5.どうあがいても必須らしい
キラキラと太陽が輝く青空の下。
陽織が連れ出された先は、立派な庭園だった。
赤や黄色、紫など、様々な色の花にかこまれた屋外用のテーブルと二脚の椅子。そのイスに腰掛けているシュヴァルツが、にこやかに微笑みかけてくる。
使用人が引いてくれた向かいのイスに、陽織も腰掛けた。
「おはようございます。昨晩はよく眠れましたか」
「おはようございます。お陰様で」
「それは何より。そのお召し物も、よく似合っていますよ。巫女殿」
「あー、ありがとうございます。あ、いや、私その、メウム…ってやつじゃ、まだないと思うんですけど…」
「いえ。正式に選ばれるまでは、巫女と同じおもてなしをさせていただきます。それが皇帝陛下のご意志ですから」
「そうですか…」
優しく微笑むシュヴァルツに、陽織は少しばかり怯みながらも笑い返した。
しかし、はっとして内心で首を振る。
(あー、違うな。こんなんじゃだめ)
す、と礼をし、今度はシュヴァルツに満面の笑顔をしてみせる。
「服をありがとうございました。使用人の方々から、シュヴァルツさんが用立ててくださったと、そう聞きました」
「失礼ですが、その服をお選びになった理由は?」
「え?あ、他のは何だかフリフリで動きにくそうだったので…」
「なるほど。実用性を以って選んだわけですね」
嬉しそうに笑うシュヴァルツを見て、内心で陽織は小首を傾げる。今の会話のどこかに、何か嬉しいポイントがあったのだろうか。
「……えっと?今日は確か、この建物の中を案内していただける、とか?」
「ええ。貴女はこの国についてよく知りたいと思っていらっしゃるようですし、早速参りましょうか」
「お願いします」
別に興味が湧いているというわけではないのだが、そうは言っても、今は情報が大切だ。
この身体の安全確保を第一に考えるのならば、今いる場所についてよく知っておくことは必須事項である。
負けるな私!と心の中で改めて自らを鼓舞し、シュヴァルツと共に屋敷へと歩き出した。
なお、シュヴァルツが手を引いてエスコートしようとしてきたことについては、丁重にお断わりした陽織であった。
✳︎
玄関、大広間、書庫、厨房、その他もろもろ。
案内されるままに、屋敷の中を探索した陽織は、しかしその豪華絢爛な内装とは反対に、内心で肩を落としていた。
(……はぁ)
残念なことに、ドッキリの仕掛け的な物を見つけることはできなかったからである。
ここまで見事な出来を見せられたら、流石にドッキリ説や夢の中説は諦めざるを得ないだろう。
見たところこの屋敷の中には、耳の尖ったエルフや、自分と同じ人間が大勢働いていた。それらのすべては本物の、生きている者達だった。
さらには、地球ではおよそ見たこともないような不思議な植物や、謎の動物を飼育している部屋まであった。
そして屋敷の中をぐるっと一通り歩いてみて、陽織は一つ気がついたことがあった。
例えるのは難しいが、あえて言語化するならば、それは「違和感」だった。
この建物には、いやこの屋敷全体には、何か不思議な違和感を感じるのである。
建物の内装や外装自体は中世の欧米風といったところだが、百パーセントがその様式に倣っているということではなく、どこか異国の文化も入り混じっているように見えるのだった。
陽織は世界史に精通しているわけではなかったが、何か元の世界で見ていたものとは異なる、妙な「ちぐはぐ感」を覚えていた。
この世界のことをもう少し色々と知れば、その違和感の正体ももっと見えてくるかも知れない。
「では、元の場所に戻りましょうか」
「はい」
(……ああ。信じたくなかったけれど、どうやらほんとうにヘンテコな世界に飛ばされてしまったらしいなぁ)
「いかがでしたか?」
再び庭園へと戻ってきたところで、シュヴァルツが尋ねた。
「…きれいなところですね」
それは本当の気持ちだった。
屋敷の窓から臨む山脈と湖は、光を受けて煌々と輝いていて目に優しい。
ここは美しい場所には違いない。ただ、自分の知っている現実世界とはかけ離れていて、居心地が悪いのも事実だった。
「お気に召したのであれば何よりです」
にこりと微笑むシュヴァルツに、陽織もにこりと微笑み返してみせる。
シュヴァルツは常に笑顔を絶やさない。映画に登場する軍人像とは少し違うようにも感じた。あれらはあくまで偶像で、本物はこういうものなのだろうか。
「どこか気に入った場所はありましたか?」
「そうですね……。書庫はまたゆっくり覗いてみたいです」
「本がお好きですか。巫女殿」
「それなりに、嗜む程度ではありますが…」
