7.想定外の出来事
「どうだ?魔法の特訓は」
「まあまあよ。はい、アーン。」
陽織がこの世界にきて、数日が経った。
例え落ち着かない状況であっても、時間だけはあっという間に過ぎていく。そういうところは元の世界と一緒だ。
例え外国に住んでいても、色々なところに行ったり勉強したりしないと外国語が話せるようにはならないように、ただ魔法の国にいても、魔法を使えるようになるわけではない。
それなりに頑張り、人よりも努力しなければ、結果はついてこない。
そう、誰もが口にするそういう当たり前のことこそが、近道かつ、確実な道なのだ。
当然、魔法の修行は一筋縄ではいかないけれど、先生に教えてもらいながら何とかやっている、という感じかな。
ってわけ。
聞こえた?
「…ああ。其方、調停者である我の力を無駄遣いしていないか?」
「違うわ、有効活用よ。
ハイ!アーーン!!!」
「やめろやめろ鬱陶しい!!!」
無理矢理 陽織の腕の中に拘束されたグレイスニアの口に、フォークで刺した果物のかけらを突っ込む。
しぶしぶと咀嚼する様子を見て、陽織もかけらを一口摘んだ。
「うん、おいしいですね」
「我を毒味役に使うとは、大した神経をしておるわ」
「グレイスニアが、『自分には毒は効かないよ。ちょっと変な味がする程度さ。だからぜひ毒味役に使ってくれ!』って言ったのに?」
「そこまでは言っていない。ただ、異世界に来て右も左もろくにわからぬ哀れな小娘に同情し、毒味役くらいはやってもいいぞと」
「ほら、言ってるじゃない」
「まったく口の達者な小娘よ」
「だって、そういう可能性が完全に無いとは言い切れないじゃない。巫女候補となれば尚更でしょう?力を貸してよ、グレイスニア」
グレイスニアが尻尾をゆらりと揺らし、首を振る。
「仕方のない。今のうちだけだ。
まあ、それなりに魔法を使える者は、毒物を見抜いたり無効化したりすることができる。其方も鍛錬を積めば、そのうちできるようになるだろうよ」
「え、本当に?嬉しいね」
なるほど。それは魔法ならではの利点かも知れない。
この世界で生きていくためにも、やはり魔法を極める必要がありそうだ。
陽織はそう思いながら、果物をもう一つ摘んだ。
✳︎
「メウちゃん!もう少しよ!」
「はっ、はいっ…」
太陽の照りつける昼下がり。
数メートル先を走るアミュラが、振り返って陽織に声をかける。
「まずは体力をつけること。そして心座を組み、心を見つめること。基礎の基礎です。そして規則正しい生活を送る。これが欠かせません」
アミュラにそう言われてから、とにかく修行に励む毎日が続いていた。
「くっ……追いつけない…」
元々陽織は、体力はそれなりにある方だ。だが、アミュラの体力はそれを遥かに上回っている。
「せ、先生……は、何でそんなに速いんですか?」
休憩中。冷たい水を飲み、陽織は尋ねた。
「ひとえに精進することですよ。私だって、最初からこんなに走れたわけじゃないの。それでいうと、メウちゃんはだいぶ速いし、体力もある方だわ」
「そう…ですか」
「ええ。じゃ、汗も引いたし……庭園で、心座に入りましょうか」
心座。
あぐらをかいて座り、息を静かに吸って、吐き、そして心を整える修行だ。
地球でいう"座禅"によく似ている。
陽織が芝の上に座り、アミュラが隣でコツを教えていく。目の前には、一冊の分厚い本。
「魔力の源であるロウは、空気中に漂っているもの。"そのロウを吸って、自分の中に力が流れ込んできている"ところを想像してちょうだい」
「…はい」
「そうよ。目を閉じて。ゆっくり息を吐いて」
アミュラの言葉を聞きながら、少しずつ自分の心を鎮めていく。
「心座に大切なのは、己をよく見つめること。己を知り、己を理解する。そうして自分の心が整理されて、そしてなだらかになっていけば、自然とロウの息吹を感じられるはずよ」
陽織は考える。
自らのことを。
「大丈夫。この世界にいるものは、それなりにすぐ魔法が使えるようになるの。メウちゃんも例外ではないはず。
ロウがきっと助けてくれるから、安心して、手に力を込めてみて。手が、硬い硬い、岩石になっているような想像で」
静かな水面に一滴の雫が落ち、円状の筋が立って、そして再び静まり返る。
脳内を巡るのは、向こうの世界のことばかりだ。
故郷の世界のこと。
学校のこと。友達のこと。
家のこと。
すっ、と本の上に右手を出して置く。
「あなたの思う通りにしてみて。メウちゃん」
"あなたの思う通りにしてみて"
その言葉を聞いた時だった。
「……!」
陽織の中で、心臓が一つ、強い音を立てた。
古い記憶。
いや、違う。
連綿と続く、記憶だ。
"あなたの好きにしていいのよ。陽織"
「さあ。手に力を込めてみて…、!」
「!」
「メウちゃんっ!!」
一瞬。
まさに、一瞬だった。
突然本が大きくひしゃげたのと同時に、炎が大きく燃え上がりーー
本を燃やし尽くしてしまったのだった。
「わっ?!」
「下がって!」
燃え上がる火は、芝生の上でどんどん大きくなっていく。
アミュラが陽織を後ろにやり、右手を前に出した。
「水楔の加護!!」
手からほとばしる水の針が大きな楔になり、炎の勢いを鎮めていく。
その様子を、陽織はぼんやりと見つめていることしかできなかった。