそが生き物の全てだとでも言うのか」
「私もそこまでは言わんがな。でも性欲は三大欲求の一つなんだ。これに消極的って重傷だと思う。そこで私も草食系に対抗して結構重傷くさい○○系を考えてみた」
「姉の思考の至り方が突飛過ぎる……」
「名付けて草食系女子(社会的な意味で)」
「……」
「社会的な意味で草食、つまり社会に溶け込むことに消極的な女子のことだ。社会に溶け込めないから自宅にこもり、就職活動にも際限なく消極的だ。まぁ、つまり私のことなんだがな」
「括弧の内容で全て読めてしまった俺はもう末期なのか……」
――午後三時十二分。
「考えないこともない、って言葉は一瞬どっちだよって思わないか、姉よ」
「あー分かるなそれは……はっ」
「ん、どうした姉よ。何だその悪知恵浮かんだ小学生男子みたいな顔は」
「なぁ、弟よ。私にそろそろ働いてほしいと思ってないか?」
「なんだ、ついに働く気になったか。よしちょっとまってろ。今リビングからリクルートマガジンを……」
「いや待て弟よ。就職についてはこれから善処しておこうと思うだけだ」
「……なんだ。まぁでもその気になってくれて弟は嬉しいよ」
「まぁ私も働く気が全くないといえば嘘になる気がしないでもないからな」
「……ん? あぁそうだ。姉はPCが得意だろ。IT関連の仕事とかどうだ?」
「あー、いいとは言わんが、まぁ悪くはないとだけ言っておくか」
「まぁでも姉には接客業よりデスクワークだよな?」
「うむ。そうかもしれない。そうでないかもしれない。どっちか分かんない。ぶっちゃけやる気がないこともナッシング」
「……姉よ」
「……まぁそう般若みたいな顔をするな弟よ。分かりにくい言い回しで就職の話を誤魔化せないかと実験してみたんだ」
「……もう駄目だこの姉」
俺は諦めて姉の作った抹茶を飲みました。
姉の抹茶は、長いこと作っていなかったためか点て方が甘く、酷く濁っているような気がしました。
お茶を濁す。話を逸らすためにお茶の濁りの話題を始めたという話も、語源の一つだったなぁなんて今更思い出す俺でした。
「というか、やけに色がおかしいというか……何か味までおかしいような気がするぞこの抹茶。つーか何か固形物らしきものまで浮いてきてるし」
「あぁ、鬱蔵の粉末栄養食とムキ餌混ぜてみたぞ。鬱蔵があまりに美味そうに食うからどんなもんだろうと思ってな。よい子は真似すんなよ☆」
「おい姉、ちょっと表に出ようか」
こうして、近年類を見ない史上最低のお手前で幕を閉じたのでした。