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西へ-3

 取り囲んでいた男たちが慌てて海良から手を放し、気まずそうに下を向く。先ほどまでが嘘のように、あっさりと解放された海良は慌ててクレイへと駆け寄った。両手を広げて、クレイはしっかりと近づいてきた海良を抱き寄せる。そして、耳元に口を寄せて小さな声で言った。


「ごめん。」


「そんな、クレイのせいじゃない。」


「俺が離れなければこんなことにはならなかった。本当にごめん。少し、浮かれすぎだった。」


 何度も何度も、クレイは謝罪の言葉を口にする。抱きしめる腕には痛いほど力が込められていて、彼の胸にピタリと寄せられた海良の耳には、破裂するのではないかと思うほど鼓動が早鐘を打つ音が聞こえていた。


 彼の後悔と懺悔が、悲しいほどに伝わってくる。


 東の塔で、数多の弓矢に一歩も怯まなかった男が、今は酷く怯えている。その事実が、海良の胸を締め付けた。


 俺がもっとちゃんとしていれば、クレイをこんなに悲しませずに済んだんじゃないか?ただ戸惑うだけではなく、街の人たちと多少なりとも会話ができていれば、こんな事態を招かずに済んだんじゃないのか。


 叫び出したいような気分だった。叫んで、己の無力を気分のままに曝け出して、地団太を踏んで泣き出したい。それなのに、クレイに固く抱かれた体はピクリとも動かず、口からは言葉にならない喘ぎが漏れるだけで、体は全く海良の思い通りには動いてくれない。


 腕の中で身じろいだ海良の頭を最後に一つ撫でて、クレイはアストラガスの方を見た。


「彼は異邦人ではない。そもそも、呪い返しの地から逃げ出した災厄が、一人でうろついているわけないだろう。アレには常に獣人が付いて回るものだ。」


「確かに、それもそうです。大変失礼をいたしました。」


 アストラガスが頭を下げると、その後ろで気まずげに視線を逸らしていた街人たちも、数ミリ頭を動かした。気が付くと、囲んでいた人々の輪は、外側から少しずつ離れ始めている。


「この街に騎士が立ち寄ったことは他言無用で願おう。俺たちは王宮騎士とは別の任務で動いている。邪魔されたくない。」


「ええ、分かりました。騎士様には誠に申し訳ない事を……。」


 もう一度頭を下げるアストラガスの様子に、海良は思い切って声を上げる。


「やめて下さい。あなたは俺を助けてくれたんだ。助けてくれたんだよ、クレイ。」


 こんなのは理不尽だ。街の人々は結果として正しい人間をつるし上げたし、そんな人間を彼は身を挺して庇ってくれた。この人が頭を下げる必要なんてない。


 彼の言葉に、クレイもアストラガスも口をポカンと開けた。そんな様子にも気づかずに、海良は続ける。


「街の人だって不安だったから、仕方なかったんだ。それに、別に傷つけられたわけでもない。松明を使った確認の話も、声をかけられた時に俺がちゃんと喋れなかったのが悪い。俺が悪いんだよ。」


 そもそも、俺が異邦人だから。


 紡がれなかった思いを察して、クレイは奥歯を噛みしめた。

 互いに後悔を募らせていく二人の様子は、アストラガスにはとても気の毒に思えた。人々が私刑に近い暴行を加えようとしたことは看過できないが、それでも疑わしかった少年を捕縛した事自体は責められるような行為ではない。それでも、自責の念に駆られている人間にどうしても同情を禁じ得ない。何か励ましを、と口を開いて、やめた。何も言うべきことはない。だから代わりに、こう申し出る。


「街の外れまでお見送り致します。その様子では、先を急がれているのでしょう。」


 アストラガスに向けられた視線は鋭かった。ついてくるなと、瞳が雄弁に語る。彼はまるで、騎士というよりも獣だ。小熊を守ろうとする母親のような、鬼気迫った雰囲気を会った時から常に纏っている。


「結構。」


 きっぱりと、騎士の毛皮を獣は言った。


「もう関わらないでほしい。迷惑だ。」


「クレイ、そんな言い方はないだろ!」


 上がった叱責に、アストラガスは首を横に振る。


「いえ、その様に思われるのは当然です。ご迷惑でしたね。あなた方の旅路が良きものとなりますよう願っております。」


 頭を垂れ、胸に手を当てて彼は祈る。はちみつ色の髪がキラリと光るその姿は、天使だと言われても納得してしまうような美しさで、海良はほぅとため息を吐いた。


 いきなりガッと後頭部に痛みが走る。キリキリと締め付けられる痛みに涙目で見上げると、クレイが笑顔で海良の後頭部を鷲掴みにしていた。


「痛い痛い痛い。クレイの握力強っ!」


「さ、行くよ、真。もうこの町に用はない。」


 後頭部を掴んだまま、彼は海良を引きずりながらロゼアに向かって歩みを進める。大人しく主人の帰りを待っていた馬は、その姿を認めて嬉しそうに尻尾を揺らした。労わるように、美しい栗毛をひと撫でしてから、クレイはまるで今思いついたとでもいうように振り返り、先ほどまで対峙していた男をひたりと見据える。


「ところで先ほどの祈り、そしてその髪の色、あなたはもしやロータス教会の方なのか?」


 アストラガスは笑った。


「ええ、ロータス教会は僕の故郷です。」


 海良はふと、そういえば誰かが同じ内容の問いかけを彼に投げた事を思いだした。何度か耳にした「ロータス」というのは、土地の名前だったのだと、そこで初めて理解する。広場に渦巻いた疑心暗鬼の中で、だれかが言っていた。「ロータスのようになるのは嫌」だと。そして、目の前にいる彼は言った。「ロータスの生き残りだ」と。


 一体、どういうことだろう。彼の故郷には何か不幸があったのだろうか。でなければ生き残りだなんて、物騒な言葉は出てこない。そしてそれはきっと、この世界の人々にとっては有名で、当たり前の事件なのだろう。


 まただ。

 また俺は何も知らない。


自分はこの世界の事を何も知らないのだという事実に、歯がゆさが募る。


「そうか……、それならば異邦人逃亡の件については、心中穏やかではないだろうに。この人を庇ってくれたこと、感謝する。ありがとう。」


「いえ、もし巫がご存命ならば、決してこのような事態はお望みにならないはずですから。それに。」

 彼は絶えず笑みを浮かべている。決して作り笑いではない、本当の笑顔だというのに、いつの間にかそれは酷く空虚なものへと変化していた。澄み切った空のようなすがすがしさを持つ彼は、霞のような笑顔で続ける。


「それに僕は、今はただの墓守ですから。」


 ハカモリとは、何だっただろうか。海良は一瞬、上手に単語を思い浮かべられなかった。それはあまりにも、海良の日常から乖離した言葉だったから。そしてようやく墓守という文字に当たった時、その言葉に含まれる寂しさに愕然とした。


 一体、誰が亡くなったのだろう。もしかして大切な人だったのだろうか。


 様々な問いかけが頭の中をぐるぐると回るが、その疑問は一つとして海良の口から言葉となって出ることはなかった。


 アストラガスは、馬に乗った二人の姿が小さくなって消えるまで、身動きすることなくじっとその背中を見送っていた。


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