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教会の予言巫-5

 三人の視線と沈黙を平然と受け止めたゲンゲツは、キョトンと惚けた顔で首を傾げた。あまりにも無頓着な彼の態度を目の当たりにしたアンスリウムは頭を抱え、低く唸る。


「自分が何を言っているのか理解しているか?」


 地を這うような声でそう問いかけたアンスリウムに、ゲンゲツはあっけらかんと頷くと「それよりも。」と前置きをしてから、目を細めて言った。


「貴殿がそんな心配をする方が、私にとっては驚きだが。」


「茶化すな。そもそも、俺が気がかりなのはお前ではない。」


 アンスリウムは不機嫌にゲンゲツの言葉を遮ると、軽く瞼を持ち上げて、開いた指の隙間から海良に視線を投げかける。


 視線の先で、海良は酷く思い詰めた表情をしていた。暗がりに沈んだ瞳が揺れている。彼の立場を考えれば、それも当然だ。彼の案が正常に機能するかどうかを、知人の身を使って試せと言われているのだ。正気でいられるはずもない。


 失敗すれば、ゲンゲツがどうなるかは分からないし、そもそも「失敗」というのがどういう状態を表すのかも未知だ。何が起こるのか、人知の及ばない状態で、それを試せと言われて心が揺るがない人間など存在しないだろう。


「だが、それは少し自分勝手すぎるだろう。」


 ゲンゲツが言う。まるでアンスリウムの心を読んだかのように、そう彼が言い放つものだから、アンスリウムは思わず驚いて顔を上げる。そこにあるのはいつもの見知った獣面だったが、顎を撫でる彼の仕草はまるで、人間そのものだった。


「初めから動かぬ石であれば無謀に挑めても、よく知った動く獣相手には躊躇うと、それは少し……。そうだな、道理が通らぬよ。なに、言いたいことは理解する。私も石木ではない。」


 穏やかに、歌うように、彼は言葉を紡ぐ。この男には、出会った時からそういうところがあった。獣人たちの願いのためには血眼になって立ち上がるくせに、自分のことになるとまるで、水槽の中を泳ぐ観賞魚を眺めるように、一歩距離を置く。出会った当初、神経を逆撫でするほどに理知的だと思ったことはあったが、今になってそれは全く誤解であったことをアンスリウムは思い知っていた。彼は理知的なのではない。彼は、彼自身の存在をこの世に置いていないのだ。時としてこちらが戸惑うほどに。


「私で試しなさい。」


 導くようなゲンゲツの言葉を聞いても、海良は動けずにいた。受け入れることも、拒絶することもできず、ただじっと必死に忙しなく動き回る心の中を探る。彼の言うことに納得しそうな自分がいる一方で、それを拒否する自分もいる。ゲンゲツの言っていることは理解できる。けれど、それに従ってもいいのかと考えれば、途端に何かが胸に迫り上がってくる感じがした。


「必ずしもゲンゲツで試す必要はない。このまま何もせず教会を離れてもいいんだ。」


 決めかねている海良に、アンスリウムが助け舟を出す。今ここで決めなければいけない話でもないし、どうしてもというなら一度離れて戻って来ればいい。


 そもそも、海良からこの提案がなされるまでは、そういう話だったはずだ。別に今すぐこの教会の状態をどうこうできなくても、文句を言う人間などいない。


「ラウル、お前も何かいってやれ。」


 いつも海良を宥める役回りになりがちな吟遊詩人に声をかけて、アンスリウムはふと、彼が口元を抑えて狼狽ていることに気がついた。そういえば、先ほどから口をきいていない。ラウルはアンスリウムの声に応えず、視線を彷徨わせて俯いたかと思うと、時折顔を上げて口元を引き締める。そうして、しばらくしてからようやく、自分に視線が集まっているのに気がついて、きまり悪く微笑んだ。


