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北の教会-10

 あまりのことに驚いて、海良の涙はすっかり止まっていた。

 

 さっきまで悲壮な思いに暮れていたのが嘘のように、今は心に驚きしかない。どうして彼らは、俺のことをこんなに許してくれるんだろう。アンスリウムもラウルも、彼らはファング王国の人間で、自分は異世界から来た異邦人だ。俺はラウルに嘘をついたし、アンスリウムに至っては正真正銘の敵同士だったはずだった。それなのに、彼らはこんなにも俺という人間を許してくれる。


 どうして彼らが俺の名前を呼ぶ声は、こんなにも暖かいのだろう。


 凝り固まっていた心の重さが、そっと解れていくようなそんな感覚を、海良は胸の奥でしっかりと抱え込んだ。それはまるで、地下洞窟の暗闇に照らしたあの篝火に似ている。


 柔らかく、暖かで、頬を濡らすような穏やかさ。それはとても心地良くて優しいから、海良の心にそっと溶け込んだ。彼らの優しさを跳ね返す理由など、海良にはなかった。


「俺じゃない。」


 するりと海良の口から、そんな言葉が突いて出た。


 頭を垂れていたアンスリウムが、覗き込むように顔を上げる。アンスリウムの目は伏せていた海良の目とパチリと合って、互いの瞳がくらりと揺れた。


「そうだ、シン。お前は悪くない。」


「俺は悪くない。だって俺は何もやってないんだ。この世界に勝手に連れて来られて、意味も分からずに命を狙われて、災厄を運んでくるんだって罵られてきた。俺は何もしていないのに。だから、謝罪はやめた。懺悔もなしだ。」


 海良を抱きしめていたラウルの腕に、きゅっと力が籠った。その腕にそっと手を添えて、海良は大きく深呼吸をする。


 やってないことには、責任を取らなくてもいいのかもしれない。


 それでもあの時、洞窟の中で憧れたのは、行き先を照らす力強い日の光だった。


「俺は、彼らを助けたい。」


「は……。」


 アンスリウムが息を吐く。その吐息に戸惑いが混じっているのを感じて、海良は悪戯っぽく微笑んだ。もう大丈夫だと示すように。


「ロータスの呪いを解く。異邦人が彼らを石に変えたのなら、異邦人である俺なら、彼らを人間に戻すことができるはずだ。そうだろ。」


「お前、何を言っているのか分かっているのか。」


 アンスリウムの問いに、海良はあっさりと頷いた。


「どうせゲンゲツたちの呪いも解くつもりだったんだ。この際、石も獣もそんなに変わらない。一緒だ。」


「一緒ではないだろう。よしんば一緒だったとしても、お前はまだ魔術のイロハも知らぬ段階であって、誰かが行使した正体不明の魔術を解析して、それを打ち消す魔法を構築するなど夢のまた夢であってだな。」


「あはははははは!」


 ウンウンと頭を捻りながら呻くように言葉を紡ぐアンスリウムの横で、ラウルが豪快に笑い声を上げる。その声は天井に反響して、礼拝堂中を満たした。


「笑っている場合か。」


「だって、とても良いじゃないですか。そういうことなら話は別だ!」


「お前は他人事だと思って……。」


「他人事なんて思ってませんよ。それ、私も手伝います。シンくん。西の教会も東の塔も、君の力で全て救いましょう。」


 抱いていた体を勢いよく離して、ラウルは海良の前に手を差し出す。初めて間近で見る彼の手は、思っていたよりも厚くて傷だらけだった。それもそうだ、と海良は思う。だって、彼は旅の吟遊詩人なのだ。ずっと旅を続けてきて、いろいろなことがあったに違いない。


 そっと握り返すと、ラウルは嬉しそうに手に力を込めた。


「一宿一飯の恩義をお返しします。」


「そんな豪華なモンを食べさした覚えはないんだけどな。」


「で、アンスリウムさんはどうします?一抜けしますか?」


 挑戦的なラウルの問いかけに、アンスリウムは頭を抱えると、長い長いため息を吐いた。そして腹に力を込めると、力強く立ち上がる。じっと海良の目を見つめて、彼は言う。


「シンに魔術を教えると言ったのは俺だ。最後まで責任を持って教える。それに、ラウル一人では余りに頼りないからな。」


 手に持っていた剣を再び帯刀して立ち上がると、両手いっぱいを大きく広げて伸びをした。そして、そっと胸の上に手をやる。


「それに、俺にはお前を最後まで見張る義務がある。帰るところを見届けるまでが俺の仕事だ。」

 アンスリウムがそっと微笑んだ。



 何という茶番劇だろう。アストラガスは一人、目の前で起こっている出来事を、冷めた瞳で見つめていた。もう既に、怒りすらも湧き上がってこない。災厄をもたらす化物を、王国騎士が身を以て庇うなど、悪趣味にも程がある。

邪法によって傀儡とされていることに関しては哀れを感じるが、今最も優先すべきなのは、この異邦人の身柄を確保することだ。そのためには、この騎士と吟遊詩人は邪魔だった。この男たちをどうにか異邦人から引き離し、もっと「ちゃんとした」騎士に引き渡さなければならない。しかし、今ここにいるのは己一人。ただの神官である自分では、戦闘を本職とする騎士には敵わない。本気で抵抗されれば、こちらの命が危ないだろう。


 それでも。それでもだ。


 一番近くにあった石像の表面を、さらりと撫でる。


 彼らのために、私は自分の命を惜しまない。それが神官と名乗り続けた私の役目であり、墓守と呼ばれた私の行き着く先だ。だから、ロータス教会の名誉にかけて、アレをここで捕縛する。


