王城-3
サルウォスはそのまま後ろを顧みることなく、庭園へと足を踏み出す。そこは、先ほど海良が通り抜けて来た吹き抜けの中庭だった。先刻までここに張り詰めていた物々しい雰囲気はすっかり取り浚われ、今は静寂と、天窓から降り注ぐ日差しだけが、庭園を満たしている。その中で一人佇むサルウォスの姿は、どこか神秘性すら纏っていた。薄く輝く甘い金色の髪、漆黒の衣装、肩から下がった燕脂色のマントには、繊細で絢爛な意匠が施されている。浮世離れした美しさは、まるでおとぎ話の中から飛び出てきたみたいで、海良はしばらくの間、サルウォスの佇まいに見惚れていた。後ろから追いかけてきたアンスリウムが、呆けていた海良の腕を肘でつつく。はっとした海良が視線で謝ると、彼は小さくため息をついた。
前を行くサルウォスの足取りはまるで、休憩時間に一人で庭を散歩しているだけのような軽さで、拍子抜けするほど穏やかだ。彼が一歩踏み出す度に、肩から垂れたマントが床を引き摺って進む。その後を踏まないように気をつけながら、海良とアンスリウムは彼の後に続いた。
庭の中ほどには、ささやかな小川が流れていた。その側に作られた置き石に腰掛けて、サルウォスは流れに手を浸した。
「クリーデンスの反乱軍は、王城よりおよそ十日の距離にある平原に陣を置き、散り散りになった兵隊が集まってくるのを待っている」
シルビオの話では、西の古城で騎士団と衝突した際に、クリーデンスとヒューイの率いていた反乱軍は逃げ出し、方々に散ったという。それを招集し、戦力を補充するつもりなのだ。
「それに加え、獣人たちが陣に出入りしているという情報がある」
チラリとサルウォスが海良の方を伺うが、海良に応える術はなかった。サルウォスたち王国民の立場から考えれば、獣人と異邦人は同種の「災い」として括られるからこそ、獣人たちの意図を問いかけたのだろうが、世界の真実はそうではない。
初めてこの世界に来た時、クリーデンスとゲンゲツは敵対していた。シルビオはクリーデンスが獣人たちに協力を要請すると残して去ったというが、果たして、未だ彼らを化け物だと考えているクリーデンスに、獣人たちが手放しで手を貸すものだろうか。
「ゲンゲツという友人がいます」
サルウォスの気配が微かに揺れた。それには気がつかないふりをして、海良は話を続ける。
「彼は獣人の一員ですが、俺とアンスリウムの友人で、話のできる相手です。彼と話をすることができれば、獣人たちの真意は判明するし、上手くいけばこの戦から手を引かせることもできると思います。けれど、今どこにいるのか……」
アンスリウムを見ると、彼も思案顔で頷き、口を開く。
「彼とは教会の遺構で別れました。今ならまだ、彼女らの庇護下で滞在しているかもしれません。騎士団から事情を知る者を一人、教会へ使いに出しましょう」
「ならん」
王の静かな声がアンスリウムの提案を否定した。ギョッとする二人をよそに、サルウォスは険しい表情で眉を顰めながら、じっと小川のせせらぎを見つめる。
「反乱軍が動き出せば、残された猶予はそこから十日しかない。早馬で教会まで三日、そのゲンゲツとやらを連れて帰れば、帰り道に四日はかかるだろう。事情を聞き取り、迎撃の態勢を整えながら、相手へと使者を送って妥協点を探るには、もう十日足りん」
サルウォスの表情が翳る。「そもそも」
「クリーデンスの望みに、妥協点があると思うか?」
今度こそ、海良には返す言葉がなかった。水面から顔を上げたサルウォスが、傍に立つ海良の瞳をじっと見上げる。
「あいつは私を憎んでいる。私といわず、この世界の全てをだ。目に映るもの全てを焼き払い、更地にするまであいつは止まらない。君もそれを知っているから、私に提案したのだろう」
クリーデンス・クレイウォルターを止める手立ては、つまるところそれしかない。戦場での邂逅。進軍してきたクリーデンスの前へ、海良が王都の盾となって立ちはだかる。そうすればきっと、クリーデンスは海良を押し退けてまで、無理に王都へ入ることはしないはずだ。事前に会いにいけば、きっとクリーデンスは海良を自軍へ縛り付けたまま、王都を蹂躙しようとする。だから、海良とクリーデンスが出会うのは、両軍が接敵する直前の最前線でなくてはならない。話し合うチャンスは、その一度きりだ。
クリーデンスを止める。その決意だけが、今は海良の胸の中にある。自分自身の望みでもあったし、それと同時に、一樹に託された願いでもある。
「どう足掻いても、さほど遠くない内に王都は戦場になる。君に与えることができる猶予は、クリーデンスが王都へ足を踏み入れるまでだ。あいつの足が一歩でも領内へ入れば、私は彼を討ち取り、君を処刑する」
「分かっています」
