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教会の予言巫-3

アンスリウムが窓を開けて外を覗き込む。冷たい風を受けながらも下界を見下ろすと、二つの目を凝らして地面との距離をじっと測った。


「壁の装飾を足場にすれば、下に降りることはできそうだ。」


「何を簡単そうに言っているんですか、このスットコドッコイ。私が無理です。」


「偉そうに言うな。」


 ラウルの苦情を受けて、アンスリウムは一度窓を閉めて考え直す。ここは二階で、扉は何らかの方法で堅く閉ざされており、その上に扉の向こう側には人の気配がする。足音や話し声から二人程度であることを考えると、どうにかして扉を破ったところで、その先に待ち構えている二人の男をアンスリウム一人で相手にすることになる。少しでも手間取れば、二人のうちの一人がすぐに応援を呼びに行ってしまうだろう。


 無理だな。


 扉から出ることは早々に諦めて、やはり唯一の出入口である窓へと意識を集中する。


「まず俺が先に下に降りる。」


「なるほど。」


 ラウルが頷いたのを確認して、アンスリウムは言葉を続けた。


「そのあと、一階正面玄関から再び取って返して、入り口の前の見張りを昏倒させたあと、扉を開けてラウルをこの部屋から出す。」


「アンスリウムさん、先ほどの案を拒否っていて失礼とは思いますが、それは無理でしょう。あなたもお分かりのはずです。」


 そう、ラウルの指摘は正しい。理論的には不可能ではないこの案は、しかし現実的に最も実現し難いものでもある。


「あなた、神官様たちを傷つけることができないのでしょう。」


「その通りだ。」


 騎士であるアンスリウムに、神官たちを傷つけるという選択肢はない。しかもそれが、異邦人を救出するためになどと、決して許されることではなかった。


「それならまだ、ここから飛び降りる方が現実的ですね。さっさとシンくんを助けにいきましょう。」


「いや、飛び降りるのではなく、壁を伝って降りるだけだ。」


「同じようなものですよ。あなたには違うのかもしれませんが。」


 今にも破裂しそうな心臓を気力だけで抑え込んで、ラウルはアンスリウムが立つ窓際まで歩み寄った。恐る恐る外を見て、その高さに目眩がする。二階という高さは絶妙で、なんだか飛び降りれるような気もするし、飛び降りたら絶対に怪我をするだろうという確信もある。想像するだけで痛い。


「シン君は地下に連れて行かれたはずです。彼を連れて早くここを離れないと……。」


 騎士団がやってくる。その言葉を、ラウルは口に出せなかった。


 隣で黙り込んでいるアンスリウムも、ラウルが言いたいことは分かっているのだろう。それでも、彼も何も言葉を発しない。やってくるのは、彼の同僚だ。


 窓から離れて、ラウルは今までずっと身につけていた帽子と、外套を脱ぐ。ひらひらと風を受けるこの格好では、上手く壁を伝うことなんてできない。そして、備え付けてあったベッドの上に、後生大事に抱いて来た竪琴を寝かせた。


 苦楽を共にして来た大切な商売道具だが、これを担いで行けるほどの技量は自分にはない。今はそれよりも、早くここから脱出しなければならなかった。


 ふと、ラウルの隣に影が落ちた。いつの間にか窓際からベッドの横へと移動して来たアンスリウムが、置いたばかりのラウルの竪琴を手に取ると、しっかりと小脇に抱える。


「俺が持って行こう。」


 彼の言葉に、ラウルは絶句する。あの傲慢な騎士が、まさかそんなことをするだなんて、夢にも思わなかったのだ。


 じっと見つめていると、騎士が先に目を逸らした。それがおかしくて、ラウルは顔を綻ばせる。人は変わるものだ。彼も随分と変わった。シンに魔術を教えると言い出した時から、アンスリウムから頑なさが抜けた。


 それはラウルとしては歓迎すべき変化であったが、彼自信に取ってもそうなのかは、ラウルには分からない。あれだけ頑なに呼ばなかった異邦人の名を呼び、あまつさえ訪い人と言い切った彼の心情を思えば、吟遊詩人としての勘が少しだけこの先に不安を感じた。


「よし、では一息にいきましょう。」


 憂いを振り切るように、ラウルは窓枠に足をかける。窓の外に体を放り出してしまえば、あとは死に物狂いの自分がどうにか頑張るだろう。落ちたら落ちた時だ。


 体を乗り出して、壁にある些細な窪みに足をかけようとしたラウルだったが、突如として彼の体は強い力で引き上げられた。何が起こっているのか分からないまま、ラウルの足はされるまま、壁から離れる。


