4.コルセットやフリフリドレスはきつすぎる
陽織は、ぼんやりと、天蓋の豪奢な装飾を見つめていた。
それらの緻密で美しい意匠が、我が身に起きた出来事が夢ではないという事実を突きつけてくる。
視界の右端にある窓からは、優しく穏やかな光が差し込んでいた。
昨晩は警戒を解かずにずっと起きていようと思っていたのだが、どうやら眠気に勝てずに撃沈してしまったらしかった。
アスリア滞在、二日目……の、朝。
……これからどうしよう。
どうすればいいんだろう?
もやもやと考える陽織だったが、ふと、祖母が以前言っていた言葉を思い出した。
"いいですか?陽織。人を信じる心が大切なのよ。"
そうよね。まさにその通りよ、おばあちゃん。
でもね、一つ訂正させてほしい。
それにはまず、信じられる相手が必要だと思うのよ。
……あ。でも確か、このおばあちゃんの言葉には、何か続きがあったはずだ。
でも思い出せない。
何だっただろうか。
思い出せないことにも苛々するが、今はそんな場合ではない。
陽織は目を閉じ、そして開く。
豪奢な天蓋は、相変わらず美しい。そのリアリティある美しさが、今の陽織にとっては、あまりに残酷なことのようにも思えた。
ーーああ、なんでこうなったんだろう。私、なんでこんなところにいるんだっけ。
ぼんやりと天井を見ていた陽織が、ゆっくりと起き上がる。そしてすぐにやったことは、自身の身体のあちこちに触れ、そして掌で額を触ることだった。昨日聞いた話では、この世界には"ロウ"という気が満ちているという。地球では聞いたこともないそれを、恐らく今、自分も体内に取り込んでいるに違いないと考えたのである。
陽織は、よもや自分の身体に異常が起きていないかと、不安で不安で仕方なかったのだった。
「……大丈夫、かな」
いつもの私と変化なし。時差ボケみたいなだるさもないし、具合も特に悪くない。
「…あとは食べ物か」
昨夜こちらに来て以来口にしたものといえば水差しの水くらいだが、その水はグレイスニアも飲んでいたので、まあ問題ないだろう。
毒物、あるいは地球人が口にしたらいけない食べ物が存在することも考えられる。
そういったことを判断できる知識があり、なおかつ信頼できる人。
陽織は、今この環境においてまず己のすべきことは、そういう相手を見つけることだと考えた。
「……ふう」
勿論、まだまだやるべきことはたくさんある。
この世界から、元の世界へ帰る手段を探すこと。
それまでの間、こちらで生きる手段を探すこと。
とにかく情報が足りない。
口にする食糧の安全性。
この世界の情報。
恐らく気付けていないだけで、きっとまだまだ課題はあるはずだ。
でも今はとにかく、見つけた課題をクリアしていくしかない。
自分が生きるために、やるしかないだろう。
ーーコン、コン。
「失礼します。巫女様。こちらが御召し物の替えでございます。お手伝い致しましょう」
ノックに続いて使用人の女性達が入室し、にこりと微笑んで陽織に近付いてきた。
「いやいや大丈夫です。どうぞお構いなく」
「そう仰らずに」
「そうです巫女様」
「いや私そもそも、め、メウム……じゃないんで」
「候補となった方は、正式な巫女が決まるまで、同等の待遇をするのが習わしです。どうかお気になさらないでくださいませ」
陽織はにこりと返しながら、内心冷や汗をダラダラとかいていた。
(ううう、この歳になって着替えを手伝われるとか、そんなの恥ずかしすぎる。イエスなんて言えるわけないじゃないの)
しかも持ってきてもらった服たちの大半がいかにもお姫様といった雰囲気のフリフリドレスばかりだから、なおさら恥ずかしくなる。
今着ている(昨日着させられた)寝巻きのネグリジェがましに思えてくるくらいだ。
「ふぁあ」
陽織がたじろいでいると、ふいに足元から間の抜けた声が聞こえた。
正体はグレイスニアの欠伸だった。
どうやら知らぬ間に、勝手に部屋に入ってきていたらしい。
「此奴は貧相な裸を見られるのが恥ずかしいらしい。察してやれ」
ねえ、他に助け舟の出し方ないの?
