北の教会-9
アストラガスの言葉が、海良に酷く突き刺さる。彼の怒りの根底を、海良はこの時初めて知った。ただ毎日が穏やかに過ぎ、そしてその平穏を祈るためのこの場所で、自分以前の異邦人が罪なき人々を石へと変えた。命を奪うだけでは飽き足らず、無辜の人々を石像にしてこの場に繋ぎとめたのだ。そして、アストラガスはこの場所で日々を過ごしている。怒って当然だと思った。人々の日常が突然にして奪われる悲劇。それを象徴する墓場に身を寄せているロータスの墓守たちが、その悲劇をもたらした自分たち異邦人を憎むのは当然なのだと。
そして同時に、海良は改めてアストラガスという人間の公平さに頭を垂れた。これほどの悲しみを内包してなお、異邦人以外に憎悪を向けるべきではないと、彼はあの広場で嫌疑の最中にいる自分を救ってくれた。公平正大に、客観的に、冷静に、彼は決して憎悪の波に飲まれることなく、民衆に誇りを説いた。
そんな彼がこれほどまでに怒るのだ。
これが異邦人のもたらした災厄だと言うのだから、それは正しいと思った。
「どうです?」
アストラガスが誰ともなしに問いかける。凪いだ声色が、無機質な礼拝堂の壁に当たって落ちる。
「これがロータス教会の墓石です。異邦人がファング王国へともたらした災厄が色濃く残るうちの一つ。ここで幸せを願っていた人々は一瞬にして命を奪われ、神官たちは成す術もなく石に変わり、巫すらも我々は失いました。壇上の少女が見えますか。」
視線を上げると、そこには長い髪の一人の少女が微笑みを湛えながら時を止めていた。質素ながら上質な刺繍の施された美しい衣装を纏い、少女は純真そうに笑顔を見せている。
「彼女がロータス教会の長たる預言巫でした。御名をポラリス。」
アンスリウムが息を漏らした。かつてポラリスと呼ばれた少女は、天上から降り注ぐ暖かな日差しを浴びながら、身動きひとつすることはない。
「私の先祖は街に出ていたおかげで命拾いを致しました。ここを守る神官たちは皆そうです。彼らの先祖は様々な理由で、同胞たちと運命を共にできずに今なお生き永らえております。ここは、墓場なのですよ。」
そう言って遠い目をするアストラガスが、一体何を見ているのか、海良には分からない。覚えているはずのない過去を思い出しているのか、あるはずのない今を見ているのか、彼の見ているものを追うことは、海良にはできそうもなかった。
しかし、同じものを見ることはできなくても、彼の怒りを理解することはできる。
三百年前にここにあったはずの当たり前の日常。平和と幸福を祈りながら、多くの人々が行き交い、笑いあっていた、信仰の中心地。誰からも慕われる預言巫と、それを世話する神官たちが胸を張って磨き上げてきた星の神殿をひと目見ようと、東の塔の賢者も、王都の民衆も、笑顔でここを訪れた。そしてその幸福は、蔦王フェルトブッシュの魔族討伐によって永久を約束されたはずだった。
異邦人が現れるまでは。
「異邦人が、この人たちを殺した。」
ぽつりと海良は呟いた。一度口に出してみれば、それは本当に、当たり前のことだった。
「そうです。災厄たる異邦人が、この悲劇をもたらした。」
アストラガスが海良の言葉を肯定する。もう彼の言葉が、海良の胸へと突き刺さることはない。受け止めた言葉は、ただ滲んでいくだけだ。そして海良の深い所にゆっくりと根を張る。
これは、異邦人がもたらした。
異邦人とは誰だ。
俺だ。
今この場で、俺だけが異邦人だ。
この罪は、同じ異邦人である自分にもあるんじゃないのか。
海良の自問自答を畳み掛けるかのように、アストラガスは言った。
「災厄がここの人たちを殺した。いえ、北の教会だけではありません。東の塔を破壊し、この地に獣人を招き入れ、私たちを害する。だからファング王国は、お前たち災厄を根絶やしにします。見つけ次第に首を落とすのです。たとえ、刺し違えてでも。そうでしょう?騎士殿。」
アンスリウムは、アストラガスの問いかけに答えなかった。ただ拳を握りしめて、じっと彼の瞳を真っ直ぐに見つめる。アストラガスも、アンスリムから視線を外そうとしない。ただじっと、沈黙の落ちる礼拝堂で両者は睨み合っていた。
「俺のせいだ。」
その沈黙を破ったのは、海良だった。ただ一言、彼はそう呟いた。その言葉に、アストラガスは満足そうに口角を上げ、アンスリウムは驚愕に目を開いた。ずっと青い顔をしていたラウルが、気遣わしげに「シンくん……?」と声を掛けるが、海良は小さく首を振る。
「俺がこの人たちを殺した。」
「馬鹿なことを言うな。」
海良が言い終わるのを待たずに、アンスリウムが否定の声を上げる。彼は海良の視界を遮るように正面に回り込むと、こともあろうに海良の前で片膝をついた。アンスリウムの取った行動に、ラウルもアストラガスも息を詰める。帯びた剣の鞘が軽く床を叩いたが、アンスリウムは見向きもせずに、その大きな体躯を丸めると海良の腕をしっかりと両手でつかみ、その顔を仰ぎ見る。