「あ……。ごめんなさい。」


 彼らしからぬ歯切れの悪さで、そして戸惑うようにラウルが瞳を泳がせる。何かを決めかねて迷っている彼の仕草が、アンスリウムの不安を煽った。


 普段は軽快に動く軽やかな唇を強く結んだラウルは、不器用に口角を上げようとして失敗し、引きつった表情のままで困ったように瞳を揺らした。それがあまりにも無様な誤魔化し方であることを、ラウル自身も気がついている。それでも、どれだけ無様でも、口を開けば酷い言葉を口にしてしまいそうな自分がとても怖かった。


 アンスリウムの強い視線を受けながら、ラウルは奥歯を噛み締める。彼が自分に期待している役回りは理解しているつもりだ。いつだって、ラウルは海良の選択肢を広げるように言葉を紡いできた。迷子になって困っていた自分を助けてくれたあの日、あの夜に篝火の前で不安そうにしていた一人の少年が異邦人なのだと知った時から、彼には彼という一人の善良な人間として、無責任に生きてほしいと願っていた。


 そう願いながら、海良やアンスリウムに言葉を投げかけてきたのだ。アンスリウムが今この時もそういう役目をラウルに期待するのは、自分でも当然だと思う。


 シンくんの思う通りにすればいいんです。そう言えばいい。それだけだ。そんなことは分かっている。

あなたの決めたことに付き合うと言ったじゃないですか、と笑えばいいのだ。それで、彼が赴くままに自分もそこへとついて行く。ゲンゲツだってそれを咎めたりはしないだろうし、最近の言動から考えてもアンスリウムはそれを望むはずだ。


でもどうしても、頭の隅で囁く声が消えてくれない。口を開けば、その声が外へ漏れ出てしまいそうで、ラウルはどうしても彼に言葉をかけることができずにいた。


「ラウル。」


 アンスリウムが強く呼ぶ。厳しく顰められた表情に、心配の色が見え隠れするのが分かってしまって、ラウルは小さく声を漏らした。


「私……と、しては。」


 狭くて暗くて埃が舞う小さな小部屋で、そこにいる全ての瞳がじっとラウルを見つめている。その視線に圧されながら、ラウルは用意した通り一遍の言葉を紡ごうとして、息を吸い込んだ。


「シンくんとゲンゲツさんの案に賛成します。」


 アンスリウムが目を見開いて、あんぐりと口を開けた。物憂げに沈んだ表情をしていた海良の瞳が、ゆらりとラウルの形を撫でる。そしてゲンゲツはというと、相変わらずよく分からない表情で、目に見えて面白そうに笑っている。穏やかに、見透かすように、彼は笑う。


「つまりラウルは、シンの考えをゲンゲツで試すべきだと、そういうことでいいのか。」


 アンスリムが恐る恐るといった様子で投げかけてきた問いかけに、ラウルはしっかりと頷く。


「私は、それがとても都合が良いと思います。」


「都合?」


 怪訝そうに眉を寄せるアンスリウムを見て、そして、その隣にいる海良に視線を滑らせる。彼は嫌に姿勢を正して、じっとラウルの言葉に聞き入っている。驚くでもなく、狼狽するでもなく、海良はじっと探るようにこちらを見ていた。まるで、ラウルが何を考えてそう発言したのかを探るように。ラウルの結論を、そこにたどり着いた道筋に目を凝らすように。だから、ラウルは言葉を続ける。


「おそらくなのですが、私とアンスリウムさんでは、前提として持っている情報が違うのです。アンスリウムさんのご意見も分かっているつもりですよ。根拠も準備もない未知の実験に、ゲンゲツさんの身を無理に晒すことはないだろうと、そういう思いは理解しています。」


