王城-2
ビロードの絨毯の淵に、鎧を着た衛兵がずらりと並んでいる。厳つい鈍色の甲冑が、高窓から差し込んだ日光を反射して、絨毯の上を進む海良を冷たく威嚇した。睨みを効かせる衛兵の背後には、文官たちの影が頭を出している。ふらふらと、亡霊みたいに見え隠れする人々は、誰もが海良の姿を興味深く覗いているようだ。そして、不躾な視線が檻のように連なるその先、その最奥、一段と高く伸びた玉座には、一人の男が座っていた。思っていたよりも若いと、海良は思った。アンスリウムやクレイよりも、少し年下ではないだろうか。鷹揚に頬杖をつき、絢爛な衣服を身につけたその男は、蜂蜜色の前髪の陰に、冷徹な色をした琥珀色の瞳を揺らしていた。
サルウォス・モルガニウム・ド・ファング。
海良は胸の奥で、シルビオから教えてもらった名前を唱える。アンスリウムたち騎士団が、王と頂くその人。そして五年前、一樹を殺した張本人。
拳に力が入る。この男が全ての元凶だ。そう思うと、いても立ってもいられなかった。随伴する騎士団から飛び出して、サルウォスの元へ駆け寄ろうと、地面を蹴る。右足が次の一歩を踏もうとした瞬間、眉ひとつ変えないシルビオの足が海良の左足を払った。バランスを崩した体は、そのまま絨毯へと顔面から突っ込む。鼻先が毛足に擦れる直前、海良は咄嗟に両腕を出した。
地面が眼前で止まる。踏みとどまったのだ。
ホッとしたのも束の間で、今度はシルビオの手のひらが海良の頭を絨毯へ埋めた。額に感じる衝撃に呻く。
海良の頭を押さえつけたまま、シルビオは流れるような動作で片膝を着くと、まるで申し合わせていたかのように、海良を囲んでいた騎士団たちも一斉に膝を折った。彼らは玉座へ、恭しく首を垂れる。
小さな囁き声が、耳元で聞こえた。
「早計。貸し一つだぞ」
シルビオの叱責に被せるように、アンスリウムの声が響く。
「新緑騎士団、ただいま帰城致しました」
サルウォス王は応えない。静謐な王の間に、鋭い緊張感が張り詰める。玉座の隣に立っている男が、微動だにしない王に代わって問いかけた。
「アンスリウム殿、此度のことについて、ご報告願いたい」
アンスリウムは一つ、ゆっくりと息を吐くと、首を垂れたままで声を上げた。「度重なる命令違反——」
「——国王陛下、宰相殿もご存じの通り!」
アンスリウムの言葉を、シルビオの口上がかき消した。驚いて振り返るアンスリウムを他所に、シルビオは顔を上げると、真っ直ぐにサルウォス王を射抜く。ざわりと、広間に動揺が走った。
「我らが騎士団長は、これまで、異邦人の追跡および監視任務を続けて参りました。しかし、たしかに、このような単独任務は前代未聞。王都府の皆様方に多大なご不安をおかけ致しましたこと、我ら騎士団一同、心より申し訳なく思っております」
そこで再び大仰な動作で頭を下げる。たっぷりと時間を取った後、彼は絵画のような笑顔で言った。
「しかしながら、国王陛下は、直接の書状にて既に、ご承知のものと存じております」
不安になった海良が頭をあげようとするが、シルビオの腕は、彼の柔和な口調に似合わないほどの剛腕で、後頭部を抑え続けていた。
「騎士団長は任務を外れてなど、ましてや国王陛下のご意志に背いたりなど、決してしておりません。それが証拠に、ここに、ご要望通り異邦人を連れて参りました」
有無を言わせぬ口調だった。シルビオは、自分達は異邦人を連れてきたのだから、赦されなければおかしいと、それが理なのだと提示する。その道理を作ったのはお前だろうと、不遜にも国王へ食ってかかったのだ。海良の拳に、再び力が篭る。とにかく、今はアンスリウムの無事を約束しなければならない。まず、それが第一だ。