子どもの頃から、活字を読むのは結構好きだった。
いや、好きになったといったほうが正しいだろう。
親がこれまでに、勉学のためにと数多くの本を買い与えてきたためだった。
陽織はそれらの本を、親の言いつけを守って読了してきた。
まるで、ノルマをこなすかのように。
この世界の本にさして興味が湧いているというわけではないが、生きていくための情報源にはなりうるだろう。
「本は素晴らしい知識を与えてくれますからね。この屋敷の書庫にも、貴女のお気に召す書物があるといいのですが」
「この世界について何か教えてくれる本はありますか。例えばその……古代神譜とか」
「おや。古代神譜をご存知なのですか?もしやアスリアにも伝わっているのでしょうか」
シュヴァルツが目を丸くして言ったが、陽織は首を振って否定した。
「いいえ。こちらの世界にきて、グレイスニアに聞いたんです。シレイアの創世を語る神話があると」
「生憎と、古代神譜は口伝でのみ継承されてきた神話です。書物にはなっていません」
「そうでしたか」
「代わりといってはなんですが、何か気になることがございましたからご質問ください。お答え致しましょう」
まただ、と陽織は心の中で呟く。
陽織が彼を見るとき、シュヴァルツはいつもにこにこと愛想を崩さない。
民に安心感を与えるためにも、軍人たる者には強さだけではなく穏やかで柔和な仕草も必須なのかも知れない。
「まずは…そうですね。私はこの後どうすることになるんでしょうか。昨日の説明よりも具体的に教えてもらえたらと思うのですが」
「皇帝陛下のご意志に基づき、まずは魔法について学んでいただきましょう。その後は機を見て帝都に移っていただきます。その後、選定が行われ、巫女候補から巫女確定者が1名選出されます。選ばれた者には、祈祷の儀の後、守護者になっていただきます。」
「選ばれなかったら……?」
「選ばれなかった巫女候補者は、巫女の補佐役や官吏として登用するのが習わしです」
「つまりはいずれにしてもこの国に仕えることになると」
「左様です」
(…なるほど)
高校の社会の授業を思い出す。
日本では、政治的なことと宗教的なことは切り離すという政教分離の理念があったはずだが、この世界では違うらしい。
そもそも魔法や祈祷の儀という重大要素に国が深く関わっているわけだから、それらは切っても切り離せない関係にあるのだろう。
「じゃあ次の質問なんですが、元の世界に帰る方法はどうしても無いんですか?」
「ーーそうですね。あるには、ありますが」
「えっ」
(あら?聞いたのと違うじゃないの)
「あるんですか?!」
「正しく言うならば、"行き交う方法はある"ということですね。特殊な魔法を使える者であれば、シレイアとアスリアを繋ぐ通路を作り出すことが可能なのです」
「おおお…」
「しかし」
と、シュヴァルツ。
(あ、嫌な予感。)
「先ほど申し上げたように、一度巫女候補となった者には、この国で生を全うし、この国のために尽くしてもらうという習わしがあります。それは国法によって定められているのです。それゆえ…」
「…それゆえ?」
「貴女をお返しすることはできません」
「絶対?」
「絶対です」
(えええええ?)
陽織は叫びたい気持ちになった。
ーーそんなの、たまったもんじゃない!
嫌よ、私は元の世界に帰るのよ。絶対。
こんな魔法とか意味のわからない世界、飛ばされて嬉しい人もいるのかも知れないけれど、私は嫌。怖い。
何よりも、高校を卒業して、あんなに苦しかった大学受験だって乗り越えて……。
これから新しく住む家とか、家具とか、大学生活とか、とにかく色々と楽しみにしていたことがあったのにーーー。
半ば呆然とする陽織を、シュヴァルツの瞳がじっと見つめる。
青く澄んだ二つの目は、グレイスニアの焔とは対照的な色合いを放っている。
シュヴァルツは相変わらず微笑んでいるが、その双眼は依然として静けさを保ったまま、陽織を見据えたままだ。
ーー"陽織はここの大学がいいんじゃない?"
(!)
ふと。
青い瞳に見つめられているうちになぜか脳裏をよぎったのは、母親の顔だった。
記憶の中の母は、陽織に静かに語りかけている。
ーー"あなたは私の言ったことを今まで何でもこなせてこれたし、もっと色んなことをやってみたらいいと思うの。この大学はOB会のつながりも強いらしいし、将来のためにもきっともっと色々なお友達ができるわ。在学中、あなたがこれからやりたいことを見つけるのもいいわね"
あれは高校2年生のとき、進路について母親に相談したときのことだっただろうか。
"陽織はさー、高校に入ってやりたいことないの?"
