蔦王の戦城-7
地面を掘る男がいた。必死の形相で地面にしがみつきながら、無心で両手を動かして指で土を掻き出す。爪に小石が当たって血が滲むが、少しも痛みは感じなかった。掘っても掘っても、そこにあるのは土ばかりで、男はついに苛立って、先ほど自らが放りだした剣を拾うと、その剣先で土を抉り始めた。
「おい、騎士様!それはちょっと聖剣が可哀想なんじゃないか!?」
見ていられなくなったヒューイがそう叫ぶが、男は顔もあげずに、ただひたすら地面を掘り続ける。
ガチンっと何か固い物にぶつかった音がして、剣の動きが止まった。それでも男は懲りもせず、機械のように手を動かし続ける。何度も何度も、剣を地面に突き刺した。
「やめろ、騎士様!おい、クリーデンス!」
ヒューイが男の名を呼ぶと、そこでやっとクリーデンス・クレイウォルターは顔を上げてヒューイを見た。クリーデンスの目を見るまで、ヒューイはてっきり、クリーデンスはおかしくなってしまったのだと思っていた。
異邦人たちが地割れに落ちた後、その場に残った者のほとんどが、彼らの墜落と同時に動きを止めた魔術砲に気を取られて、空を見上げていた。その中で一人、ヒューイに向けた刃を放り出して、クリーデンスは異邦人たちが消えた亀裂に飛びついた。そして気が狂ったかのように、まるで異邦人の後を追いかけるかのように、ひたすらに穴を掘り始めたのだ。
だから、クリーデンスはおかしくなってしまったのだと思った。しかし、それがどうだ。たった今しがたようやく見えた彼の瞳は、まるで正気だった。端正な顔立ちを土埃で酷く汚し、指と爪の間には石が挟まって血が流れているのに、クリーデンスの瞳にはしっかりと意志が籠っていて、ヒューイに真っ直ぐ突き刺さる。そのアンバランスさに、ヒューイは身震いをした。
「黙れよヒューイ。俺は、彼を助けなければならないんだ」
厳しい口調でクリーデンスが言う。
「彼を助けないと。お前を殺すのはその後だ」
そしてクリーデンスは再び剣で土を抉る。剣は炎の風を纏うと、小さな爆発音と共に足下の地面を破裂させた。クリーデンスの期待とは裏腹に、土埃の中から露出したのは、大きくて平らな石碑の基礎部分だった。それは上部が破壊されて土台のみになったにも関わらず、砲が起動した時のように薄く光り輝いている。クリーデンスは何度かその石板に向かって聖剣を振るったが、どういうわけか傷一つ付けることはできなかった。
「いい加減諦めろよクリーデンス。これだけ掘っても出てこないんだから、もっと深い所でもう死んでるよ」
「うるさい!」
静止するヒューイを怒鳴りつけて、クリーデンスは一心不乱に眼前の基盤を叩き続けた。何度も何度も力任せに剣を振るう。そこには意図も、技術もない。ただ腹の底から込み上げてくる怒りと、どうしようもない焦りだけが漠然と揺蕩っていた。
いつもそうだ。いつだって手遅れになる。どうしてだろう。何が悪かった?今度は絶対に彼を守ると誓ったのに、俺はまたこうして、彼の温もりを失った。もっとちゃんと詳しく説明するべきだったかもしれない。怖がらせてしまったから、彼は俺の手をするりと抜けて、その隙を獣人に攫われてしまった。伸ばしてくれた手を掴めなかった。怖い思いをさせた。首も痛かったろう。そうして最後には、助けを求めることさえ辞めてしまった。彼の寂しげな瞳が脳に焼き付いて離れない。俺が不甲斐ないばかりに、俺が頼りないばかりに。
俺はまた、彼を死なせてしまったのだ。
頭が割れるように痛かった。目の前が歪むように眩んで、吐き出す息は細く狭く掠れていた。もう聖剣を握っていることすら怠くて、クリーデンスは酷く乱暴に肩の力を抜いて腕をだらりと下げた。剣先が鋭く基盤を叩く。ただ、断崖に打ちつける波の音が響いていた岸壁に、痛々しい金属音が高く冷たく響き渡った。
「クリーデンス?」
ヒューイが恐る恐る彼に声をかける。何か大事な糸が突然ぷつりと切れてしまったかのように身じろぎ一つしなくなったクリーデンスは、ヒューイの呼びかけにも返事をせず、ただぼうっと虚空を眺めていた。
森の方から強く風が吹き付けて、その場にいた誰もがその苛烈さに一瞬瞳を閉じた。轟音が鼓膜を叩く。小枝や木の葉が頬を掠って、空に高く舞い上がった。土埃を巻き上げながら吹き抜けた風は空へと上がり、清涼な青空の彼方へと消えていく。顔にまとわりついた稲穂色の前髪を億劫そうに掻き上げたクリーデンスは瞑っていた目を開けて、白波の彼方に風の行方をじっと追い、そうしてしばらくしてから、はらはらと涙を流した。
ギョッとしたのはヒューイだ。それまで気丈に立っていた男が、今はまるで迷子の子供のように立ち尽くして泣いている。声なく静かに流された涙はぽたぽたと土に跡を残し、それは次第に嗚咽へと変わった。その姿があまりにも悲痛で、ヒューイは思わず弾かれたように彼に駆け寄った。服は土に汚れて、血に濡れている。泣いている男に貫かれた肩が腹立たしいほどに痛んだ。彼の側へと近づいて、それから、自分が何をしようとしていたのかを見失う。衝動的に側まで来たが、仲が良いわけでもない男を優しく慰めるつもりもない。どうしていいか分からず困惑したまま、ぼたぼたと際限なく滑り落ちる涙の跡を辿って栄光の騎士の顔を覗き込んだヒューイは、思わず口を噤んだ。