あと勝手に心読むのやめてよ。
陽織がじろりと睨むと、我関せずといった様子で大きく伸びをした。
昨日は黄色っぽかった毛並みが、今は濃いオレンジ色になっている。どうやらグレイスニアの毛の色はその時々によって異なるらしい。まるで、姿の変わり続ける火だ。炎の揺らめきに似ている。
「グレイスニア、あなたも出て行ってよ」
「そういうわけにはいかぬ。我は其方の魔力を糧にして生きておるから、離れたら死んでしまう」
「え?そうなの?」
「そんなわけなかろう」
陽織が咄嗟にチョップをかましたが、グレイスニアにひらりと避けられてしまった。
ますます腹立たしくなった陽織は、むすっと顔をしかめる。
深々とお辞儀をして部屋から去っていく使用人達を見送った後、グレイスニアは話し出した。
「よいか。其方は巫女候補だから、その命を狙うものも多い。だから我がこうして守ってやっておるのだ」
「ああ、そうそう。昨日も『あくまで予定だ』とか言ってたよね。それってどういうことなの?」
「この国は今、巫女候補の召喚期なのだ。巫女は守護者、王政の重鎮。様々な者が巫女に相応しき者を探し、目星をつけ、そして呼び寄せておるわけよ」
「それって……どうやって見つけてくるの?」
「なに、この世界やあちらの世界から、眼鏡に叶う者を連れてくるだけだ。見た目や武術の腕、血筋。目の付け所はたくさんあるが、どこに重きをおくかはそれぞれの選者によるな」
「どういうこと?じゃあ私をこっちに連れてきたのはあの変な宝石ってこと?」
「ふむ。其方の言う宝石とはおそらく、何者かが世界を渡り巫女の適合者を探すために仕掛けた特殊な魔法の具現体だろうな。何者が仕掛けたのかまではわからんがな」
「そうなんだ。一体私を呼んだのは誰なんだろう…。第一、何で私が?」
「まあ其方が呼ばれた理由は断じて見た目ではなかろう。断じて」
二発目のチョップも虚しく不発に終わった。
にやにや笑ってこちらを見るネコもどきを、再び睨む陽織。
「はっは、無理無理。心を読める我にそんなもの通じぬわ。
しかし其方、なかなかに目がいいな。向こうの世界からやってきたばかりで、何の不具合もなく我を視認できている。実に珍しいことだ。
…ああなるほどな。其方が連れてこられた理由は、恐らくその"目"にあるのだろう」
「目?」
「ああ。この世界の者がシレイアの調停者である我を視ることができるのは当たり前だが、アスリアの出身である其方が私の姿を何の障りもなく視ることができておるのは、なかなかすごいことなのだ。きっと其方の目には、何らかの力が秘められているのだろう。そして宝石の主もきっこそれに気づいた……だから其方をこちらに誘導したに違いない」
「そうなの?」
「あくまでも推測に過ぎぬがな。これまでの巫女はすべて厳選されし人物であった。エルフ、獣人、人間、とにかくたくさんの種族がおった。まあ、この国の覇権を握っておるのはエルフだから、巫女になるのもエルフが多かったがな」
「……エルフ?って、あのシュヴァルツっていう軍人さんと同じ種族よね」
エルフ。陽織のいた世界でよく嗜まれていたファンタジー作品の中においては頻繁に登場する伝説上の生き物。幻想的な物語を彩る上では、まさに十八番の存在だ。
事実昨日会ったシュヴァルツは、まるで小説から飛び出してきたかのような美しさを備えた青年だった。
「そうだ。エルフはこの国に生きる者の種族の大半を占めてはおるが、人間が巫女になった前例はある。
何にせよ、其方が異界から連れてこられたというのは内密にしておいた方がよかろう。シレイアの者でなくとも、選定には何の影響もないのだが、まあどうしても周りは色眼鏡で見るだろうからな」
「え?でも昨日のシュヴァルツさんはもう知ってるんでしょう?」
