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蔦王の戦城-8

 弦月の目指す先が西の古城であることにラウルが気づいたのは、ロータス協会を出て一昼夜が過ぎた頃だった。数日前に通った道が巻き戻されていく様を目にしながら、ラウルはゲンゲツに問いかける。


「王都ではなく古城へ向かっているのですか?」


 言外に、そんなことをしている暇などないだろうという不安を滲ませながら発せられたその言葉は、すぐにゲンゲツによって肯定された。


「やることがあると言っただろう。そのために我々はまず、城に向かわねばならない」


アストラガスから提供された馬の手綱を引くのはゲンゲツの役目で、行き先の決定権はラウルにない。ラウルは焦る気持ちを宥めながら、馬の早足に身を任せるしかなかった。背骨を突く振動に全身を揺られながら、頭の中もまた騒がしく動く。考えるのは専ら、道を別れてしまった二人のことだ。要らないことをしていなければいいけれど……、とラウルはため息をつく。真くんのことだ、今頃は王城に単身乗り込んで大啖呵でも切っているのではないだろうか。あの善良で非力な少年は、その形に見合わないほどの器量を発揮することがある。それが吉と出るか、凶と出るかは、その時が来るまで分からない。彼の類稀なる頑固な面差しに、誰もが共感を抱くとは限らないのだ。そして、何よりもアンスリウムさん。非常なまでにシンくんに肩入れしている彼の共謀によって、大啖呵が大立ち回りにまで進化する危険性がある。そうなれば、大成功か大失敗かの二つに一つだ。無難な道など残っていないだろう。


 嘆息するラウルの耳に、ゲンゲツの小さな笑い声が届いた。


「おかしいですか」


「考えていることは手に取るように分かるよ」


 含み笑いの合間で、ゲンゲツが応える。


「だが私たちは、赤子の世話をしているわけではないだろう。立派な大人が三人がかりで、一人の少年を持ち上げてどうする。私たちは四人で、四人分の働きをせねばな。共に行くとは、そういうことだ」


 尤もらしい言い草に、ラウルは口を尖らせた。ゲンゲツの言葉には、彼の歩んだ歳月相応の重みが感じられる。加えて、建国の王を支えてきたという功績も。だからきっと、彼の言うことは正しい。その意見の正当性に得心する自分がいるのは認めるが、同時に、それでも心配なものは心配なのだと、大声で喚き散らしてやりたい気持ちも膨れ上がった。


 それでもこの騒めきを、感情論だと一笑に付されるのが悔しい一心で、ラウルは波立つ心を整える。そして、努めて大人ぶった顔つきを探すと、精一杯に賢者らしい言葉を選んで、目の前の老木にぶつけた。


「私たちが共に行くのは、王ではなく友なのですよ」


 老木は今度こそ、明朗な笑い声を上げた。そして微かに振り返り、ギョッと目を剥いたラウルを横目に捉えると、顔を綻ばせて声を張った。


「友であればこそ」


 その一言を切りに、ゲンゲツはすっかりと前を向いた。彼の背後には決意の余韻と、あっけに取られたラウル一人が残される。


 まるで人が変わったようだと、ラウルは目を瞬かせていた。ゲンゲツという人は、どこか隔たれた人だったはずだ。時間からも、人からも、世界からも、身を一つ離していたはずの彼が、おそらくかつて備えていた快活さを取り戻している。自らの意思で馬を駆っている。


 ラウルはそれ以降物を言わず、ただ馬の背にしがみ付いた。




 西の古城へと辿り着いたのは、そこからもう一夜を明かした後のことだった。三日三晩の強行軍に体の疲労は溜まっていたが、二人はそれにも構わずに前庭を抜け、城の玄関に立つ。ほとんど扉の用途を成していない木の板を押し開けると、目の前には玄関ホールが広がる。つい一週間前に、四人で途方に暮れていた場所だ。あの頃は未だ会ったばかりで、誰も彼もが気まずい気分を持ち合わせていた。状況はすっかりと変化してしまったというのに、ここでは相変わらず白いボロ切れみたいなカーテンが、割れた窓から入る風に吹かれて穏やかに揺れていた。