今にも泣きそうな顔をする海良の瞳を覗き込みながら、彼は凛とした声で言った。
「行動の理由と責任を、誰かに押し付けるなと言ったはずだ。同じように、お前が誰かの責を負う必要はない。分かるか。」
海良は小さく首を振る。弱々しくも頑なな少年に、アンスリウムはそっと身を寄せる。
「これはお前がやったことじゃないだろう。お前は確かに異邦の人だが、俺の知る限りではまだ一度も、誰かに危害を加えていない。人知を超えた災厄など、そんなものがお前に起こせるなら、一番に俺が死んでいるだろう。」
海良がきつく唇をかみしめたのを見て、アンスリウムはそっと彼の頬に手を添える。
「我らが国に来て、お前が願ったことは何だ。家に帰りたい事と、ゲンゲツを救いたい事と、あと何だ?クリーデンスを人殺しにしたくないと言っていたな、あとは……魔道砲を止めたい?これのどこが災厄だ。お前は、ちょっと雨を降らせることが出来るだけの、ただの弱くて良い人だろうが。」
噛んで含めるように説いても、海良は俯いて首を振るだけで、アンスリウムの言葉を受け入れようとはしない。その様子にしびれを切らしたアストラガスが、彼らを眺めて言った。
「騎士殿はまだそのような世迷いごとを言うのですね。貴方の仕事は、ソレの命を奪うことでしょう。あなたのやっていることは、背徳行為ですよ。」
海良の肩がピクリと跳ね上がった。今まで頑なに閉ざしていた唇が小さく開いて、そうだよ。と言葉を作る。アンスリウムの手に、頬が柔らかく動く感触が伝わる。
「俺は、異邦人だ。」
「前を向け。こっちを見ろ。」
アンスリウムがそう促すが、嫌々と肩を落とすばかりで、海良は瞳を伏せたまま抵抗するばかりだった。
「これは俺と同じ異邦人がやった事なんだ。だから、俺も悪い。」
「お前は悪くない。お前はお前だろう。」
「でも、今この国にいる異邦人は俺だけで、だから。」
「シン!」
一際大きな声が礼拝堂に響き渡った。突然呼ばれた己の名前に、海良は驚いて顔を上げる。今にも淚が零れそうだったはずの瞳は、驚嘆のあまりパチクリと開いて、陰鬱気に寄せられていた眉も、今は呆けたように離れている。そして、顔を上げた先、一番に飛び込んできたのはアンスリウムの優しげな瞳だった。強い意志の籠った、それでいて柔らかな色。そして彼は、先ほどと同じように、その凛とした通る声で再び海良の名を呼んだ。
「シン。この罪は、君のじゃない。」
驚きのあまり声のでない海良が、言葉にならない音を喉から絞り出すのを見て、アンスリウムは悪戯っぽく笑う。そして、彼にしてはふざけたようにこう続けた。
「それに、もしお前が悪いと言うのならば、まず間違いなくゲンゲツの方が悪い。あいつの話口調からいって、おそらくゲンゲツ自身がロータスを滅ぼした原因の異邦人と接触しているからな。だから、お前が罪を償うというのなら、ゲンゲツも一緒に付き出そう。そして俺もだ。」
腰に帯びた剣を手に取り、しっかりと胸の前に掲げる。その姿に、海良は改めて、アンスリウムは王国の騎士なのだと思った。
「罪なき訪い人に罪を問うなど、騎士の名誉を汚す行為に他ならない。シン、君がもし、ありもしない罪のために身を差し出すと言うのなら、君が死した後、君の不名誉を、我が命を以って雪ごう。」
そう言って、彼はそっと片手で海良の手を掬うと、その甲にそっと額を付けた。
「ならば私も共にいきますとも。」
今まで黙していたラウルもまた、二人の前に歩み出ると、まるでアストラガスから二人を庇うように間に割って入り、竪琴を片手に持って両手を大きく広げた。
「道に迷ったところを異邦人に助けられ、地下で生き埋めになりかけた際には異邦人に命を救われ、ロータスの墓守に謝りたいとする異邦人の願いを受け入れて生活を共にしてきたわけですからね。そんな優しき異邦の人が処断され、それを庇った騎士が自死したとなると、これは吟遊詩人が歌にする他ありますまい。心優しき訪い人と、彼を信じた王国騎士にまつわる悲劇を歌った詩人が、何らかの理由で命を絶ったら何とします?世の人々は口ぐちに言うでしょうね。これは教会と国王による、何らかの陰謀に違いない!と、まあ、皆さまの名誉の回復に、少しは役立つのではないかと思うのです。」
芝居掛かった動作で彼は竪琴を爪弾くと、外套を大げさに翻して海良とアンスリウムに向き直る。そうしてアンスリウムに片手を取られたまま、身動きができない海良を、両手を広げてそっと抱きしめ、囁いた。
「シンくん。俺のこの命をかけて、これは君のせいじゃない。」
この教会では、かつて悲劇があった。ずっと続くはずだった日常を、誰もが幸せに笑いあっていた未来を、奪った異邦人がいた。だが、それはこの場で辛そうに俯く少年ではない。この短くも長い旅の途中で、ラウルとアンスリウムはそれを心から信じるようになっていた。