"うーん。どうかな"
"ねえねえ〜ヒオ!バスケ部入るって約束覚えてる?あたしと一緒にさあ"
"あーそうだったね!いいよ"
"はあ〜陽織ぃ。あんたってほんとイエスマンよね。
自分のやりたいことないの?"
これは、中学生のときの記憶。
"ひおりちゃんってすごいねえ!お絵かきもうまいし、足も速いね!"
"ありがとう"
"ひおりちゃんの好きな色はなに?"
"うーん、なんだろう…ないなあ"
"ねえ!この漫画面白いんだよー!読んでみない?"
"うん、ありがとう"
これは、小学生のときのーー。
(……)
いつの記憶でも、陽織は最後に笑ってごまかしていた。
親の言いつけは守った。
友達の好きなものにも合わせた。
それでも。
それでも陽織にとって本当にやりたいことは、今まで、何も見つからなかった。
やってみたことがそれなりのレベルまでできるようになっても、達成感の類いを感じたことは無かった。
その度に自分が、欠落した人間であるように感じて苦しくなった。
元の世界でそれなりに器用に過ごしてきたとは思う。
勧められるがままに、色々なことをやってきた。
これからも、そうなのだろうか。
(……いや、違う)
だからこそこれから飛び込む新しい世界で、何か見つけられると思っていた。
(だからこそ、私は元の世界に戻りたい。元の世界に戻って、自分に合うことを……。いや、きっと戻らなきゃいけないんだ)
きっと、それが正解なのだから。
「貴女としては、さぞかし元の世界が恋しいことでしょう。……申し訳ない」
陽織の呆然とした表情を見かねたのだろうか。シュヴァルツが口を開いた。
はっと我に返った陽織は、慌てて手を振る。
「いや、あの……帰りたいのは事実ですけど。いや、恋しくないって言ったら嘘になりますが…いや、あの、なんていうか……」
(あれ……なんで私、こんなに焦ってるんだろう)
陽織はなぜかちぐはぐな説明をしている自分にうろたえていた。
(とりあえずの正解は……この場をやり過ごして、そして地球に帰ること…だよね)
シュヴァルツの優しい瞳がじっと彼女を見つめる。
「ーーなるほど。どうやら貴女にも何か色々と複雑なご事情があると推察いたします」
「そ、そう…ですね。でもそれはいいです、へへ」
再び曖昧に笑う陽織。
しかしシュヴァルツの柔和で穏やかな顔を見ているうちに、陽織の心は妙に落ち着いていった。
やはり、シュヴァルツの瞳はどうにも不思議だ。時に静かな海面のようでもありながら、穏和な流れの川面を思わせるものでもある。
「他に何かお聞きしたいことはありますか」
そんなシュヴァルツの表情を見ているうちに、ふと、ある考えが浮かんだ。
「あの。さっき、国法で決められてるって言いましたっけ」
「はい」
「その法律を変えることは?」
シュヴァルツが少し考える様子を見せたかと思うと、口を開いた。
「そうですね。…国の高位権力者になれば、不可能ではないかと」
「高位権力者っていうのは?」
「例えば宰相。それから帝国軍元帥や…あるいはそれに近しい者達です」
「もしかして…」
「そう。守護者もその一つです」
(やっぱり…やっぱりか!)