クリーデンスの瞳は憎悪に満ちていた。
キラキラと切なげに流される涙の源流には、混沌とした暗い色が渦巻いて、端正で誠実な相貌は憎しみに歪んでいた。
「殺さないと」
ぽつりと、クリーデンスが呟いた。込められた殺意を間近に浴びて、ヒューイは総毛立った。ごっそりと感情の抜け落ちた声で、クリーデンスは繰り返す。
「先に殺そう。そうしないと、あいつらはまた俺から彼を奪うだろう」
それしかない。そうしておけばよかったんだ、とうわ言のように彼は呟いた。それから冷たい瞳でヒューイを睨め上げ、冬夜の石のような声で言った。「お前は?」
「……え?」
恐怖で喉の奥が凍りついた。呼吸が掠れて、息がうまくできない。指先一本ですら、間違った動きをすれば死ぬ。咄嗟にそう思った。
「次に行く前に、真を傷つけたお前を始末しないといけないんだが、その前に一つ思い出したんだよ」
「次……?」
「ああ、次に彼が戻ってきた時のために安全な環境を整えないといけないから、先に王都を潰すことにした。あれは邪魔だ。それで、たしか、お前もそうだと言っていたな。それならまあ、お前の始末は王都の後にしてもいい」
ヒューイにはクリーデンスが何を言っているのか微塵も理解ができなかった。彼が滑稽なほど手厚く保護していた異邦人は落盤に巻き込まれて死んだ。次とは、次の異邦人のことを指すのだろうか。だが、それを「彼」と呼称するのは、些か不自然な気がした。この男が何を考えているのか、ヒューイには分からない。分かるわけもなかった。市井の噂によれば、栄光の騎士クリーデンスは五年前に恋仲の異邦人を斬首されてからというもの、精神的におかしくなってしまったらしい。そんな異常者のことを理解できるはずもないし、するつもりもない。ただこの男のうわごとに大切なことがあるとすれば、それはこの男は自分を殺そうか迷っているということと、失敗したと思っていた王都破壊計画に未だチャンスが残っているという二点だけだった。
ヒューイの心が沸き立つ。
「お前は俺の役に立つのか?」
冷淡な問いかけに、ヒューイは目をギラつかせ、歯を剥いて笑う。
「王都を粉々にぶっ壊してぇ」
眉一つ動かさず、クリーデンスは無感情にひとつ頷いた。そうして名残惜しそうに足元の基盤を視線でひと撫ですると、海に背を向けて歩き出す。慌てて追い縋るヒューイを振り返ることなく、彼は森の中へと足を踏み入れた。
「どうするつもりだ?」
ダメ元でヒューイが問う。
「俺は獣人に話をつける。お前は仲間を連れ戻せ」
意外にも簡単にクリーデンスは答えた。それはとんでもない言葉ではあったが、その底知れぬ殺意への恐怖か、はたまた狂気への歓喜か、ヒューイは背筋がゾッとした。鼓動が弾む。いい展開だ。楽しいことになりそうだった。
「止まれ、クリーデンス!これ以上進めば斬る!」
背後から鋭い声がかけられて、クリーデンスとヒューイは足を止めて振り返った。銀髪を振り乱した一人の騎士が、片手に剣を携えて近づいてくる。その後ろに控えた騎士団の兵士たちを一瞥して、クリーデンスは面倒くさそうにため息をつく。騎士団長であった男を失った時点で、クリーデンスを止められる人間などこの場にはいない。それでも任務を全うしようとする彼らの真摯な態度は、呆れるほど純粋で滑稽だった。心から拍手を送りたいくらいだ。くだらない。
そのまま彼らを無視して歩き出そうとしたクリーデンスに、銀髪の騎士が肉薄する。それを振り返ることもなくクリーデンスは片手でいなすと、そのまま男を地面へと叩きつけた。男が苦しそうに呻き、咽せる声を聞きながら、クリーデンスはその場を後にする。足を止めて殺す時間も惜しい。彼らに関わっている場合ではないのだ。
道中にいる騎士団を力でねじ伏せながら、クリーデンスは歩み続ける。森林に炎が舞い、剣戟が鳴り響く。彼を留められる者は誰もいなかった。つまらなさそうに聖剣を振るいながら、クリーデンスは東へ向かう。守るものがいない今となっては、新緑騎士団など相手にもならなかった。
二人の男の遠ざかる背中を睨みながら、地面に伏せたままのシルビオは奥歯を食いしばって立ち上がる。足取りは覚束なく、立っているのがやっとだった。痛む肺に顔を歪め、胸のあたりを庇いながら、彼は声を振り絞った。
「今すぐ王都の守りを固める!すぐに戻るぞ!」
「しかし、団長が……!」
近くの兵士から上がった非難じみた声に、シルビオは背後を振り返る。割れた地面の上には新たな土砂が静かに横たわり、その下に生物が生きている気配など感じられない。何も考えずにあの下を掘り返すことができたなら、どれほど救われただろうか。きっとこの場にいる騎士団の誰もがそう思っている。だから、シルビオは言わねばならなかった。
「騎士団としてすべきことを優先しろ。団長ならそう言う」
誰もが後ろ髪を引かれる中、こうして新緑騎士団は王都へ向かって馬を走らせることを決めたのだった。