サルウォス王は動かない。彼はただ、じっと他でもない海良の頭を眺めていた。琥珀色の瞳の奥には、嫌悪も憎悪もない、ただ花瓶に飾られた花の散る様子を眺めるように、彼は言葉なく眼下の様子を観察していた。
誰も、シルビオさえも、その後は声を出さなかった。文官たちの騒めきは鎮まり、じっと王の採択を待つ。息の詰まるような沈黙が続く中で、宰相が苦しそうな囁き声を上げた。
「陛下、どのように致しましょうか」
そこで初めて、サルウォスは息を吸い込んだ。彼は突然、瞳を輝かせたかと思うと、王座から悠然と立ち上がり、一歩、また一歩と玉座から降りてくる。芝居がかった動作だが、茶々を入れる人間なんて一人もいない。誰もが彼の行動を、固唾を飲んで見守っている。
「まずはアンスリウム、異邦人の監視と捕縛についてはご苦労だった。貴殿ら騎士団の働きが、王都を支えていることは、ファング王国の民ならば皆が知るところ。褒めこそすれ、誰が謗ろうか。特にアンスリウム・クルシア。君の忠誠を疑ったことはない」
アンスリウムが深々と頭を下げる。それを満足そうに見届けると、今度はシルビオに視線を送る。彼の瞳は、慈愛に満ちていた。
「シルビオ・ワイズマン副団長、安心してほしい。彼に与えるべき罰などない。書状にもあった通り、彼は自分の任務を全うしただけだ。そしてこれからも、騎士団長として、私の助けとなってもらいたい」
「ありがとうございます」
呆然としたシルビオが、うわごとのように礼を述べた。腕の力が緩む。そこで初めて、海良は頭を上げて、はっきりと王の顔を見る。踵を返して玉座へと戻るサルウォスの頭上から、天窓の光が降り注ぐ。キラキラと光る蜂蜜色の髪に日の光が透けて、まるで稲穂のようだと思った。随分と、久しぶりにあった気がする。
再び玉座へと腰を下ろしたサルウォスは一転してつまらなさそうに、「それで」と頬杖をついた。
「帰還して最初の任務を言いつける。そこの異邦人の首を刎ねろ」
広間は平然としていた。まるでそれが自然な成り行きであるかのように、声を漏らす者もいない。ただアンスリウムだけが一人、今まで垂れていた頭を上げて、悲壮な顔で叫ぶように言う。
「できません」
「アンスリウム」
駄々をこねる子供を嗜めるような声で、サルウォスは彼の名前を呼ぶ。その声に導かれるように、宰相をはじめとした文官たちが気色ばんだが、アンスリウムは意に介さない。
「書状にお目通し頂いたのならば、陛下もご存じのはず。彼は災いを呼ぶ者でも、災厄の化身でもない、我々と同じ無辜の民です。もし、彼の命と引き換えに、私の逸脱行為が赦されるのだとしたら、到底受け入れることなどできません。騎士として、罪なき民草を斬って生き延びるなど、あってはならないこと」
アンスリウムは地面につくほど、深く頭を下げる。
「私の命を代償に、彼に自由をお与えください」
「勘違いするな。私は別に、異邦人の取り扱いについて、アンスリウムと駆け引きするつもりなどない」
サルウォスの声は脱力していた。肩を落とし、無感情な瞳で海良を見る。混じり合う視線の中には、何もない。アストラガスたち神官のような憎しみも、市中の人々のような恐れも、一塵も混じらない澄んだ瞳。
「アンスリウムに贖うべき罪はない。これまでの話は、それで決着がついている。そしてこれは、騎士団として異邦人の処分を命じただけのこと。聞けぬか?」
弾かれたように剣を抜いたのは、他ならぬシルビオだった。彼は海良の隣で刃を構えると、海良の首筋にひたりと当てて、瞳を細める。「シルビオ!」アンスリウムの怒号が響いた。