 一瞬、死を覚悟した。


 このまま真っ直ぐ下へと落下する、自分の陽炎が見えた。


 ギュッと目を瞑ってその時を覚悟したラウルだったが、しかし、いつまで経っても思い描いた浮遊感はない。どういうことか事態が把握できずに、ラウルはそっと瞳を開けた。


 そして、己の首根っこを掴んでいる毛むくじゃらの手を見つけた。


「ゲンゲツさん。」


「身を投じるのは少し早いのではないかと思うのだが、どうだろうか、ラウル殿。」


「ゲンゲツ、お前、逃げおおせていたか!」


 窓から顔を出したアンスリウムが喜色満面で叫び、仕舞ったというようにバツの悪い顔で口を噤んだ。外の見張りに声を聞かれるわけにはいかない。なんせ、教会の外壁に獣人が張り付いているのだ。


「貴殿らがなかなか帰らなかったのでな。馬車から下りて、近くの林に身を隠していた。そのうち、神官たちが大勢教会の中へと入って行ったから、これは面倒ごとが起きそうだと思って木立の上から様子を見ておったのだ。」


 首元を掴んでいたラウルを部屋の中へと戻して、後に続いてゲンゲツも中へ入ってくる。絨毯の上に足を置くと、厳しい毛並みを纏った腕を器用に組んで「さて。」と言う。


「貴殿らの様子からいって、窓から脱出するつもりなのだな。」


「その通りだ。」


 アンスリウムが答えた。


「シンは地下に閉じ込められている。そこは唯一鍵のかかる部屋で、窓がないらしい。」


 アンスリウムがそう言うと、ゲンゲツが微かに身を震わせた。毛並みが逆立ち、目を見開いて、口はポカンと開いている。人間であれば、さぞかし間の抜けた様子に違いなかったが、深い毛並みに覆われた今の体のおかげで、この部屋でそれに気付けるものは誰もいなかった。


「どうした、ゲンゲツ。」


 不審そうに眉を寄せるアンスリウムに、ゲンゲツは無言で首を振る。よく見れば、アンスリウムが小脇に抱えているのがラウルの竪琴だということに気がついて、ゲンゲツはまたしても言葉を失った。


 自分がいない間に、教会の中で何が起きたかは知らないが、どうやら良い方向に事が動いたらしい。それは、ゲンゲツにとっては一種、救いでもあった。


「いや、すまない。その部屋であれば、恐らく知っている思う。」


 ゲンゲツがそう言うと、二人の顔に希望が滲む。


「そうですよね。ゲンゲツさんは、教会に来たことがあるんですもんね。」


 ラウルの言葉に、ゲンゲツが頷く。


「もし建物が当時のままであれば、そこは脱出経路の一つだ。」


「脱出経路。つまり、有事の際に使う隠し通路、ということか。」


「左様。小さな小部屋で、普段は物置として使われていた。地下で窓がなく、採光手段を全て断った造りのため、万が一敵がその部屋に立ち入っても、隠し通路に繋がる扉を見つけることに手間取るようにしてある。」


 ゲンゲツの説明に、ラウルが感嘆のため息を漏らした。


「さすがゲンゲツさん。本当に、王付きの騎士だったんですね。」


 彼の言葉にゲンゲツは首を振った。


「正確には衛士だ。私が人の身であった頃に、騎士という役職は存在しなかった。私はただの衛士隊長だとも。さて。」


彼の掛け声に、二人が顔をあげた。先ほどまでとは違い、今は明確にやるべきことが分かっている。


「隠し通路の出口まで案内する。ラウル殿は私が負ぶって降りよう。」


 ゲンゲツの申し出に、ラウルは頭を下げた。


「助かります。」


「アンスリウム殿も、それでよろしいかな。」


「ああ。」


 大きな背中にラウルを負ぶって、ゲンゲツはその巨体で窓を潜って外へ出る。獣人である体は、ラウル一人の体重が加わったところで、片手が一本あれば壁に張り付くことができる。そうして外に誰もいないことを確認してから、ひらりと身を踊らせる。飛ぶようにして、彼らは地面へと辿り着いた。背中のラウルは目を回しているが、それもじきに回復するだろう。


 後を追って、アンスリウムが降りてくる。


「迎えはご入用か?」


「結構だ。」


 一歩一歩確実に足場を伝って、それでも身のこなしは軽く、危なげなく地上に辿りついた彼は服についた土埃を手早く払うと、ゲンゲツを見た。案内しろ、ということだろう。そう当たりをつけてゲンゲツが歩き出す。


「ゲンゲツ。」


「通路は、この先を少し行ったところだ。」


「助かった。」


 まるで独り言のようにポツリと呟かれた言葉が耳に届いて、ゲンゲツはフルリと毛並みを震わせ、目を細めた。


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