 踏み荒らされたホールを迷いなく進んだゲンゲツは、そのまま真っ直ぐに、上階へと伸びる大階段を上がった。かつての面影はすっかりと褪せて寂れた城には静寂が満ちている。ただ唯一、踏み出した足の下にガラスの切ない音が響いた。踊り場で揺らした銀髪の下で、ゲンゲツ瞳は一点を見上げている。彼の足はまるで自宅の中を歩くように、二人を二階の一番奥にある部屋へと運んでいった。


 部屋の前に並んでそっと立つ。扉は朽ちていた。木枠は腐り果て、さらには扉が人為的に毟り取られた跡があった。クリーデンスの率いていた野盗たちがやったのだろうか、とラウルは眉を顰めた。廊下から部屋へと続いていたはずの絨毯は、鋭い刃物で切り取られている。それを踏みながら部屋へと入れば、中には古い机が一脚置かれていた。机上には埃が積もっていて、もう長い間誰も座っていないことが伺えた。壁にかかった絵画はすっかりと褪せて、額縁しか残っていない。本棚も天板が外れ、中に詰められていたはずの本は跡形もない。その空虚さに、ラウルは思わずため息をついた。この部屋の主がどんな人物かを知る手かがりは、どこにもない。


 ゲンゲツは部屋へ入ると、隅にある小さな暖炉へと向かった。ゲンゲツはまるで、この部屋のどこに何があるかを全て知っているかのように、自在に歩みを進めていく。机には興味を示さず、手前で体を回転させると、あらぬ方向へ転換する。彼の背中を視線で置いながら、ラウルはたった今頭に浮かんだ考えを直感的に改めた。知っているかのよう、などという生半可なものではない。見えているのだ。


 彼にはきっと、生きていた頃の部屋の風景が見えている。部屋の主が机に座り、暖炉に暖かな炎が灯っていたその時をゲンゲツは歩いている。それは決して、ラウルには見えないものだ。だからラウルは、彼の動きをじっと目で追った。そうすれば、打ち捨てられた部屋の主の姿が少しでも垣間見えるのではないかと、そう思ったからだ。


暖炉は、彼がそこへ体を向けて初めて、ラウルがその存在に気づくほどの質素なものであった。ゲンゲツはその壁面の裏へと手を伸ばして指で弄ると、次の瞬間には手のひらの中に小さな光り輝く一本の鍵を握っていた。白く光る華奢な柄の先に、見たことのない細工が施されている。ファング王国で最も有名な装飾といえば、創世の王の二つ名である蔦であるし、実際に古城の奥に建設されていた大規模魔術陣の起動式にもそれが用いられていた。しかし、この鍵は違う。


 ぷっくりと丸みを帯びた肉厚な葉が、花のように円を描いている。その様子はどこか穏やかさを纏っている。ゲンゲツはその鍵をついと啄むように持つと、今度は暖炉の正面にあった小さな穴へと差し込んだ。途端に、低い振動がラウルの体を揺らす。何事かと周囲を見渡すラウルに、ゲンゲツは得意げに言った。


「隠し部屋だよ。ここばかりは、野盗どもにも見つかっていないようだ」


 目を細めた彼は暖炉の脇に立ち、その壁を軽く押す。すると、一面の壁だったところに亀裂が走り、人が一人通れる程度の入り口が引き戸となって姿を現した。それを見たゲンゲツがおかしそうに笑う。