「騎士団であれば、お役目は誰でも構いませんよね?団長に代わり、私が仰せつかります」
騎士団がアンスリウムを押さえる。剣を抜こうとしたアンスリウムに体当たりをし、彼の長身が人垣へと倒れ込む。鎧が軋む不愉快な音と、悲鳴が広間を満たした。大騒動を傍に、海良の首につけられた刃は、未だ動かない。それなのに、嫌に非常さを滲ませた声でシルビオが言う。
「どうした、異邦人。そんなに震えて、人間の真似事か。命乞いでもしてみろよ」
貸し二つだぞ、と彼の声が聞こえた気がした。
実のところ、海良には確実な作戦があったわけではない。ただ、自分で決めて進んできた先にあった道だから、たとえこの場で首を刎ねられたとしても、一つの終わりとしては立派なものじゃないかと覚悟を決めていただけだ。その時になったら、みっともなく身の上話でもしてみようかな。それくらいだった。
話し合うことは大切だけれど、話し合いにすらならないこともある。でも、もし、幸福にも言葉を交わすことができたのなら、まず最初に、相手に何を語りかければいいのだろう。でもきっと、起始回生の一言も、逆転ホームランの一家言も、この世には存在しない。語りは重ねていかなければ、わかりあうことは難しい。アンスリウムも、アストラガスも、ラウルやゲンゲツだって、言葉を交わした時間は、決して短いものではなかった。
ただ、このほんの短い時間の中で、彼について一つだけ分かったことがある。ずっと俯いたまま耳を澄ませていたが、頭を上げた瞬間、ずっと感じていた違和感が腑に落ちた。だから、きっと彼が一番望んでいる言葉を、俺は用意することができる。
狙い澄ましたように、シルビオの刃が数センチ離れる。海良は真っ直ぐに、彼の無感情な瞳を見つめた。
「俺なら、クリーデンス・クレイウォルターを、あなたの元へと帰すことができます」
彼の拳から、頬が数ミリ浮く。陰鬱な睫毛が、微かに持ち上がった。二人の間に一本の道が繋がる。周囲の喧騒を遮断したかのように、海良の声はまっすぐ響いた。
「アンスリウムに俺を討たせるのは尚早です。その役目は、最後に、クリーデンスが負うべきだ」
アンスリウムが押しかける衛兵を跳ね返して剣を抜く。飛び退く文官たちを押し退けて、海良の元へと走り寄ると、今なお首元に当てられているシルビオの剣を、力一杯弾き飛ばした。甲高い音を立てながら、剣が落ちる。海良の体を守るように抱き寄せたアンスリウムは、鋭く剣を構えると、シルビオへと鋒を定めた。
「退け、シルビオ」
誰かが叫んだ。
「裏切るつもりか!クルシア!」
悲鳴のような非難の声に、アンスリウムは応えない。彼らの周りを、鎧の兵隊が取り囲む。一分の隙もなく組まれた円陣を牽制しながら、アンスリウムは一歩、また一歩と入り口へにじり寄る。手をさすったシルビオが、呆れたように言った。
「俺たち相手には剣を抜けないんじゃなかったんですか」
「もう腹を決めた。許せ」
「簡単に言ってくれる」
自嘲気味に呟いて、シルビオは笑った。サルウォス王の前に出て、彼の盾となっていた宰相が、その様子を見て叫ぶ。
「ワイズマン!早くクルシアを拘束しろ!」
お前ならできるだろう、と彼は続けた。アンスリウム・クルシアは魔術が使えない。それは周知の事実だった。一方で、その片腕たるシルビオ・ワイズマンが敏腕の魔術師であることも。だが、期待に反して、シルビオは諦めたように両手を上げる。
「いや、俺、あくまでクルシアさんの部下なんで」