サルウォスが静かに瞠目する。瞳が微かに揺れている。その眼差しは、海良にしてみれば不思議なものだ。これまで聞いた話では、サルウォス王が新緑騎士団へ異邦人捕縛の命を出したはずで、それならば当然、彼も他の臣民と同じように異邦人を憎んでいるはずだ。海良が死なずにいるのは、単に彼と利害関係が一致したというだけの話。の、はず。
今すぐに処刑できないことを、口惜しく思っていても変ではないと思っていた。しかし奇妙なほど、初めて会ってから今まで、彼から敵意を感じたことはない。
じっと見入っているうちに、サルウォスの瞳は次第に色を無くし、そのうち興味を無くしたように海良から小川へと逸らされた。水面を見つめたまま、サルウォスが言う。
「王城に君の部屋を用意しよう。騎士団の兵舎に程近い場所で、適当なところを空けさせる。どこでも自由にとはいかないが、騎士団の誰かが随伴するなら、随伴者が出入りできる場所であれば君も立ち入って構わない」
「いいんですか」
「どうせ見た目では、異邦人と人間を区別することはできないのだ。誰も咎めはしない」
そう言ってサルウォスは腰をあげると、再び来た道を戻り始めた。光の溢れる庭園から、冷たく静かな王の間へ戻ると、彼は静かに玉座へ腰掛ける。表情は色彩を没し、眼差しは温もりを隠して、まるで蝋人形のようだった。
「異邦人、クルシア、もう下がれ。戦までの短い間、存分に準備するが良い」
王の間を出て廊下を歩き、角を曲がったところで二人は足を止めた。
「団長!」
シルビオがアンスリウムへ熱い抱擁を送り、廊下の先では武装を解いた騎士団の団員たちが、歯を見せて出迎えてくれる。
「シルビオ、心配をかけてすまなかった」
「本当ですよ。あんたが剣を抜いた時には心臓が止まるかと思いました」
そしてシルビオは「異邦人!」と叫ぶと海良の前へツカツカと歩み寄り、手のひらで強く両肩を叩きつけた。
「よくやった!まさかここまで上出来だとは思わなかったぞ。実のところ、万が一、団長の命が危なくなった時は、マジで俺がお前の首を切って詫びるつもりだった」
悪びれないシルビオの腕を、アンスリウムが小突く。しかし彼も、次にシルビオから飛び足した言葉に絶句した。
「約束通り、君に魔術を指南しよう。持てる全てを叩き込むから、全力でついてこいよ」
そう言って差し出された右手に、海良は満面の笑みで飛びついた。
「先生、よろしくお願いします」
「ああ。異邦人……では都合が悪いな。シン、君が俺の弟子第一号だ。最高の魔術師にしてやる。最前線で共に戦おう」
硬い握手を交わす二人の傍で、アンスリウムが眉間を抑える。頭痛がする、それも特大のやつだ。しかもこれは、そうそう治るやつじゃない。自分の知らないところで、厄介な密約が交わされていたことに気づかなかった、自責の頭痛だ。
「説明してくれシン。そしてシルビオ、言っておくが」
アンスリウムは厳しい顔で部下を睨むと、威厳ある声色で告げる。
「コンプライアンス的に、了承も取らずに関係の浅い相手をファーストネームで呼ぶものではない。彼のことはカイラと呼ぶべきだ」
厳しい批判にもシルビオはどこ吹く風で、それどころか楽しそうである。普段は冷静な切れ長の瞳も、今はすっかり弧を描き、口元は堪えきれない笑いで引き攣っていた。
「カイラ君、団長はこう言っているが、君はどうかな?」
途切れ途切れの呼吸の合間で、シルビオが問う。ナメられていることは明らかで、アンスリウムは歯を食いしばった。
「シンって呼ばれるのは嫌じゃないです。できればシルビオ先生にも、そう呼んでほしい」
海良はそのまま、続きそうになった言葉を飲み込んだ。悔しそうな顔をして歯を食いしばっているアンスリウムの顔をこっそりと伺い見て、やっぱりこれ以上言うのはやめようと決める。シルビオに揶揄われている彼が気の毒になったのが一つ。そしてもう一つ、こんなことを言えば、騎士団内で異邦人を嫌っている団員たちから、誹りを受けるのではないかと思ったからだ。アンスリウムと海良の間で蟠りが解けたとはいえ、この世界では未だ、異邦人は災厄を運ぶ嫌われ者。迎えてくれた騎士団の中にも、自分のことを快く思ってない人はいるはずだ。
シン、と名前を呼ばれるのは嬉しい。ファング王国に来る前までは、さほど気にもしていなかった自分の名前が好きになったのはきっと、あの時。お前は異邦人ではなく、シンなのだと、彼がそう呼んでくれたから。
でもここでは口を噤む。誤魔化すように微笑んだ海良は、そのままシルビオへ再び頭を下げる。
「よろしくお願いします」
シルビオは楽しそうにアンスリウムを見たあと、全てを察したような様子で海良へ応えた。
「任せときな」
その声は、明らかに笑っていた。