「獣の姿のままでは通れぬところだったな」


「笑っている場合ですか」


 そう相槌を打ちながらも、ラウルの瞳は目の前の光景に釘付けだった。歴史の神秘が、その姿を眼前に現そうとしている。生唾を飲み込んで、背に負った琴を後ろ手で撫でる。


「この部屋はどのような用途で使われ、どうして隠されていたのですか」


 ラウルの言葉に、ゲンゲツは曖昧な声を漏らす。


「そうだな……、それを説明するには長い時間が掛かる。ファング王国の歴史とそれ以前、そしてそれに関わる人々の話をせねば、この部屋にまつわる物語は解き明かせらぬだろう。だが残念なことに——」


 ゲンゲツの意味深な長考を察して、ラウルは肩を落とした。


「ゲンゲツさんでもご存知ないのですね」


「いや、知っているさ」


 しかしゲンゲツはそう言うと、瞳を遠く彼方へ向けて「だが内緒なのだ」と笑った。


「内緒ですか」


「ああ、内緒だ。この城について、伝承に残っている以上の語るべきことを、私は持っていないよ」


 一歩、秘密の部屋へと踏み入る。窓のない部屋は真っ暗で、取る方向さえ覚束ない。ゲンゲツは無言で鼻を掻き、心中で参ったなと呟いた。昔は目隠しをしても歩けたものだが、幾分か記憶も薄れてしまい、今やそこまでの自信はない。ましてや老朽化が進んだ部屋の床が抜けていないとも限らない。目的の物がある場所はわかっているが、さてどうしたものか。


 その時、淡い光がゲンゲツの前に差し出された。


 ふと振り返れば、頼りのない光を放つ小さな石を握ったラウルが、その手を差し出している。「光」だ、とゲンゲツは思い出した。これはあの日、地下道でわずかな時間だけ彼が披露した、ささやかな「光」だ。


「シンくんほどのものではありませんし、時間も長くは保ちません」


 差し出されたそれを、ゲンゲツが受け取る。


「十分だとも」


 柔らかな光が闇を押し返す。ふわりと浮かび上がった床板を一歩、一歩と踏みしめながら、ゲンゲツは突き当たりの壁へと向かう。さしたる広さの部屋ではなかったが、それでも不自然なほど、部屋には物が置かれていなかった。初めから置かれていなかったのか、長い年月の末に朽ち果てたのかは、ラウルには分からない。部屋に踏み入るのはどこか恐れ多さを感じた彼は、ただ部屋の前に佇んでゲンゲツの背中を追っていた。その光が、不意に天を照らし出す。そこに現れた光景に、ラウルは息を呑んだ。


伽藍堂の部屋の壁に、一本の剣が掛けられている。


それは、身の丈ほどの大剣だった。極めて簡素な造りの柄が、絢爛な鞘に収まっている。そのアンバランスな美しさに、ラウルは目を凝らした。ゲンゲツの腕が剣へと伸びると、微かだった剣の姿が、より明確な形をとる。薄い光に浮かび上がった影が、鞘を覆う紋様を教えてくれた。蔦だ。蔦を模った意匠が深緑の光に濡れている。ゲンゲツの手が大剣を掴み潔く鞘を抜くと、凛とした剣身が冴え冴えとした輝きを放った。白光に瞬く。まるで、時が止まったようだった。文字通り、目を奪われるような美しさがそこにあった。その剣身は鋼であるにもかかわらず、一切の部屋の暗闇を映すことなく、ただじっと、黒夜に輝く月のように冷たい光を湛えていた。


「ファング王国創世記の御伽噺に曰く、かつてロータス協会には一人の巫女がいた。名をレンゲ。彼女は歴代随一の予言を誇る巫女であり、ポラリスの祖母で、私の友人だった」


 朗々と歌い上げるようにゲンゲツが言う。芝居掛かった言葉選びが、悔しいほどこの場に相応しい。


「蔦王フェルトブッシュの手によってファング王国が建国され、東の塔が獣人たちに占拠されて、自身が予言巫女の役目を降りた後、レンゲは一つの予言を受けたそうだ。当時すでに巫女の地位をスミレに譲っていたレンゲは、来るその時に備えてフェルトと共にこの剣を造り、隠し場所を定めて、メッセージを残した。教会の地下にひっそりと、異邦人の力を借りねば起動できぬ装置として」