シルビオの言葉と同時に、今まで抜刀していた騎士団全員が、刀を納める。その場の緊張感が一気に膨らみ、突けば弾けるほどだった。
文官たちが慌てて逃げ出す。宰相と同じように、王の前に立ちはだかる者もいた。衛兵たちはじりじりと間合いを詰め、アンスリウムの額には汗が伝った。
——その場の均衡を崩したのは、意外な声だった。
「もうよい、衛兵たちは刀を下ろせ」
玉座の上で、微動だにしなかった王が、そう声を上げる。戸惑う人々を一瞥すると、彼は再び厳しい口調で言った。
「刀を下ろし、宰相以下全員、退席せよ」
「王!?」
宰相を一瞥すると、サルウォスはつまらなさそうに、手で彼を振り払った。そして、思い出したように「ああ」と声を上げると、渦中の二人に瞳を向ける。
「異邦人、そしてアンスリウムは残れ」
今度こそ、広間から悲鳴があがった。彼はうるさそうに眉を顰めると、再び広間を一喝する。未だかつてない威厳のある声が響いて、そしてようやく、すべての衛兵が、文官が、そそくさと広間から出ていく。不安に顔を曇らせる宰相を最後に扉は閉められ、王の間には静寂が戻った。
アンスリウムが剣を納める。そして、あまりにも強く海良を抱きしめていたことに気がついて、慌てて彼の体から腕を解いた。
「すまない」
海良は二、三回、瞳を瞬かせた後、「いや」と笑う。頬に浮かべた笑みは、思いのほか柔らかく、細められた双眸には強い意志が滲んでいた。
「ありがとう、元気出た」
「なんだそれは」
海良の口からこぼれ出た感想があまりにも突拍子がなくて、アンスリウムは笑う。こんな状況にも関わらず、なぜか胸中に安堵が広がった。
不意に、足音が響いた。二人は顔を上げ、音の出所へと目を向ける。
サルウォス王が玉座から離れ、二人の元へと近づいてくる。
「全く……異邦人が災厄を呼ぶとは、うまく言ったものだ。実に効果的な甘言だったぞ。本当に悪魔か何かなのか?」
サルウォスは幾分か砕けた口調でそう言うと、二人の前で立ち止まると、尊大な態度で両腕を組んだ。蜂蜜色の瞳に光が篭る。
「君、名前は?」
それが海良に向けられた言葉だと分かるまで、少しの時間がかかった。視線の先にいるのが自分だと気がついて、海良は思わず目を見張る。「君だよ」サルウォスが指を指した。
「海良、真です」
「カイラ。俺は君の提案に乗ることにした」
がらんとした広間に、サルウォスの声が響く。そうして彼は、未だ混乱の最中にいるアンスリウムに向き直り、皮肉げに唇の端を持ち上げた。
「アンスリウム・クルシア、叛逆罪を以て貴殿の騎士団長としての任を解く。が、そんなものは方便だ。後に控える大戦では、お前は自由に戦え。今まで通り騎士団も使うが良い。狼藉者どもを一網打尽にし、そして、このカイラを守って、決して死なせるな」
アンスリウムは、声も出ない様子だった。何もわからないのだ。彼らの間に交わされた密約も、王の思惑も、何もわからない。それでも、彼は声を絞り出す。
「拝命致します」
サルウォスは満足そうに頷くと、今度は海良へと向き直る。
「では少し外を歩こうか。話したいことがいくつかある。なに、人払いはしてあるから安心しろ」
そう言って、海良の返事を待たずに歩き出す。一歩、二歩で立ち止まって、サルウォスは振り返らないまま、躊躇いがちに言葉を舌の上へ乗せた。
「あれは、何か言っていたか」
海良だけには、その意味が分かった。だから、一つ頷く。
「王都で働いてる弟とは、時々手紙のやりとりをするんだって、笑ってました」
「そうか」
サルウォスは安心したようにそう呟くと、庭園へと続くドアを自らの手で開け放った。