この国のルールは、今の陽織にとってはあまりに手強い。
でも、決して届かない手ではないかも知れない。
もしも巫女して選ばれ、そして守護者となれば、あるいはーー。
「守護者になれば、確かに不可能ではありませんが……しかし。それにはまず、巫女として選ばれなければいけませんよ」
「…いえ、その」
「はは。これは何とも。貴女の考えてることが手に取るようにわかりますよ」
(…しまった)
流石にまずいだろう、これは。帝国のために法律を自分のために変えて利用しようとする奴など、軍人とすれば願い下げに決まっている。
しかし、苦笑いをした陽織をよそに、シュヴァルツは涼しい顔をしていた。
「いや、結構ですよ」
「ーーえ?」
「巫女や守護者にもなろうという方には、それくらいの豪胆さ、剛毅さも必要でしょうからね。いえ、理性的な胆力とでもいうべきでしょうか」
「…?」
シュヴァルツは、すっと、自らを指差した。
美しいその双眼の中には、目の前に座す陽織の姿がはっきりと写り込んでいる。
「遥か昔の帝王の話です。我らがエルフの先祖がこの国を統治していたある時代、この国は一度傾きかけました。王政を我が物にしようとした人物の策略によってね……。政略結婚によって王家に入り込んだ愛妾の一族が企てたクーデターでした。国は荒れて、負の気が蔓延していたのです。
その当時の巫女は大変な賢者ではありましたが、あくまでも一介の役職に過ぎず、守護者という地位は設けられてはいませんでした。ーー彼女はいち早く不穏な動きを察知し王に進言していたものの、巫女に政治的発言力は低く、クーデターを未然に防ぐことは叶わなかった。最終的には何とか収めることが、それもことが大変大きくなってからでした」
「そう……ですか」
陽織は何と答えたら良いかわからず、曖昧に濁した返事しかできなかった。
シュヴァルツは微笑みながら続けるが、しかしその目は笑っていない。
「その先はご想像にかたくないと思いますが、収めるといっても生ぬるい話では済みません。当然といえば当然ですが、その一族は全員断罪されました。そして政治の方も…内部抗争で荒れたのは一時的ではありましたが、浄化するのにもだいぶ手こずったといいます。
そういった過去の経緯もありましてね。現在、巫女として選ばれた者には、守護者という大変高い官職、そして権力が与えられることになっています。巫女に選ばれる者を厳選し、そしてあえて特別な権力を与えることで、国を正しき形へと導く手助けをしていただく。これは過去の教訓によるものです。
過去の過ちからしか、生き物は学べない」
シュヴァルツの顔には、国を背負う疲労感も、悲壮感も漂ってはいない。
ただ自身の歩む道を見据え、そして何が必要かを考えている。
その目は覚悟を決めた目だ。
「私はね、この国の巫女……守護者として選ぶのであれば、芯の強い女性がいいと思うのですよ。とはいえ、国を滅ぼしたり、権力欲に溺れたりするような方は御免被りたい」
「…なるほど」
「そこを行くと、貴女は理想的ですね。貴女の望みは、ただ自分の世界に帰ること。逆を言えば、それ以外の欲はないわけですからね。金銭欲だとか、名声欲だとか」
「そう…ですね。少なくとも今のところは」
「ならば利害は一致しますね」
「?」
「貴女と私…いえ、貴女とこの帝国。私は一軍人として、強き女性を守護者に据えたい。貴女は自分の世界に帰りたい。それでいいのではないですか」
「え?」
「ただし…無論、巫女になったからには祈祷の儀は執り行っていただきます。その後は…ご希望とあらば、元の世界に帰っていただいてもよろしいのではないでしょうか」
(……本当に?)
「え?いいんですか、そんなに安直に決めちゃって」
「いえ。…これはあくまでも、一軍人に過ぎない私の迷言だと思っていただきたい。私に決定権があるわけではないですしね。ただ、文字通り守護者には絶大な権力があります。その守護者が上手くやれば、法を変えることも可能かも知れない……そう言っているだけです。
第一、これから貴女がいかに魔法を極められるかによりますからね」
「極める?」
「巫女とは、この国の魔法の豊穣の象徴でもあるのです。それに祈祷の儀を執り行うには、魔法が使えなければならない。魔法を使えない巫女など、流石に選ばれることはない」
「つまり、今からとにかく魔法を勉強しないといけないってことですね?」
「はい」
(うーん。なるほど…)
でもシュヴァルツの言うことは最もだ。
現段階で自力で帰るのは無理なのだから、やはりシレイアの力を借りないわけにはいかない。
しかしこの国にはこの国のルールがある以上、陽織の言い分だけを押し通すのは不可能だろう。例え合意なく理不尽に連れてこられたとはいっても、きっとそこは変えられない。
陽織は一つ頷いた。
「わかりました。頑張ります」
「それは良かった」
ガタリと椅子から立ち上がり、シュヴァルツは拝礼をした。
「では早速、貴女を指南する魔導師を手配しておきます。貴女が成長なさることを、楽しみにしていますよ」
「…なぜそこまで私に?シュヴァルツさんの特任准将という役職に関係があるのですか?」
「察しがよろしいですね。私はよりよい巫女を皇帝陛下の元にお連れする、という勅命をいただいているのです。貴女が良き祈祷を行ってくだされば、皇帝陛下もきっと喜んでくださるでしょう。期待しておりますよ」
楽しそうに笑うシュヴァルツを見て、同時に陽織は一つのことを確信していた。
(この人……かなり強かだし、頭の回転がいいな)