 ラウルの脳裏に、あの時の光景が浮かび上がる。シンが地下で見つけた不思議な端末。そこでにこやかな笑みを浮かべていた桃色の少女と、彼女が読み上げる機械的な声。『ゲンゲツ・セネシオ様宛にメッセージを一件お預かりしています』もしかして、それが——


 ゲンゲツが大剣をその腕に収める。鞘に戻り、静けさを取り戻した古の剣がただひっそりと闇の中に姿を落とすと、先刻までの目を見張るような美しさはすっかりと隠されてしまった。ようやく、ラウルはホッとひとつ息を吐く。そこで初めて、自分が呼吸を忘れるほどに見惚れていたのだと気がついた。


 剣を両手に抱えたゲンゲツが部屋から歩み出てくる。その姿を待ち受けて、ラウルはそっと手を差し出した。「光」の石を返してもらう、ただそれだけのつもりで何気なく差し出したはずの手に巨大な影が落ちたのを見て、ラウルは目を見張った。


 眼前には剣が差し出されていた。


 信じられない面持ちで、ただそれを凝視するラウルにゲンゲツが言う。


「レンゲの予言は単純明快だった。曰く『ファングに危機が迫る時、王都へこの剣を届けよ』その役目を君にお願いしたい。ラウル、頼まれてくれ」


 こういう時のために作ったのですよ、と笑ったのは、端末に残されたビデオメッセージの中に残る少女の残影だった。かつて存在したレンゲという予言巫女の姿を、ゲンゲツは瞼の裏に思い起こす。


 爛漫な笑顔で彼女は言った。「見えているものを全て伝えることはできませんが、これだけは言っておきますね。後世で私たちの尻拭いをすることになる、クルシアの子と名も知らぬ異世界人のために、こちらを共同開発しておきました。その時が来たら、彼らに渡してほしいのですよ」


 教会の地下室でこのメッセージを聞いた時、ゲンゲツは初めて、己が人に戻った意義を得た。真が試作する魔道の被検体として副次的に得た人の体だと思っていたのに、それがどうして、未来を繋ぐためのものになるとは。そうであるならば、400年前に受けた獣人の呪いすら、必然であるように思えた。我らが巫女はこの時を見越していたのだろうか、と画面の中で笑う少女に問いかけるが、答えは当然返ってこない。当たり前だ。それは全て、過ぎ去ってしまった過去なのだから。真たちが立ち去った倉庫の片隅に座り込んで、しばらく懐かしい姿を睨みつけていたが、やがてふつりと糸が切れたようにゲンゲツは笑みをこぼして立ち上がった。レンゲはもともと食えない子だった。たとえ生きた彼女に問いかける機会があったとしても、きっと答えははぐらかされただろう。


 手にあった端末は、埃の被った倉庫の片隅に置いてきた。


「剣を持て、ラウル。そして私たちの友へ届けてくれ」


 ずいと迫る腕に、ラウルが戸惑った声を挙げる。


「用事を済ませて、一緒に王都へ行くのではなかったのですか」


「これが君の用事だよ。そして私の用事は、もう一つ残されている」


 そのままゲンゲツは、ラウルの腕へ剣を押し付けた。咄嗟に掻き抱いたラウルの指先を確かめて、彼は満足そうに頷くと、さっさと隠し部屋の闇に背を向け歩き出す。「ゲンゲツさん!」背後から悲鳴が追いかけてきたが、唇の端を持ち上げただけだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です! ラウルさん視点すごくよかったです。確かに周りからシン君達見てたらハラハラするよなあ…ww [気になる点] ゲンゲツさん不穏な空気を出さないで!
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