 アンスリウムが気まずげに瞳をそらした。


「ですが私は、ゲンゲツさん以上の適役はこの世にいないと思っています。それはきっと、シンくんも分かっているでしょう。分かっているから、これだけ戸惑ってる。」


 海良が息を呑んだ。それは、ラウルの予想がぴったりと当たっているという証拠だった。そもそも、確証もなく無謀なだけの試行ならば、いくら海良自身が言い出したことだとしても、彼がそれを許容するはずがないとラウルは思っている。それは、彼が全く善良な人だと心から信じているからであるし、背負う必要のない罪を背負おうとした愚かな姿勢を見続けてきた末の結論でもある。だから、すぐに否定しない時点で、彼もまた自分と同じような、酷い言葉が頭に浮かんでいるのではないかと思ったのだ。


 今までは、アンスリウムが海良の甘えを許さずにきた。それがここにきて、アンスリウム本人にも自覚があるようだったが、礼拝堂の一件から彼の態度が軟化している。仲間意識が強くなって、海良を思いやるようになった。でも、駄目なのだ。


 彼が言わないなら、自分が言う。


 アンスリウムが逃げ道を与える側に立つなら、己は彼に事実を叩きつけよう。


「私は、ゲンゲツさんが実験台になってくださると言うのであれば、それはとても都合がいいと思います。何故ならば、ツワブキ宿場を発ったあの日に、彼の歌が出来上がっているからです。」


 海良は息を呑んだ。胸の奥の方で呼吸が狭くなって、鳩尾の下あたりがズキズキと痛みだす。頭の中で忙しなく鬩ぎ合い、混ざり合ってごちゃごちゃになっていたものの中から、ひょっこりと嫌悪感が顔を出す。それがとても、心に痛い。


ラウルが畳み掛ける。


「アンスリウムさんが不貞腐れて食堂で拗ねていた夜に、私とシンくんはゲンゲツさん本人から彼の半生を聞き、私はその日のうちに歌を作りました。ゲンゲツさんには、シンくんの求める『正気を帯びた記録』がすでに用意されているんですよ。その上、期せずして私たちは彼の本来の姿まで目にしている。目に見えるゴールがある異形は、今ここにゲンゲツさんしかいないんです。」


 ラウルは彼を信頼していた。これは全て、海良自身が理解していることに違いない。分かっているから彼は迷うのだ。そしてその迷いは正しい。


「ゲンゲツさんは先ほど、よく知った動く獣であるから迷うのは勝手がすぎると仰いましたが。」


 毛深い耳が微かに震えた。深海のような静けさで穏やかな瞳をした獣人は、口を挟むことなく、ただラウルの言葉に耳を傾けている。


「私たちがあなたのことをよく知っているからこそ、危険な役回りをお願い申し上げたい。」


 いつになく強い口調でそう言うと、それっきり、ラウルは口を閉ざした。自分は当事者の中の一人だが、ここから先の決断はどうあがいても海良一人に委ねられる。どれだけラウルが賛成意見を推したとしても、一度海良が首を横に振れば決行に移されることはない案なのだ。


「どうする、シン。」


 アンスリウムが気遣わしげに、それでも少年に決断を迫る。


 海良は、じっとゲンゲツの瞳を見つめていた。呼吸は嫌に落ち着いていて、心は穏やかに凪いでいる。先ほどまで胸に迫り上がっていたものは、今は重く腹の底を揺蕩っていた。それはずっと、ズキズキと痛むけれど。


「ゲンゲツさん、俺、すごく酷いことだと思う。こんなのは酷い。」


「ああ。」


 ゲンゲツは笑う。ラウルは黙って拳を握りしめた。


「俺が考えたこと、ゲンゲツさんで試させて下さい。」


 頭は下げなかった。視線を逸らさずに、真っ直ぐにゲンゲツを見て、海良はみじろぎ一つせずに彼の返事を待つ。


「引き受けよう。」


 ゲンゲツはやっぱり、まるで人間のような仕草でクスリと笑った。

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[良い点] 一気に読み進めてしまいました。無理やり異世界召喚されて足元も覚束ない少年の等身大の冒険がどうなるのか 気になります! [気になる点] クレイとは今後どうなっていくのかも気になりますし、敵対…
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