 三人から目をそらし、くるりと踵を返したアストラガスは、ステンドグラスから日の差し込む祭壇へゆっくりと上がった。微笑むポラリスの石像に恭しく頭を下げ、彼女の脇を足音を立てずにそっと通り過ぎると、祭壇の脇に置かれていた剣を一振り手に取った。


 丁寧な所作で鞘から抜くと、それは太陽を照り返して美しく光る。その反射光に、アンスリウムが和らげていた表情を厳しく引き締める。


「よくお気づきです、騎士殿。良い目をしていらっしゃる。」


「おやめください、アストラガス殿。」


 柔らかに微笑みながら、アストラガスは首を振る。


「いいえ。ここであなた方を拘束いたします。できれば抵抗はせずに願えませんか。そうして頂ければ、ロータス協会は異邦人を王宮へと引き渡し、その後に騎士殿と吟遊詩人殿には然るべき処置を受けて頂くことをお約束致します。」


「貴方がその剣を振りかぶる前に、私は貴方の腕を切り落とすことができる。賢明なアストラガス殿であれば分かるでしょう?」


「分かりますとも。ロータスの神官を王宮騎士が傷つけたとなれば、それは大変なことでしょうね。とうに失われたとはいえ、我らはファングの三柱が一つ。信仰厚きファングの民が黙ってはいませんよ。」


 アストラガスにとって、これは賭けだった。もしアンスリウムが内紛も辞さないと考えるのであれば、ここでアストラガスの命は失われ、異邦人をみすみす逃すことになる。だが見たところ、あの異邦人が使う邪法は、人間の理性や良識を何もかも奪ってしまうわけではないようだった。現にアンスリウムは、どこまでも妥協点を探して説得してくる。栄光の騎士クリーデンスは全ての善を奪われて、異邦人の傀儡として行動したそうだから、クリーデンスに掛けられた物と、今二人にかけられた物とは違う魔術なのかもしれない。


 だから、勝機はある。彼らは私を傷つけられない。そうなれば、彼らが取る手はただ一つ。この礼拝堂からの逃走だけだが、その目ももうじきに潰れるだろう。


 銀色に美しく光る剣先をアンスリウムに向けながら、アストラガスは一歩一歩、祭壇を降りる。彼が近く度、戸惑うようにアンスリウムが身じろぐので、もうほとんどアストラガスは勝利を確信していた。


 ただ少しだけ、心の隅で何かが疼く。そういえば、この異邦人は一体何が言いたかったのだろうか。嫌がらせのようにここまでやってきて、わざわざ私を呼び出してまで、一体何がしたかったのだろう。愚弄されているという思いだけが先走って、彼の言葉を聞かないようにしてきた。何故なら、悪魔の言葉は毒だからだ。


 異邦人が憎い。信仰と先祖の尊厳を踏みにじった異邦人が、酷く憎い。この国に住む者であれば誰しも、異邦人に憎しみを抱き、見つければ差し違えてでも殺せと教えられてきた。異邦人は町を滅ぼす。異邦人は、国を滅ぼす。だから、私たちは奴らが憎い。


 これでいい。そう思えば思うほど、心の中でざわざわと泣き喚く声が、だんだんと大きくなっていく気がした。


 ああ、誰が言ったのだったか。私のことを冷静かつ公明正大で、慈悲と慈愛を持った正しい人物だと。そうだ、そうなりたい。それは私が信じる、私の理想とする姿だった。

 

 人は怒りを理性で制することができる。客観的に、冷静に、物事を見極めることができる。尊厳を持って人を扱い、善の前に頭を垂れて生きることができる。それが、アストラガスが願う、人間としての生き方であったし、事実そう生きてきたつもりであった。


 しかし、ならば、今の私は本当に理性で何かを判断し、その上で誰かを断罪しているのだろうか。いいや、それ以前に、人は誰かを断罪することができる生き物なのだろうか。私は今、確かに正しいのだろうか。私が志す理想の人は、たとえそれが異邦人であっても、正しく言い分に耳を傾けたのではないだろうか。私は、彼の言葉を何も覚えていない。


 くらりと、足元が揺らいだ。


 剣先だけはブレないように、しっかりと握り締めていたが、踏み締めている足の下はまるで綿のように柔らかくて、一歩踏み出すのに酷く時間がかかる。


「アストラガスさん。」


 異邦人が、何かを言った。アストラガスの足が一瞬止まる。


「あの時助けてくれて、本当にありがとう。貴方が助けてくれなかったら、俺は今頃何にも知らないままで、そこのアンスリウムに引き渡されて殺されてた。」


 不服そうにアンスリウムが眉を歪めた。


「助けてくれたのが貴方だったから、俺は今ここにいるんだ。俺は、貴方のようになりたいと思ったから、だから。」


「何を……。」


「俺が、他人の分まで謝りたいなんて、傲慢で不遜なことを考えたから、話をややこしくしちゃったんだ。アストラガスさんにも嫌な思いをさせちまった。俺が貴方に伝えるべきだったのは、俺を助けてくれた貴方への、お礼の言葉だけだったんだ。」


 騎士に守られるように隠れていた異邦人が、その陰から一歩進み出た。それは、人の形をしていた。黒髪で、頼りない少年の形をしていた。それが真っ直ぐとこちらを見据えて、決して瞳を逸そうとしない。ただ一人、墓場の真ん中で前を向いて立っていた。


「あなたは……。」


 その時、ガヤガヤと複数人の話し声と共に、騒がしい足音が礼拝堂の外に響いた。


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