「彼奴なら知られても問題ない。この祈祷の儀に関わる関係者だからな」
「ふうん」
エルフが覇権を握る国。昨日会ったシュヴァルツのことを陽織は思い返していた。
流暢な喋り方と優雅な所作。知性を感じる会話の構成ーー。
(知性……)
はたと、陽織の中に疑問が生じた。
陽織の世界は人間が支配していたが、それは人間に相当する知性をもった生物がいなかったからだ。言うなればなるべくしてそうなった結果だ。
しかしこの国では、人間ではなくエルフが国政の主導権を握っているという。
なぜだろうか。
「ねえグレイスニア。なぜこの国はエルフが治めているの?」
「それはこの世界の創世の記録と言い伝えられている神話、古代神譜によるところが大きい」
「昔話みたいなもの?」
「いや、単なる寝物語などではない。この世界では誠の話と信じられている、絶大な信頼を寄せる神話だ。
その古代神譜曰く、創世の神たる魔神がこの世界を作ったとされている。その魔神はアスリアを創った後、この世を正しく治めるためにエルフ族として生まれ変わったとされているのだ」
「なるほど。それはつまり、魔神がエルフに転生して、この世界を手ずから治めているということね」
「その通り。だからこの国はエルフが治めるべしとされている」
神話や言い伝えに重きをおく世界。もちろんアスリアでもそういう風習は存在したが、このトルメンタ帝国をはじめ、シレイアという世界では殊更強いとみえる。世界が違うとだけあって、やはりこの世界独特のルールや世界観がかなり沢山あるようだ。
(……いや、待って)
陽織ははたと、一つの仮定に思い至った。
ーーそうだ。
そもそもこの世界観自体が、悪趣味なドッキリである可能性が完全に無いわけじゃない。
バラエティ番組でも、視聴者を面白がらせるためにままある企画。
現代の技術をもってすれば、グレイスニアなども、ホログラムでそれらしく見せかけられるかも知れない。
というか、寝ていて夢を見ているだけという可能性だって、まだ百パーセント捨てたわけではない。
(…まずは自分にできることや、すべきことを見つけてやっていくことにしよう)
そうと決まれば、まずは着る服だ。
陽織は「よし」と小さく呟くと、ベッドから立ち上がった。
グレイスニアが毛づくろいを始めたのを尻目に、大きなテーブルいっぱいに置かれた衣服類を見定めていく。
「そういえば今日は、シュヴァルツがこの屋敷を案内するらしいな。よかったではないか、退屈せずにすみそうで」
「それはありがたいな。もしかしたら張りぼてのセットとか仕掛けとかを見つけられるかも知れないもんね」
「ふ、どうせ碌なことを考えていまい」
「うるさいなぁ、好きにさせてよ。
っていうか、シュヴァルツさん、私にやけに親切だよね。特任准将…とか言ってたけど」
「いちいち我に聞くな。気になるなら直接聞け」
「何よ、けちんぼ。…お」
山と積まれた箱の奥を物色していた陽織は、ドレスを一着選んで引っ張り出した。
黒地のシルクに赤い刺繍が入った、比較的シンプルなロングドレス。下に着る服は、裾の開いた白いスカートになっている。フリルの装飾が少ないドレスだから、他の物に比べてあまり派手ではない。
「これにしようかな。他のはフリフリすぎるし」
「ああそうだな。あまり派手な物を着ると、服に負けそうだ」
「……一言余計ですけど」
「いいからさっさと着替えてこい」
備え付けのバスルーム内で着替えて出ると、直後に迎えの使用人がやって来た。
「巫女様。ルーセント特任准将がお待ちです。どうぞ、こちらへ」
陽織は、入り口のドレッサーを見て、顔をしなりと緩ませてみせる。
鏡の中の自分は、温和な笑顔を浮かべている。
(…大丈夫。いつも通り、やればいいんだから。)